それからのサガの行いを全て近くで見てきた俺には分かる。
あの時、アイオロスは悪ではなかった。むしろ正義だった。

しかし、サガのそれも、決して悪ではなかった。
彼もまた正義で、俺はそちらに力を貸したに過ぎない。
力こそが正義だった。サガは救済を目的とした統治のためにその力を使った。どちらも悪ではなかった。しかし、サガの方が上手だった。ただそれだけのこと。

「私がお前を祝うと何かおかしいか?」
「俺はお前を殺した」

後悔をしていないのは確かだが、この人から祝われて素直に受け入れる気にもならない。アイオロスが女神を守ったのはもはや事実としてそこに存在し、そしてそのアイオロスから13年間を奪ったのは自分なのだから。

青銅の子供が聖域に女神と共に戻り黄金と戦った。彼らは皆正義を訴え、そして相反する者を殺していった。子どもの純真さがなす残酷さだ。

いつか、確か幼かった頃サガは言った。子供は天使や神のようなものなのだと。
純粋で白く何にも汚されていない存在。だからこそ残酷なことを平気で行い、大人にはできない崇高な世界を夢見ることが許されているのだ、と。

青銅の子供たちはまさしくそれだった。

そして、あの日アイオロスの腕で抱かれ眠っていた赤ん坊も、また


「俺はお前が死ぬきっかけを作った男だ。そんな俺をお前はよく祝う気になるな、という話をしている」

力こそが正義だった。
アテナを守ったが、自分を守る力を持たなかったアイオロスは悪として聖域で扱われ続けた。

だが、力ゆえの正義というものは、行いを正当化するためのものでもあると紫龍と戦い知った。

正義とは何か?それは恐らく一つではない。個々がそれぞれの正義を持つのだ。
今の俺の正義はアテナの下で地上のために戦い抜くこと。13年間の俺の正義は力、力こそが正義。あのアイオロスを殺した夜の俺の正義は女神と教皇の意思に従うこと。

それらすべてが正義であり、俺の意思の下形成されたものだった。
誰に命令されたものでもない。自分自身で掲げた正義の結果。

だから俺はアイオロスを斬ったことに微塵の後悔もしていない。
そんな男を祝う必要もないし、普通なら祝う気も起きないのではないか?

「?」

だがアイオロスはなおも不思議そうな表情を浮かべて首を傾げ続ける。

「確かにお前は私を斬った。それは事実だ。だがお前は聖闘士で、私も聖闘士。事実を知らなかっただけでお前の行動も女神や教皇の意思に従ったものだった。何も間違っていないさ」
「いや、そうではなく…、聖闘士である前に、アイオロスという個人に対して俺は言っているんだ」


その言葉にやはりアイオロスは眉を潜めて、さっぱり理解できないとばかりに首をひねるのだった。

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