ハンプティ・ダンプティ | ナノ
第三節 君は愛しの羊飼い(2)


「本っっっ当にごめんなさい……!」
「いーっていーって。勘違いさせたオレも悪かったし」


 平身低頭、深々頭を下げるわたしにひらりと手を振って笑ったのは、なんと『あの』虹村修造だった。帝光中の男子バスケ部主将であり、祥吾くんの先輩であり、キセキの世代をまとめ上げることができた唯一のひと。──そう、ゲーセンでぶらぶらする祥吾くんをとっ捕まえてボコしていたのは彼だったのだ。

 わたしは祥吾くんを殴ろうとする彼の腕を掴み、殺気立って威嚇してしまったのだけど、よくよく話を聞いてみればどうやら今回は祥吾くん側に非があった様子。

 なんでも今日はバスケ部の練習試合の日だったようで、祥吾くんはスタメンでありながら仮病を使っておサボりを決め込んでいたそう。そして、『風邪で休みます』と連絡を寄越したはずの祥吾くんがゲーセンでぶらぶらしているところをバスケ部関係者……というか虹村くんのお友達が見つけて通報し、虹村くんが回収しに来たと。つまりはそういうことらしい。

 ……いやもう本当に、重ね重ね申し訳ない。祥吾くんが練習試合サボったの、間違いなくわたしのせいだし。厳密にはわたしのせいっていうか、昨日の夜に久々に荒れまくってわたしに手を上げた母親のせいなんだけど。なんにせよ、わたしがあの人に手を上げられたから祥吾くんが今日のデートを計画したことには間違いないと思う。幼馴染の勘だ、外れてはいないだろう。


「祥吾くん」
「……」


 虹村くんの鉄拳制裁を受けた頬を腫らして、ムスッとしている祥吾くんに声をかける。祥吾くんは黙ったまま何も言わず、チラリと一瞬だけわたしに視線を向けて、それからすぐにふいっと逸らしてしまった。

 ……わたしに怒られると思っているんだろうなと、その心のうちが大変わかりやすいリアクションである。そういう素直なところ、わたしは嫌いじゃないよ。

 末っ子気質で甘えたな(甘ったれな?)祥吾くんはかまってちゃんだけど、怒られるのは嫌いなことをよく知っている。だからこそこの状況で、大事な練習試合をサボったことをわたしに知られて怒られないはずがないと自覚しているから、わたしと目を合わせられないんだろうなぁと察して肩をすくめる。

 チラ、とわたしに視線を寄越す虹村くんにはへらりと笑って、口パクで『まかせて』と伝えてから口を開いた。


「ねぇ、祥吾くん。バスケ部の練習試合って、部外者が応援に行っても良いんだっけ?」
「……は?」
「家族の応援って体でいけば大丈夫だと思うぞ」
「あ、それならわたし、祥吾くんの姉貴分だからオッケーですね!」
「嘉夜?」
「主将さんからオッケーも出たことだし、祥吾くんの応援に行かせてもらうね。……夕飯はミートボールパスタにするから、ほら、早く家に帰って準備!」


 わたしの意を汲んでか、素晴らしいアシストをしてくれた虹村君にはい拍手! 祥吾くんの逃げ道を塞ぎつつ、ちゃんとご褒美も用意することで多少のモチベーションに繋げて、早く準備しておいでーとこの場から送り出した。

 ……わたし? このまま残って祥吾君がちゃんと戻ってくるのを確認するまで動かないし、有言実行で練習試合の応援に行くよ? 何も知らなかったとはいえ迷惑をかけてしまったんだから、それくらいの責任は果たさなくちゃね。










「えーと……嘉夜、サン?」
「はい?」
「ちなみに灰崎とはどういう関係で?」
「さっき言った通り、ただの姉貴分ですよ。幼馴染ってヤツです」


 二人きりになって気まずくなったのか、唐突に虹村くんから雑談を振られた。……まあ、祥吾くんがいなくなってわたしも手持無沙汰になった感は否めないので、これ幸いと会話に乗って暇つぶしに付き合ってもらうことにしようかな。そう考えたわたしは幼馴染、という言葉に目を丸くする虹村くんにクスリと笑いながら、こちらも話を広げることにした。


「学校は違うので、たぶん、知ってる人はいないんじゃないですかね? そういう話をするほど祥吾くんに仲が良い人がいるなら、もしかしたら一人二人ぐらいは知っているかもしれないですけど」
「へぇ……。灰崎もずいぶん大人しかったし、付き合い長いのか?」
「かれこれ十年くらいは」
「なるほどな」
「それより──虹村くんって、バスケ部の主将なんですよね?」
「ん? ああ、そうだけど」
「普段の祥吾くんってどんな感じです?」
「あー……」


 わたしが知らない祥吾くんの様子を尋ねた途端、饒舌だった虹村くんが唐突に言葉を濁した。ええと、とか、その、とか。言葉に迷う虹村くんの表情を見る限り、どうやら彼は『何か』を迷っているらしいと、そんな印象を受けたので。


