気味が悪いほどに穏やかな風が吹き抜けていく。
サガが私の手を引いて走り出した。

地面にしゃがみ込んだまま動かない雑兵たちの間を駆け抜けて、開け放たれた扉に駆け込んだ。ヘラが、地面にしゃがみ込んでいる。

彼女の背後で開かれたカーテン、その先の階段に倒れる沙織の姿が目に入った。


「…沙織ッ!!!」

駆けだした私の手をサガが掴む。体制を崩しかけた私を彼が支えてくれる。

「なまえ、落ち着け」
「…でも、沙織が!」
「なまえ」

低いサガの声に黙り込んだ。息を吸って、吐く。

「分かった」

落ち着いた息で、そう返し沙織のさらに向こうに立つ男を見た。

「…天帝ゼウス」

彼は私たちに見向きもしなかった。
それでも彼は私たちを見ていた。

何もかも心得たように彼が沙織を見下ろす。


「沙織…」

呼びかけても彼女は動かない。
しかし胸が僅かに上下しているのを見て生きていることを知る。昏倒させられたのか、眠り込んでいるのか、それとも?

「何をしに来たのか」

ゼウスがそうぽつりと呟いた。
それが私に向けられたものだと感じて黙り込む。何をしに来たのか、分からぬ神ではないだろう。全て答えを持っているくせにとゼウスを見上げる。


「見よ、戦利を集めるアテナさえもこの有様。人の子に何ができるだろうか」
「確かに私はただの人の子です。勝利の女神の小宇宙を持っているだけ」


はっきりと述べた言葉にゼウスが無表情をこちらに向けた。

そして一歩、また一歩と階段をゆっくりと下る。
やがて倒れるアテナの横を通り過ぎた彼が、階段を完全に下りきった。

美しい顔に埋められた真っ青の瞳がぎょろりと私に向く。

目があっただけで、威圧感に涙が浮かぶ。肌がぴりぴりと痛んだ気さえして、震える足で必死にその場に立ち続ける。

「…私は神話の時代に生きたニケではない。それでも私は確かに彼女の想いを見たし、その意思を継ぎたいと願いました」

これは私の意思で、誰のものでもない。ニケが死んだとしても、彼女の意思はここにある。私が彼女を継ぐ。胸に手を添えて天空を見据えた。

「今は私がニケです。勝利の女神は、正義の側のアテナだけを祝福する。貴方を祝福などしない。アテナも、平和も返してもらいましょう」


雲を集めるゼウスにはっきりと言い切り、そしてサガに叫んだ。

「サガ、行って!!」
「愚かな、地を這うことしかできぬ人のみで、天空を統べる私に勝つつもりでいるのか」

自分に向かって駆け寄るサガに、なるほどならばそれも良いだろうと、彼は雷を取る。天帝ゼウスの武器。

言っても分からぬ愚か者には体に分からせるのが早いだろうと雷を、自分に迫るサガへ振りかぶる。だがサガは怯まない。足を緩めない。小宇宙を最大限にまで燃やしあげ、ゼウスに拳を打つ、いや穿つ。

「ギャラクシアン・エクスプロージョン!!!」

彼は一歩も引かずに拳を前に突き出した。
確かにサガのそれは強力な技だったが、彼に絶対に死なないという確証があったわけでも、それでゼウスを倒せるという確信があったわけでもない。

それでもサガは躊躇をしなかった。

一歩でも下がれば、少しでも怯めば、自分のすぐ後ろにいるなまえに被害が及ぶ可能性がある。

そうすればもう、アテナは救えない。彼女も救えない。そう考えたサガは動かなかった。その絶対の決意が、ゼウスを驚かせ僅かな隙を生む。

サガは、それを見逃さなかった。


大地を蹴り上げて高く跳躍する。

雷を手にしたゼウスを飛び越え、彼の背後に倒れていたアテナのすぐそばに着地した。ゼウスはサガがアテナに触れないようにと今度こそ雷を振りかざし、投げ飛ばし、それはサガの肉体を貫く


はずだった。

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