「い、いいの?それでいいの?たくさんの人が私をニケって呼ぶの、そうなってほしいって望んでいる!なのにわたしはなまえを捨ててニケにならなくてもいいの?」
「ニケになりたいのか」

穏やかな表情を崩すことなく言ったサガに一瞬言葉に詰まったが、彼には何を隠しても無駄だと考えて正直に吐露することにした。

「なりたかったよ!それで沙織の言うとおりに、皆の…、サガや沙織の力になれるなら、私は…!でも違うの、私にはできない、捨てたくないの、なまえを、今まで生きてきた証を女神に消されたくないの!サガは前に言ったよね?女神としての自覚を持っているのかって私に。持っていなかったよ、私は!ニケの名前を持つことがどんな意味なのかさえ知らなかった!」

涙がこみ上げてきたのを抑えられない。彼のシャツを握り締めて叫ぶのを止められない。

私は怖いんだ。

なまえが完全に消されることが。ニケの記憶に支配されて自分を見失うことが。どちらが聖域の為になる?答えは分かりきっている。聖域が求めているのは私じゃない、勝利の女神だ。


必要なのは器で、私ではない。私はそれをこの上なく恐れている。

私は自分を捨てたくない。捨てることが怖い。その時私の中の天秤は確かに聖域ではなく自分の側に傾いているのだ。


「どうしてこんな私がニケになれるの…?」


ぼろぼろと涙があふれた。

私はニケを見た。彼女は美しく強く、そして弱い女神だった。強く、弱い。彼女には支えが必要だった。支えてくれる女神が、愛した人間がいたからニケは勝利を請け負って立ち続けた。けれどだからこそ支えを失ったニケはもうそれ以上歩いていくことができなかった。…それとも、逆だろうか。一度支えというものを知ってしまったからそれを失ったときもう前のように一人で立つことができなかった。

どちらにせよ女神として生まれた彼女にも、それだけの重荷だった。
“勝利”の名前はひどく重い。それには人の期待と希望と羨望が詰まっている。

けれど、女神にさえもそれを与えることはできない。
ニケはそれを誰にも与えることができなかった。ニケにできたのは、勝利がともにあると微笑みかけて鼓舞することだけだった。それをつかみ取るのは結局個人の努力と運だった。
ニケには何もできない。それでも勝利としてその場に存在しなければならない。いや、存在することしかできない。

だから勝利の名前は重い。
私にはそれを背負うだけの覚悟も力も足りていなかったのだ。

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