頭を抱える。とりあえず現状と彼女の話を整理しようとするが私の脳みそでは無理だったらしい。片手をあげて彼女の話を遮る。

「えーと、すみません、仰っている意味がよく理解できないのですか?」
「今申し上げた事が全てです。何の説明が必要ですか?」
「なんのって…」

彼女、本物の城戸沙織らしい少女の言葉はまるで漫画やゲームのように夢にあふれていた。
彼女はギリシア神話の知恵と戦の女神アテナで、彼女の元には地上の平和を守ることを目的とした聖闘士という人たちがいる。そんな彼らの頂点に君臨するのが12人の黄金聖闘士、しかしその彼らはついこの間あった地上を守るための聖戦で全滅した、らしい。

「…えっと、もう一度お聞きしますが」
「今お話したことは決して私の作った夢物語ではありません」
「………」

意味が分からない。救急車を呼んであげたほうが良いのかもしれないとも思ったが、あまりにも真剣な様子で話すものだからこうして話を聞いてしまっている。完全に相手のペースだ。

しかも、彼女いわく、私は勝利の女神のニケとかいう存在らしい。ただの一般人だということが見た目からしてありありと分かるだろうに、彼女は何故そんなことを言うのだろうか。私にはまったく理解ができなかった。

いや、それだけならまだ良かった。マシなほうだったのだ。
つまり、それだけで話は終わらなかったということで、城戸沙織は何故か私にギリシアに来てほしいと言うのだ。

「いや、あの…私仕事ありますし、というかいきなりこんな話をされても…」
「ええ、分かっています。突然このような話をしても、理解をして頂けないだろうということは」

しかし、と彼女は続ける。

「このような戦いは、誰かが行わなければならないことなのです。何もせずに平和を勝ち取ることはできません」

真っ直ぐに見据えられて、言葉に詰まる。彼女の言葉を全て信じたわけではない。だが、もしかしたら、と思わせる何かが彼女にはあった。強い視線に押される。

「私は、聖戦や今までの争いで命を落とした人々が再び生命を得ることを冥王ハーデスに望みます。そして、かつての聖戦で命を落とし、尚も冥界で苦しむ私の聖闘士の解放、つまり彼らが再び輪廻の輪に入ることを許すこと」

それが勝者としての私の望みです。そう言って目を伏せた城戸沙織は膝の上で手を握った。少し俯いた彼女の動きに合わせて絹糸のような亜麻色の髪が肩からさらさらと零れおちた。

「…恐らく、ハーデスはその要求を飲むでしょう」
「…そう」
「何故私がこんな話をするか、お分かりですか?」
「…ううん」

私は、その聖戦を知らない。この間の日食がそうであったと言われても、日本で平和に仕事をしていた私にはあの日に彼女の言う平和というものを守って何人もの人が死んでいったということさえ想像もつかない。だからこそ、彼女が私にそれを話す意味が理解できないと、素直に頷けば城戸沙織はその美しい顔に薄い笑みを浮かべた。

「私は平和を望んでいます。そして、そのために尽力する聖闘士たちの幸せを。彼らが蘇った後、もう二度とこのような争いが起こらぬように努めたい」


城戸沙織が視線を窓の外にやった。
今晩は満月だ。
大きな丸い月をしばらく眺めた後、彼女は再び私を見ると口を開いた。

「そのために、貴女が必要なのです」
「わ、私!?」
「貴女が今まで一般人として、人間として暮らしてきたのは分かります。恐らく、小宇宙や十二宮のことも分かりませんね?」
「こ、小宇宙?十二宮?」

突然出てきた訳の分からない単語に首を傾げれば、城戸沙織はそんな私の反応さえ予想していたかのようになんら反応せずに彼女の傍に置いてあった黄金の杖を掲げた。

「今まで、私の手元にはこれがありました」
「…銀河戦争の時に持っていたもの?」
「そうです。これこそが、今まで勝利の女神、つまり貴女の代わりを果たしていました」
「こ、これが…」

つまり私の価値はこの棒か。それってちょっと悲しい事じゃないかと肩が落ちた。それを見て、目をぱちりとさせた城戸沙織は、すぐに首を振って否定する。

「ああ、そういうわけではないのです。これは唯の杖ではなく、勝利の女神の小宇宙が全て込められている、つまり女神そのものでもある特別なものなのです」
「ええと…、よく意味が…」
「…かつて、ニケはこれに全ての力を込めて私に与えてくれたのです」

少し、言葉を濁らせた彼女が杖を優しい手つきで撫ぜた。伏し目がちにその杖に視線をやった彼女の顔を見る。懐古だとか、愛情だとか、…あと悲しみのようなものまで感じられる複雑な表情を浮かべていた城戸沙織が、すぐにもとの凛とした表情に戻る。

「そのおかげでしょうか、今まで私は常勝の女神でいられた」
「そんなにすごいものなんですか」
「…さて、しかしこの杖が勝利の女神の力を持っていると知っている存在はとても少ないのです」

私の問いには答えずに、そう言った城戸沙織が杖を再び隣に置く。そうして、私を見ると表情を引き締めた。

「ニケ、貴女という存在が聖域に必要なのです」
「勝利の女神がいるってことを他の、ええと…地上を狙っている人にアピールするために?」
「その通りです。戦わずして勝つために…、私の聖闘士たちが傷つかずにすむように勝利の女神たる貴女が必要、なんです」

勝手なことを言っているのは分かっていると言葉を区切った城戸沙織が小さく息をついた。

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