早歩きのヘルメスのあとを小走りで追いかける。
私が初めて足を踏み入れる場所。
けれどニケの記憶があるからだろうか、どこか懐かしいその空気に目が細まった。

「もう、なんで僕が…」

ぶつぶつと文句を言い続けるヘルメスの背後からお礼の言葉を投げかける。ちらりとこちらを振り返った彼はやはりすぐに顔を歪めて前を見た。

「いいかい!絶対に神々を怒らせるようなことを言うなよ!」
「善処します!」
「殺されたって僕は知らないからね!礼儀を弁えてくれよ、相手は最高位の神々なんだからさ!」
「努力します!」
「Yesと言えよ!」
「頑張ります!」
「この女…!」

敬礼をした私を振り返らずにヘルメスは深いため息をついた。
だがふいに、ぴたりと足を止めたヘルメスがこちらを振り向く。

「オリンポスの神々に会って、何をする?」
「地上に手を出すのを止めてもらいます」
「無理だ」
「そう考えて行動することを止めたら私たちは前進することができなくなります」
「君はニケの小宇宙と記憶を持っているね?それなら分かるはずだ!オリンポスは聖域よりも強い、何故そんな弱者の意見を飲み込む必要がある?」

少年のような輝きを宿した瞳をまっすぐに見つめ返して微笑んだ。

「被害を最小限に抑えるためです」

ヘルメスは呆れたように首を振る。

「その被害っていうのは地上と聖域のことだろ!神々は不死だ、こちらに被害などでやしない」
「そうでしょうか?トロイア戦争で切り付けられたアプロディテは逃げ出しました。彼女は傷ついた。神々は例え死なずとも傷を受ける、それを神々は恐れる。違いますか?それに…、オリンポスにはたくさんのニンフがいますね」

神々は死なない。しかし、ニンフは違う。
結局どちらにも同じように被害は出るのだ。

私の言葉にやがてヘルメスは深い深いため息をついて頭をかいた。


「良いよ!どうせ僕には関係ない、僕はただ命令に従うだけだからね!君を連れてきたのは僕じゃない、君が勝手についてきた。オリンポスは君を招いていない、君は客人ではない、だからここでどのような不当な扱いを受けたところで誰も責任なんて持ちやしないよ!」
「ええ、それで良いです」


これが、私に思い付いた、私にできること。

戦争にはさせたくないから。サガや沙織を守りたいから。

そのために私はどんなことでもするだろう。

(私がやらなければならないこと)

サガの穏やかな小宇宙を思い出して目を伏せた。勝手な真似をして、彼は怒るだろうか。守ると言ってくれた言葉を思い出す。嬉しかった。けれど、守られるだけでは嫌なのだ。私だって大切な人を守りたい。サガがそれを分かってくれるかは、分からないけれど。


消える瞬間、沙織が目を丸くしたのが見えた。
奥にいた少年は星矢君だった。ごめんね、沙織、勝手な真似をして。
でも星矢君がきっと沙織のことを守ってくれるんだよね?

それなら、今アテナのことは天馬座に任せ、私は私にできることに全力で打ち込むべきだ。

ヘルメスに連れられてたどり着いた巨大な門の奥に、たくさんの強く静かに燃え上がるように存在する小宇宙を感じて肌がぴりぴりと痛んだ。手が震える。
神々は畏れだ。人は神に平伏す。自分の知識を超える存在を、人は畏れる。

深く息をついて、早くなった動悸を抑え込む。

大丈夫、
大丈夫。
畏れは、あれは、私の中にもある。

胸に手を当てて自分の中の小宇宙に意識を集中させた。勝利の女神、畏れである神は、ここにも、ある。

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