「もしかして、祥吾くんの問題児っぷりをどうオブラートに包もうか迷ってたり?」
「うっ」
「んふふ、ご心配なく。同じ小学校だったからあの子の問題児具合はよくわかってますし、それに──」
「『それに』?」
「祥吾くん以上の問題児を知ってるから、ちょっとやそっとの話じゃ動じませんよ、わたし」


 言わずもがな、あの子以上の問題児とは霧崎第一のことである。花ちゃん以外の子たちがいつからバスケを始めたのかは、残念ながらおぼえていないけれど……それでも、翔ちゃんと同じ中学出身の花ちゃんだけは、現時点で既にバスケをやっていることを知識として知っているから。きっとあの子はもう、無冠の五将の『悪童』として名を馳せているに違いない。


「は!? ……灰崎以上の問題児なんていんのか!?」
「世界は広いですからね」


 彼らのことを思い出してちょっぴりしんみりするわたしの横では、虹村くんがぎょっと目を見開いてドン引きしている。……そりゃあそうか、祥吾くんって十四歳とは思えないくらいには既に素行が悪いし、そんな祥吾くん以上の問題児なんてそうそうお目にかかれるものじゃないもんな。

 でもごめんねー? 祥吾くんなんて比べ物にならないほどの、超弩級の性癖ねじ曲がり男子中学生は本当にいるんだよ。都内か都外かは知らないけど!

 ……その気になれば、花ちゃんのことくらいなら、調べて特定することもできるんだと思う。なにしろキセキの世代さえいなければ、無冠の五将こそが高校生バスケ界で頂点を競うと言われるほどの逸材なのだ。過去のバスケ雑誌を探せば特集を組んでいるページのひとつやふたつくらい見つかるはず。それを元に情報を集めれば、おのずと花ちゃんがどこの中学に通っているかくらいは特定できるに違いない。

 でもねぇ、花ちゃんが私と……狛枝透と出会うのはあと三年は先なわけで、特定したところでどうするんだって話。それに、もし仮に再会できたところであっちは私のことなんておぼえていないのだから、ただただわたしが虚しくなる一方じゃんね? っていう。

 そう考えれば行動を起こす気になんてならないし、……というかぶっちゃけ、今のわたしは母親相手にどう生き抜くかでわりと精一杯なので。悲しいかな、今のわたしは霧崎第一の子たちから知らない人扱いされても『仕方ない』なんて思えるメンタリティをしてないんだよねぇ……。

 傍から見れば、精神的に安定しているように見えるのかもしれない。けれど実のところ、わたしは常に一時的狂気ギリギリの瀬戸際に立っているような現状だった。祥吾くんやヨウくんやハル先輩、それからあと数人の親しい人たちのおかげで、なんとか騙し騙し正気を保って生きている──というか。そういった自覚がある身としては、霧崎第一関係でショックを受けるような事態は可能な限り避けたいところ、みたいな。

 ……十年以上の月日が経とうとも、わたしにとって、彼らは今でもいっとう特別で大切な子たちであることに変わりはないからね。私の憎悪を許容し、正当なものだと声高に言ってくれた彼らに拒絶されてしまえば、きっとわたしは生きていけないに違いない。


「……オレもまあまあ荒れてた自覚はあるけど、世の中は広いな?」
「そうそう。案外世の中、やべーやつはゴロゴロしてるんですよ」


 コロコロ笑うわたしに対し、なんとも微妙な表情の虹村くんである。まあね、君も『荒れてた』なんて言うけど、わたしたちに比べたらよっぽど真っ当でマトモないい子だと思うよ。そうじゃなきゃ、マンモス校の運動部で主将になんてなれないし、部員をまとめ上げるなんてできないもの。


「そういえば、嘉夜サンっていくつなんだ? 灰崎よりは年上……なんだよな?」
「うん? 虹村くんと同い年ですよ、わたし」
「…………マジ?」
「マジです。受験生ってつらいですよね……」


 はてさて、びっくりまなこの虹村くんはわたしをいくつだと思ってたんだろうね。少なくとも同い年とは思っていなかったみたいだけど、高校生くらいとか? それ以上って言われたら……うーん、ショックを受けるかどうかは、どれくらい多く見積もられていたかの程度にもよるか。

 いくら中身はとっくに大人だと言っても、今のわたしはあくまでただの中学生なのでね。さすがに十も上に見積もられてたらしょっぱい顔をせざるをえない。

 ちなみに、実際に『いくつくらいに見えた?』と虹村くんに訊いてみたところ、高校生くらいに見えたとのお返事でちょっと安心した。その流れで話し方ももっと砕けた感じでいい、と言われたので、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうことに。いやでも、虹村くんって正直『虹村さん』って印象の方が強いから、つい敬語を使いたくなっちゃうのはあるよね。……ない? そんなー。


