ハンプティ・ダンプティ | ナノ
第三節 君は愛しの羊飼い(3)


「ひゃー……さすがはキセキの世代、なんて呼ばれるだけあるねぇ。このチームの精神的黄金期が間近なのも一因だろうけど、こうも綺麗にゴールがスパスパ決まるのは見てていっそ清々しいくらいだわ」


 祥吾くんと虹村くんの跡を追うかたちで辿り着いた、本日の練習試合会場。帝光中バスケ部に合流しに行く二人と別れたわたしは、こっそりと体育館二階のギャラリーに向かい、一応目立たないようにと端の方で試合を観戦していた。

 征ちゃんに緑間くん、青峰くん、紫原くん、……それから忘れてはいけないのが、この世界の主人公たる黒子くんの存在。活き活きとした表情で試合に打ち込み、楽しげにバスケをする彼らの姿は、なるほど確かに魅力的に映る。

 きらきらと光って見えて、とても眩しい。


(それにしても──)


 ……この世界に生まれ変わって初めて見た、あの廃校の顔ぶれ。
 たとえそれが一番焦がれている相手ではないとしても、懐かしさを感じるには十分で、わたしはそっと目を細めた。

 実際にわたしが出会ったのは数年後の姿だし、今の彼らはずいぶんあどけない顔立ちをしているけれど、やっぱりそう大きくは変わらないものだなぁと忍び笑いを漏らす。明るい光の中でちょろちょろと動き回るカラフルな頭は、正直、見ているだけで無条件に面白い。思わずクスクス笑みをこぼしながら、わたしはギャラリーの柵に頬杖をついて試合の経過を観測した。


「……マ、相手校の人たちからすれば、こんな一方的な展開はたまったもんじゃないんだろうけどねぇ」


 ぽつりとこぼした呟きは、体育館の喧騒に溶けて消える。
 うっそりと笑うわたしの視線の先には、圧倒的な才能の違いに愕然とする──ゆるやかに真綿で首を絞められるように絶望を始める、老若男女の姿があった。










 帝光中の勝利で練習試合が終了したあとは、これで今日はもう終わりかな? 解散になるなら祥吾くんに買い物に付き合ってもらおうかな? と思ったけれど、どうやら少しだけ相手校と合同練習をしてから解散になるらしい。

 そういうことなら仕方がないので、先に帰ってわたし一人でも買い物を済ませた方が時間も無駄にならないし、夕飯の仕込みを早いうちから始められる。なにしろメニューを某大怪盗の映画に出てくるようなミートボールパスタにする、と約束してしまった手前、早めに準備を始めないとハラペコの幼馴染にひもじい思いをさせてしまうのだ。練習試合で折角頑張ったのに、それじゃああまりにも忍びない。

 だけどせめて、帰る前に一言伝えておきたいなぁと思っていれば、ちょうど体育館の外の水道で水を飲んでいる祥吾くんとばったり出くわした。いえーい、なんてナイスなタイミング! 念のためにまわりに人がいないことを確認してから、わたしはすすすっと祥吾くんに近寄ると、肩をポンと叩いて声をかけた。


「祥吾くん、お疲れさま」
「おー。……つっても、俺は疲れるほどのことはしてねェけどな」
「それはそれ、これはこれ。頑張った子への様式美ってヤツだよ」
「? 『ヨーシキビ』ってなんだ?」
「……今夜は久しぶりに現代文の勉強しようね、祥吾くん」
「げ、藪蛇」


 にっこり笑って祥吾くんにとっての死刑宣告を告げれば、表情が明らかに引きつった。でもしょうがないよね、授業をさぼるのは祥吾くんの勝手だけど、勉強ができなさすぎて灰崎さんや信吾くんに迷惑をかけるのはいただけない。いつもあの人からの逃げ場所にさせてもらっているぶん、最低限……ちゃんと進級できるレベルを維持できるよう、祥吾くんの勉強面の面倒を見るのはわたしの義務だと思っている。もしくはお礼。


「お、嘉夜じゃん」
「うわ出た」
「人をバケモノみたいに言ってんじゃねーよ。……で、今日の試合はどうだった?」
「祥吾くんの『強奪』も中々やべぇけど、祥吾くんの同級生たちも大概やべぇやつの集まりだなと思った」
「俺は試合を見た感想を聞いてるんであって、あいつらに対する所感を聞いたわけじゃねーんだわ」
「あいたっ」


 ふらりと現れた虹村くんの質問に素直に答えただけなのに、パコンと軽く殴られた件について。訴訟。

 ──とはいえ、これがいわゆるじゃれあいの類であることは、殴られた衝撃の羽のような軽さからよーくわかる。きっと虹村くんなりにわたしとのコミュニケーションを取ろうとした結果なんだろう、たぶん。だからわたしもそれに付き合って、ちょっと大げさなまでにリアクションして応じてみせたわけだし。

