教皇の間に倒れたなまえを抱えたサガとデスマスクが駆け込んできたのは、日が沈んで少ししてからだった。

「アテナ、なまえは…」
「経過は追って連絡します。とりあえず貴方たちはもう自宮に戻りなさい」

その言葉にサガは何か言いかけたが、デスマスクに腕を引かれると真っ白な顔で眠るなまえをちらりと見、頭を下げて踵を返した。

二人が出て行ったのを確認して、シオンも下がらせる。

「しかし、アテナ…」
「二人にしてください」
「…承知しました」

すぐにサガたちの後を追ったシオンの背中を眺め、教皇の間の扉がしまったのを確認しなまえの髪を撫でた。

サガとデスマスクの話だと、もとから気分は優れていなかったのらしいがそのあと突然狼狽え始めてそのまま倒れたらしい。

「やめて、奪わないでと言ったのですか」

昏々と眠る彼女が私の問いに答えることはなかったが、それでも髪をすき続け、冷えた頬にも手を添えた。


可哀相なニケ。
貴女はまだあの記憶に囚われている。

「ごめんなさい、ニケ」

貴女を助けることが、私にはできなかった。

「ごめんなさい…」

無力だった私をどうか許してください。貴女が翼を奪われた時、貴女が苦しんでいるとき、貴女が…、…私は、貴女を助けてあげることができなかった。こんな私に、貴女は全ての力を貸してくれた。それは今、なまえの中にある。それはつまり、この女性が貴女であるということに大差ない。


だから記憶を早く取り戻してほしかった。

記憶を取り戻し、私のことを、神話の時代を思い出してくれればなまえはニケになる。

その時私たちはまた、あの時のように語らうことができる。共に笑い、語らい、そうして生きていける。

記憶は戻りつつあった。
なまえはニケの愛した双子座の聖闘士の容姿を言い当てた。当然だが彼女の会ったことのないニケの容姿さえも言い当てた。なまえは、神話の時代を少しずつ思い出していたのだ。

なまえがサガを好きなのも、運命なのだと思った。
サガは、ニケの愛した聖闘士ととてもよく似ている。そっくりというわけではないが、髪の色も目の色も微笑んだ表情も、何もかも似すぎている。

なまえは、ニケなのだ。


似た人間を愛す。それはおかしなことではない。
小宇宙とは命だ。命の記憶でもある。
小宇宙を覚醒させれば、神話の時代の記憶を思い出すことになるだろうことを私は知っていた。

だから、待っていたのだ。
しかし、おかしい。こんなにも突然に、それも倒れこむほど体に負担をかけて思い出すことなどあるのだろうか?

何か、きっかけがあったはずだ。穏やかな彼女の小宇宙に触れて、気づいた。先ほどから、薄々感じてはいたのだ。あるはずのない気配を感じた。懐かしい神の小宇宙だった。有り得ないことではない。なぜならこの間、ハーデスが私にそれを告げに来たではないか。


目を伏せる。なまえの髪と頬から手を放した。

寝台に立てかけておいた黄金の杖を手に取る。そして小宇宙を高めて杖を宙に向けて突きだした。


「なまえの小宇宙に干渉したのは貴方ですね」


翼ある言葉を投げかければ、宙に湧き出るように少年が飛び出した。
蜂蜜色の髪がふわりと舞う。


「貴方を待っていましたよ、伝令神ヘルメス」


茶目っ気のある笑みを浮かべた兄弟神にそう言い、相対する。


(そして私はまた戦いが始まるだろうことを知る)

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