「……なぁ、嘉夜サン」
「どうかした?」


 話しやすくなってラッキー、と内心ホクホクしていると、何やら急に神妙な面持ちになった虹村くんに名前を呼ばれた。なんなら眉間にしわを寄せて、ちょっと険しい顔をしているなぁと感じるくらい。そんな表情をされる理由に心当たりがなくて首を傾げると、虹村くんは言葉に迷うように口を開けたり、閉じたりを繰り返して、──それから意を決した様子でおもむろに口を開く。


「マスクの下の湿布なんだけど、」
「祥吾くんじゃないよ」


 言葉を途中で遮ることは失礼だ、と知っているけれど。
 それでもわたしは、虹村くんの質問を最後まで聞く気にならず、ぴしゃりと否定の言葉を浴びせかけた。


「ほかの人にどうかは知らないし興味もないけど、わたしにだけは絶対に手を上げない」


 良く言えば語気を強めた、悪く言えば非難めいた口調で話すわたしに、虹村くんは小さく目を見開いた。

 祥吾くんが慕っている先輩だからと思い、今の今まで物腰柔らかな対応を心がけていたからだろう。薄く微笑んだまま、敵意をむき出しにしたわたしのテンションの落差に大なり小なり虹村くんが動揺しているのがよくわかる。浮かんでいるのはこちらの地雷を踏んでしまったことを後悔するような表情で、きゅ、と唇の内側を噛んでいるのがうかがえた。

 こちらに縫い留められた黒い瞳を見据え、スッと視線を鋭くする。そうして表情は微笑みをたたえたまま、意識的に冷たい視線を浴びせ続けるわたしに、虹村くんはややあって「悪い、」と謝罪を告げた。

 ……祥吾くんの日頃の行い的に疑われても仕方ない、とは思うけれど、ずっとあの子に助けられてきたわたしからすれば気分が悪いのは事実。とはいえ、こちらの様子から本当に祥吾くんは何もしていないことを理解して謝ってくれたことだけは、まあ、及第点としておこうか。


「でも、それなら」
「ねぇ、虹村くん」


 言い募ろうと口を開いた彼の発言を、またしてもわたしは遮った。虹村くんがいったい何を言おうとしているのかが察せられるだけに、ここはひとつ、先手を打っておこうかと。そう考えたからで。


「わたしたちはあくまで祥吾くんを介した関係があるだけで、込み入った話をするような関係ではないと思うんだけどなー?」


 にこーっと笑って、オブラートも八つ橋も使わずに虹村くんに牽制をかけた。……でもマ、言ってることは何も間違ってないし? ただでさえ祥吾くんって繋がりがなければ知り合うことすらなかった人だ、人様の事情にズカズカと入り込まれるのは正直不快。ぶっちゃけ一時的狂気に陥る以前の問題なのよね。

 私はあの漫画のファンだったから、虹村くんのことはもちろん好きだ。だけどその好意はキャラクターとしての虹村くんに対する好意であって、決して今わたしの目に前にいる虹村くんに対するものではないのである。

 私の中で培われた好意はせいぜい、わたしの目の前の彼に対する印象値にプラス補正がかかる程度のもの、とでも言えば良いのか……。漫画で描かれていた姿と実像が異なることはあの廃校でよく学んだので、十年以上追いかけ続けたコンテンツの登場人物だからと言って無条件に心を許すこともなければ、ベラベラと自分の事情を話すことだってあり得ない。

 ……霧崎第一? いやぁ、あの子たちと出会ったのはかなり特殊な状況下だったしね。それに、(かなりバイオレンスだったけど)ゲームで言うところの親愛イベント的なものもちゃんとあったじゃん? だから、虹村くんと同列で考えるのはいかんせん無理がありすぎるって話ですよ。


「……ふーん。じゃあ、そういう話ができるくらい仲良くなれば良いってことか」
「えー? 虹村くんって実は結構面倒臭いタイプ? 可哀想な女の子を助ける俺、みたいなシチュエーションに酔っちゃう人?」
「ちげーよ、馬鹿」
「あいたっ」
「オレにとっちゃ、灰崎はアレでカワイイ後輩なんだワ」
「身内に甘いお人好しタイプかぁ……」


 はっきり『わたしたち別に仲良くねーだろ』って拒絶したにもかかわらず、この反応が返ってくるのは正直とっても予想外。思わずしょっぱい顔をすれば、虹村くんはニヤッとしたり顔で笑うものだから、面倒臭いことになったなぁとわたしはげんなりする思いである。


(姉貴分として、祥吾くんを可愛がってくれるぶんにはありがたいと思うけど、できればわたしのことは放って置いてもらえると大変助かるんですがね……)


 あの子たちならきっと、こっちが踏み込んでほしくない部分はそのまま放って置いてくれるだろうに。そんなことを考えていれば自然と溜め息も出るもので、失礼なことをしている自覚はあるものの、わかりやすく──わざとらしく──わたしは虹村くんの目の前で大仰に深く息を吐きだした。


「これからよろしくな、嘉夜?」
「うっわクソほど馴れ馴れしい」


 ──身支度を終えて戻って来た祥吾くんが、わたしを呼び捨てにする虹村くんに噛み付いたのは言うまでもない。




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