穏やかな日々が過ぎていた。例年より少しだけ早く訪れた春は、標高の高い十二宮にいつもより少しだけ早く花を咲かせ、なまえや貴鬼を喜ばせた。

つい先日に降った雪のあとはもう小春日和が続き、過ごしやすい春の日々が続いている。
この間の最後の雪の時になまえと貴鬼がデスマスクの服の中に雪玉を突っ込み、それに怒った彼が本気で雪玉を投げ返し壁に穴をあけたのはまだ記憶に新しい。

しかし外を見ればもう、雪などすっかり無くなり新緑の木々と春の花が青空に向かって伸びていた。


心地のいい日々。

そんな折に、あの男が私のもとを訪れた。冥界を統べる王、先帝の長男ハーデス。彼の深い湖のように落ち着いた瞳に私が映りこんだ。


「…アテナよ、つかの間の安寧は楽しめたか」
「なんのことです」

まさかまた聖戦でも繰り返すつもりかとハーデスの言葉にそう返せば、彼はつまらなそうな表情で息をつくといつもの無表情に戻る。「分からぬか」「だから、なんの話かと聞いているのです」「所詮、いや、やはり貴女の作り上げた平穏などつかの間の幻想に過ぎなかったということだ」そういって口端をあげた彼の言うことがますます理解できずに目を細める。

私の表情の変化を見取ってかハーデスは満足げに私を見つめる。

「いずれ伝令神が終わりを告げるために貴女のもとへ訪れるだろう」
「伝令イリス、…いえ、ヘルメス?…どちらにせよオリンポスの神が、私にいったいなんの用です」
「天界は危惧している。余を、そしてポセイドンさえも打ち負かせた人間を従える貴女を」

ゆえに、もう終わりにするつもりなのだとハーデスは無表情でそういった。
彼の漆黒の瞳からは何も感じ取ることはできない。
だが彼の言葉はすとんと、妙にすっきりと私の胸に落ちた。


「…そう、ですか。天界が…。いつか来るだろうとは思っていましたが…」

特に驚くこともなく、むしろ納得しながら呟いた私にハーデスは僅かに驚いたのか表情を変えて言った。


「…アテナよ、また戦うつもりか」


ゼウスに敵うとでも思っているのかと眉をひそめたハーデスに微笑み返す。

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