「サガ、少しいいか?」
「なんだ」

アイオロスを見た私に、彼は一瞬口を閉じた後にすぐに「私はなんだ」と問うてきた。

「…なんだと?」

質問の意味がよく分からずに眉を潜めればアイオロスはすぐに青空に視線を戻して言い直した。

「私と、射手座の聖闘士と、アイオロスとはなんだ?違うのか?」
「…射手座の聖闘士は射手座の聖闘士でアイオロスはアイオロスだ。“私”というのはその時の状況と自身の判断や気持ちで決まるものではないのか」
「うーん…」

いまいち納得がいかないといった顔をしたアイオロスが頭をかく。

「私は射手座のアイオロス、では駄目なのか」
「駄目ということはないだろう。いきなり何だ」
「ニケに、射手座の聖闘士ではなくアイオロスに、と言われたが私にはその意味が分からない。私は私では駄目なのか」
「お前が自分をそう思うのならそれに間違いはない」
「私は射手座のアイオロスだ」
「ああ…、そういうことではなく、恐らくなまえはそういった肩書ではなくお前自身に対して言ったのではないか」

その言葉にアイオロスはさらに眉を潜めてうなった後にごろごろと転がり始めた。あっという間に草まみれになっていったアイオロスに頭を抱える。

「汚い!」
「こうしていると新しい考えが浮かびそうなんだ!」
「浮かぶものか!早く立たないか、草だらけだ!!」

頭や背中に若草のついたアイオロスを無理やり立たせて草を掃わせる。候補生の前で黄金聖闘士がこんなことをしていては示しがつかない。

そう考えて気づく。
黄金聖闘士とは、体裁でもあると。

聖闘士の最高峰で女神を守る存在として、他に示しのつくものではなくてはならない。

「…」

アイオロスの言った言葉の意味をもう一度考えてみる。
射手座の聖闘士、双子座の聖闘士。
アイオロスと、サガ。


それが表すのは一体なんだろうか。

一度戦闘が始まれば私たちは私たちの正義のために戦う。普段は虫も殺せないような人間でも“聖闘士”にならなければならない。
ただ女神と地上のために。

しかし普段の私たちは、自分の楽しみや趣味、性格や感情を持つ人間だ。
人間と聖闘士。いや、聖闘士は人間らしさを排除した戦士といったところだろうか。私情に流されず地上の正義のために戦い抜く。

ならやはり、聖闘士と人間は少し違うのだ。
もはや天職のようになってしまった奴もいるが、多くはそうではない。
青銅の子供たちは、普段は遊び盛りの子供らしい子たちだし、それは黄金だって変わらなかった。まだ幼かったころ、ミロとアイオリアはよく喧嘩したし、ムウやシャカだって同じだった。そこに、聖闘士の姿はなかった。

デスマスクやシュラ、アフロディーテは今もそうだ。普段の彼らの姿と聖闘士としての彼らの姿は違う。酒を飲み遊び歩き、人生を謳歌する自由人である彼らも戦闘が始まれば、聖闘士になる。

それらすべてをひっくるめて、デスマスクたちはデスマスクたちであると言える。私は双子座の聖闘士でもあり、サガでもある。それは間違いない。しかし、一言にそうまとめてしまってもいいのだろうか?聖闘士の意思と、私の意思は常に同一だろうか?

「…アイオロス、誰に、それを言われたと言った?」
「…?ニケだ」
「…そう、か…」

なまえが、そう言った。

ならば、勝利の女神となまえもまた違う存在だろうか。

私のこの想いは誰に対するものか?
勝利の女神ではない。なまえだ。
彼女がニケでなかったのなら、出会うことはなかった。彼女がニケであったからこそ懺悔のような行為で頼ることもあった。けれど、私と接していたのは?


ニケではない。

なまえだった。


(答えを手に入れた気がした)

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