強い風に雲が地平線の彼方に流されていく。
ざわざわと風が吹いて木々を揺らすのを聞きながら、長い間訪れることもなかった草原に立った。


広がる山郭地帯を視界に入れて、一度だけ目を閉じる。息をついた。

ニケ、
私の大切な友人、貴女が死んだ、場所。


「やっと、来ました」

今まで訪れることすらしなかったことを貴女に謝りたい。
それでも私は、認めたくなかったのだ。もっとも近しい貴女を救うこともできず、見殺しにしてしまったという事実を、私はどうしても受け入れたくなかった。

そうして貴女が死んでいった現実を歪曲したかった。
生きているのだとなまえに貴女を求めた。
けれど違うのですね、私はそれに気づきました。

なまえはなまえ、貴女は貴女だった。それを、なまえが教えてくれた。そして死してなお忘れることのできない貴女が教えてくれた。


「ごめんなさい、ニケ」


ハルモニアは死したのち、カドモスと共に楽園エリシオンで過ごしているという。

あの場所は神々に愛されたものの地、そして神々の安寧の地でもある。ならば、貴女も、そして貴女に愛された彼の人も今は二人でともにあの場所にいるのだろうか。

風に草に花に大気になって、もう誰にも邪魔されることもなく世界が終わる瞬間まで二人、で。


ならば、今度こそ、いや、この世界のしがらみから逃れた今だからこそ、貴方たちには幸せになってもらいたい。
そして、彼らはそうするだけの権利を持っているのだと、私は信じて疑わないのだ。

「ニケ、ありがとう」


ずっと私を助けてくれたこと。
ずっと私の傍にいてくれたこと。
ずっと私の為に戦ってくれたこと。


ずっとずっとずっと、貴女は私のためにいてくれた。ありがとう。


ありがとう。
私の大好きな、女神。

親愛なる女神として記憶に留めることを、どうか許してほしい。
それは決して貴女を捕えるということではない。私はもう貴女を解放する。しばりつけない。世界の光に、大気に、海に、貴女を解放する。それでも記憶が褪せることは無いだろう。

貴女と過ごした日々は、今も私の中で眩く輝いているのだから。
親愛なるニケ。私は貴女のことを忘れない。感謝も愛情も、全て。


「…さようなら、どうか安らかに」


持ってきた花束を風に散らす。
強い風が色とりどりの花びらを青空に巻き上げるのを見届けて、あの日と同じ強い風に目を閉じた。


今も鮮明に思い出す場面、泣きながら謝る彼女の声。遠い遠い昔の事。泣き崩れた彼女を私は見下ろしていた。


いつも、瞼を閉じれば思い出したその光景。
だが、今はもう聞こえない。もう涙を流す彼女の姿は見えない。
だってもう彼女は泣いてなどいないはずだ。(きっと彼といられるのだから)


「沙織ー!!」

ふと聞こえた、親友の声に目を開けた。自然と口元に笑みが浮かぶ。

振り返れば、丘の下から大きく手を振りながらこちらにかけてくるなまえの姿。その顔にはいっぱいの笑顔が浮かんでいる。明るいなまえ。可愛いなまえ。私の大好きな友人。

そんな彼女に、私も笑みを返して、そっと、その場から身をひるがえす。


ふと、暖かな、本当に穏やかな風が一度だけふわりと吹いて私の頬をなぜた。(彼女の気配を感じた気がした、なんて都合の良い幻想)「ありがとう」、それからさようならと最後にもう一度別れを告げて、私はもう振り返ることはせずにこちらに駆け寄ってきたなまえのもとへ歩いて行った。




長い、そして短い不思議な話をしようか。



それは、最愛なる私の友人に捧ぐ鎮魂の神話。


そして


これが私たちの、終わりと始まりの物語。
(未来はまだ終わらない)



(これからもずっと、ね)

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