 ……とにもかくにもそういうわけなので、あの、祥吾くんは人ひとり殺せそうな物騒な視線を虹村くんに向けるのを今すぐやめてね? 君の場合、時と場合によってはマジでシャレにならないことをやらかすのは、小学生の時にわたしもよーく思い知りました。いや本当、あの時はどうにかこうにか上手く誤魔化せたからいいものの、二度も三度もあんなことされたら本当にわたしの胃に優しくないんだわ。ほんとやめて。おねがいゆるして。

 まあ、虹村くんならむしろ返り討ちにしそうな気もするけど、今のわたしにとっては可愛い幼馴染が傷つくことも大きな地雷なのでね。ちょっとの努力で避けられる地雷はきっちり回避させてくださいね! 今のわたしに余計なストレスを感じている精神的余裕はないって何度も言ってるでしょ!!


「……すげーな、灰崎。マジで嘉夜の番犬じゃん」
「可愛いよね。でも、ぶっちゃけ狂犬って呼んでも差し支えないレベルのこと普通にやらかすから、祥吾くんの前でのわたしの取り扱いには十分気を付けた方がいいよ」
「えっ」
「なんとかバレずに済んだけど小学校で前科あるからね、この子」
「えっ……」


 表情を引きつらせていた虹村くんに注意喚起をしておくと、まじかコイツ、と言わんばかりにドン引きした目が祥吾くんに向いた。わかるよ、わかる。わたし自身、祥吾くんに好かれている自覚も大切にしてもらっている自覚もあるけど、だからって下手したら年少スレスレのことをされるのは本当に心臓に悪い。

 まあ、たとえ年少に行ってもこの子が可愛い幼馴染であることに変わりはないんだけどさ。それでも、わたしなんかのために年少に行ってほしくはないし、万が一にもそんなことになったら灰崎さんたちに顔向けできなくなっちゃうのでね。やるなとは言わないけどやりすぎないでくれ、とは常日頃からしっかり言い聞かせている。ちゃんとわたしの言いつけを守ってくれる祥吾くんはとってもいい子です。

 ……ちなみにわたしたちの会話の間、当の祥吾くんはといえば、虹村くんに知らん顔をして大人しくわたしに頭を撫でられている。それこそ、わんこ相手にするみたいにわしゃわしゃと。ピリピリしている祥吾くんを宥める時はこれが一番効果的なのだ。


「虹村さん」


 ──そんな時に聞こえてきたのは、どこか懐かしい、あどけない少年の声だった。


「お、赤司」
「!?」
「……そちらの方は?」
「ちょうどいいところに来たな。こっち来い」
「!?!!?!?」


 懐かしさに惹かれるまま声のする方へ視線を向けて、視界に飛び込んできた赤い髪に全身が強張った。ぎしり、と錆びたブリキの人形のように不自然に動きを止めたわたしに気付いたのは、悲しいかないい子に頭を撫でられていた祥吾くんだけで。虹村くんはこの場に現れた少年に──征ちゃんに声をかけ、こちらへ来るよう手をこまねいた。……いやいやいや嘘でしょ、何しちゃってくれてんの虹村くん!?


「嘉夜、大丈夫か?」
「…………たぶん」
「嫌なら追い返してやってもいいぜ」
「そこまでしなくていいよ。あの子、祥吾くんのチームメイトなんでしょ? ちゃんと挨拶くらいするから」
「別にしなくてもいーけど」
「そういうわけにもいかないんだよ、お馬鹿」


 コソコソと話しかけてくる祥吾くんに答えながら、コツンとごく軽い力で頭を小突いた。申し出自体は確かにありがたいんだけど、本っっっ当にありがたいんだけど、祥吾くんのサボりや素行不良を止めない手前、少なからず征ちゃんに負担がかかっているのは紛れもない事実(実際、今日も迷惑をかけただろうし)。

 だったら最低限『いつもごめんね』と『これからもよろしく』のご挨拶をしておくのが、祥吾くんの保護者──じゃなかった、姉貴分であるわたしの果たすべき礼儀なのかなと思うわけだ。……そりゃあもう、精神的にはきまずいことこの上ないけどな!


