サガが自害したのは女神に対する最後の挑戦というのはちょっとした一つの解釈にすぎません。けれど私は個人的に後悔とか罪の自覚とかそんな小さなことで自殺なんて選んで欲しくないです。サガという人間の性格や、古代ギリシアの死の観念の両方から考えて。

そもそもサガが後悔する必要はないと私は考えます。

ロドリオ村での描写を見る限り、彼は確かに正義であったと思うし、逆に彼の罪というのは関係のない人を殺したことなのかなと。
またダイダロスや聖域に刃向った人間を殺していくのは切羽詰まりすぎた感が溢れ、逆に人間味があって私は好きですが、それは罪であったと思います。


けれどそれで自殺はしないでほしいです。そこで自殺を選んだら今まで殺してきた人たちに対して顔合わせができないということをサガには理解していてほしい。古代ギリシア、ギリシア神話の英雄における自殺の観念も後悔や罪の自覚から引き起こされるものではないんですね。


ですが聖域という特殊空間の話とはいえ、全てを古代ギリシアと結び付けられるわけではありません。古代ギリシアの観念からも一線を画したものとして導き出されたのが女神に対する挑戦というものでした。後悔でも悲しみでもなく、絶対の道をやり遂げるために。

サガは確実に認められていたと思います。
教皇は神のようであると讃えられ慕われていたくらいですから、決して教皇=悪の公式が聖域でできていたわけではないはずです。


黒サガも地上の神となるのだうわーはっはっはとか言ってはいますが、ゼウス・ポセイドン・ハーデスから地上を守るためには力を持たなければならないと語っているように、絶対的悪ではないと思います。

むしろ反逆組の語る正義は青銅たちの女神が女神がという正義よりよほど現実的で好ましいものです。


いつ女神に対して絶対の忠誠を抱くようになるのかは、ハーデス十二宮でアテナが自分で首を突いた時だと思います。確かにアテナの愛を認め、そのためにアテナのもとまで走り続けたサガも、眼の前で自分たちのために女神とはいえ13の少女に喉を突かれたらその愛を認めざるを得ないでしょうし、同時に女神の極めて大きすぎると言っても間違いのない愛を知らざるを得ないと思います。もともと真っ直ぐな人ですから余計に。

サガは十二宮編では神になりたかった人間のイメージ、ハーデス編では強い人間のイメージで、これからもそのまま成長してもっと強くなってほしいです。でもアイオロスが教皇に選ばれた時は何で私じゃないのくやしいキィーッとなりますし、聖衣を着て弟をぶん殴りますし、すぐに泣きますし、でも芯はしっかりしていて実力もあって、というようにとてつもない魅力的な人です。

いつまでも大好き!サガポー!

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