そう考えてからのヘルメスの行動は実に早かった。

得意の俊足を活かして一瞬で相対する女神への距離を詰め、もう一本の短剣を引き抜く。

アテナを昏倒させられたらゼウスのところに連れて行くからよし、殺してしまったのならその時はまあいいや。自分は悪知恵がよく働くから、適当に処理できる。きっと大した問題にはならない。


そう一瞬のうちに考えたヘルメスの剣に迷いはなかった。

腹部に向かって突き立てられたその鋭利な凶器は確かに彼女の服を裂き白い肌の直前にまで襲い掛かった。だがしかし、アテナの手により一瞬のうちに短剣が弾かれ、今度は逆にアテナが振りかぶった黄金の状を前面に突き出してくる。すんでのところでそれをかわし、一歩後ずさった瞬間、横薙ぎにされた杖がすぐ傍に迫っていることに気が付いたがすでに遅い。

女神の小宇宙の込められたそれがヘルメスの右肩を強打し、彼をよろめかせる。


「うっ…、は、はは、あっはっはっ!忘れていたよ、アテナ!君がいっつもお気に入りの聖闘士の陰に隠れて祈っているだけだったから、君がいつも先陣を切って戦場を駆け回り、あの残忍な軍神を傷つけ退けさせるほどの女神だったということを!」
「退きなさいな、ヘルメス。フォイボスにお痛をしていた時とは状況が違いますよ」

わずかに語気を強めたアテナに対し、ヘルメスが人懐こい笑みを浮かべて頷いた。


「うん、いいよ、いいよ、分かったよ。こんな短剣じゃ本気の戦女神には敵わないもの。しょうがないから僕は帰るよ」
「………」
「…でもさ、恨まないでね?ヘラの命令なんだ、一人でも邪魔な奴は減らしておけって」
「なんのことです…?」

目を細めてヘルメスを見据えたアテナの視線の先からヘルメスが消える。

すぐに彼の心意を理解し、振り向きながら迫る危機に叫ぶ。「星矢!なまえ!!」その声を聞いた瞬間、短くない時間を彼女の為に戦い過ごした少年はすべて理解する。


一瞬で伝令神の小宇宙を察知し、彼の突き出した短剣をよけ、その反動で拳を突き出す。反動が付いた分、いつもより数倍の威力で放たれたそれが、伝令神の髪を掠り、ヘルメスが茶化すように口笛を吹いて星矢から距離をとった。


「おしい、今のは危なかった!ちょっとびっくりしたよ」
「ヘルメス…!!私を怒らせたいのですか…!!!!」

燃え上がった小宇宙をそのままに睨みつければ彼が呆れたように肩を竦めた。

「ああ、怖い怖い。もう怒っているじゃないか。言っただろう、アテナ。これは大神と大神妃の命令だ」

ふいにヘルメスが微笑む。

「ゼウスは言ったよ、もはや君のすることは目に余るって。でも、君は彼の大切な愛娘。いつだって彼に尽くしてきた大切な娘。だから、おもちゃを取り上げるだけで勘弁してあげようって考えさ。でも覚えておいて、君が聞き分けないなら、君も粛清の対象に入るってね」
「聖闘士はおもちゃではありません!!そのような考えだからこそ、貴方達は」
「ストップ、アテナ。残念だけど、君のお説教に興味はないよ」

手をひらひらと振ったヘルメスがにこりと愛想の良い笑みを浮かべる。

「しょうがないから今回は退くよ、ばいばい」

そうしてヘルメスが飛び上ろうとしたとき、飛びだしてきたのはなまえだった。

ドタバタと物音を立てて駆けた彼女がテレポートをしようとしていたヘルメスに飛びつく。ヘルメスが間抜けな表情を浮かべたのが一瞬見えた。「ちょっと行ってきます、沙織!!」なまえが叫ぶ。だが、それに私が何か反応をするより早く、彼女たちの姿が宙に溶けて消えた。

「な…、なまえ…っ!!?」

呼びかけに答えるものは、もうこの場所にはいなかった。

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