「嘉夜。せっかくだから、さっきの試合に出てたやつ紹介してやるよ」
「赤司征十郎です。初めまして」
「ご丁寧にどうも。いつも祥吾くんがお世話になってます」
「やめろやめろ俺の頭まで赤司に下げさせようとすんな!」
「おねーちゃんの言うことは絶対なんだよ、祥吾くん」
「知るか!」


 じたばたと暴れる祥吾くんの頭をぐっと押さえつけるようにして一緒に頭を下げれば、虹村くんは思いっきり吹き出して「灰崎も姉ちゃんの前じゃ形無しだなァ!」とゲラゲラ笑い。そして対する征ちゃんはというと、ポカンと呆気にとられた顔でわたしたちを見て固まっていた。

 ……うーん、わたしの記憶に残る征ちゃんの表情は平静を装ったものか、やわらかく微笑んでいるか、気遣わしげにこちらを窺うものが大半なので、この表情はものすごくレアな気がする。

 わたしにとっては過去の、今の征ちゃんにとっては未来の彼に比べてこんなにも表情がはっきりしているのは、やっぱり年齢の違いによるものなのだろうか? バラバラになるチームメイトたちの姿に完全に限界を迎えてしまう前、挫折を知らないからこそ不安定で純粋な精神状態がそのまま表情にも現れている、とか?


(──マ、征ちゃんにとってのバスケ部は居心地のいい場所みたいだから、単純に余計な力を抜いているだけって可能性が一番高いかな)


 本当のところがどうなのかは誰にもわからないし、まして、初対面の見知らぬ女相手に征ちゃんが話すはずもない。だからあくまでもわたしの憶測にすぎないわけで、間違っている可能性も大いにある。

 ……けれどもし、本当に『安心』が理由なのだとしたら、良かったなぁと思うのだ。遅かれ早かれ壊れてしまう居場所だとしても、征ちゃん自身を追い込むものであっても、心安らかでいられる場所があるのならそれに越したことはない。

 だって征ちゃん、名家の跡取りって立場上どうしても仕方ない部分はあるんだろうけど、責任感が強すぎて色々と一人で抱え込んだり気負ったりしちゃうみたいだからさ。


(いわゆる『僕』の人格ができたのも、征ちゃんの責任感の強さが理由なんだろうなぁ、なんて思ったり)


 跡取りとして、主将として、後を託されたものとして。ちゃんとやろう、しっかりやろう、と考えるのは悪いことじゃない。だけど人間、ずっと頑張り続けるなんてどう考えても無理じゃん? 走ったら息切れするし、運動したら疲れるわけで、働いた分はきっちり休まなくちゃどこかで必ずガタが来る。

 征ちゃんの場合、すべてのしわ寄せの結果が『僕』の人格で、……みんながそうあれかしと望むからこそ振り切った独裁者になった部分も、少なからずあるんじゃないかな。とかね。

 征ちゃんってしっかり者だから、つい頼りがちになっちゃうし、『征ちゃんに任せておけば大丈夫』って考えちゃうんだけどさぁ。私自身、あの場所では征ちゃんの存在が霧崎ボーイズの次くらいに頼もしくて、何かと頼っちゃったりしたけどさ。やっぱ、人間関係ってギブアンドテイクが原則だしね。頼ったらそのぶん、自分も返すのが基本でしょと思うので──


「……あの、俺の顔に何かついてますか?」
「うん? ……ああ、ごめんね? 特に君を見つめてたことに深い意味はないんだけど、」
「?」
「あんまり根を詰めすぎないようにね」
「──え」


 あの子たちの次に、私と関わりが深かった君。私のことを知ってなお、私が成すことを知っていてなお、再会を願ってくれた優しい君。その行く末が少しでも救いあるものであればいい、と願いたくなるのは、きっと当然の想いのはずで。

 『母が亡くなって以来、頭を撫でられたことはない』──ふと、そう言ってはにかんだ数年後の彼を思い出したわたしは、少し高い位置にある頭を優しくひとつ撫でた。そんなわたしの行動に祥吾くんはあんぐりと口を開け、虹村くんがぎょっとして、征ちゃんは目を見開いて固まってしまう。


「それじゃ、夕飯の支度もあるし、わたしはここで。……祥吾くん、あんまり二人に迷惑をかけすぎないようにね〜」


 三者三様の反応に失笑したわたしは、セクハラだ! なんて言われる前に、先手を打って退散することを選んだ。人好きのする笑顔を浮かべて軽く手を振り、固まる三人を放置してすったかたーとその場から離脱する。


(……いやー、やっぱあの面子と顔を合わせるのは無理だな!)


 一分一秒でも早く征ちゃんたちから離れなくちゃ。その一心で全力疾走しながら、痛いくらいに早鐘を打って『会いたい』と叫んでいる心臓に、わたしはぐっと奥歯を噛みしめる。

 泣きたいくらい、懐かしくて。
 笑いだしたいくらい、愛おしい。

 そんな暗澹たる過去に引っ張られている自分を自覚したわたしは、ただひたすら、己を侵蝕する感情から必死に目を逸らし続けた。




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