潮の香りと波の音を感じて小さく息をついた。

「うーっ」

なまえが背伸びをした瞬間、ばきばきと音が鳴り驚いて彼女を振り返る。大丈夫かと問いかければなまえは自分も驚いたと笑い返してコンクリートの階段から砂浜に飛び降りた。
ザアザアと波が砂浜に打ち寄せる。

約束通り訪れた海は、冬のせいか人気もなく真っ白な砂浜が永遠と続いていた。
なまえが私の横に立って笑いかけてくる。

「ケーキ美味しかったね!絶品」
「ああ、そうだな」

そう言ったかと思えば冷たい風に震えながらも、なまえは靴と靴下を脱ぎ棄てて海に突撃する。海に飛び込むのだろうとすぐに理解して、その後ろ姿を慌てて追いかけて腕を引いて立ち止まらせた。

「風邪をひく!」
「海に来たら海に入っていかなきゃ!」
「残念だがなまえ、そのような決まりはない」

とにかく風邪をひくから駄目だと言ってなまえを砂浜の上を引き摺って海から遠ざける。いまだ納得いかないのかぶーぶーと文句を言うなまえに靴下を履かせる。

「せっかく海に来たのにっ」
「海に入るのはせめて暖かくなってからにするべきだ」
「寒中水泳…、じゃなくて足だけだよ?」
「せっかく日本に戻ってきたのに風邪などひいては勿体ないだろう」
「…分かった。でもじゃあ暖かくなったら今度は泳ぎに海に行こう!」
「ああ、ギリシアの海を案内しよう」
「約束ね、サガ!楽しみにしているから!」

邪気のない瞳で私を見つめて言ったなまえに微笑みを返した。

エーゲ海ならきっと彼女も気に入ってくれるだろう。エーゲ海。

「…海か」

弟は今どうしているだろうか。

海界に引っ込み、自分のしてきたことの片付けや海界の復興に勤しんでいるらしい弟とは聖戦の時以来…、アテナ神殿以来会っていない。

会ってどうするつもりなのか。

それは分からない。
けれど会いたいのは確かだった。
13年間をどう過ごしていたのか。
私のことをどう思っているのか。
これから、どうしていくつもりなのか。
聞きたいことはたくさんある。けれどそんなものは結局言い訳で、本心はただ会いたいというだけだ。

けれど、弟はどうだろうか。


ざわりと風が吹いて波が海岸に打ち寄せた。途端に色を変えた砂を見下ろす。

「サガ?」

不思議そうな声色が私を呼び、そちらに視線をやる。
なまえと目があった。

そして私は些細な思い付きで彼女に言葉を投げかける。(答えが欲しいのではなく、彼女の意見が欲しかった)


「…なまえは、自分を嫌っているかもしれない人間と会いたいときは、どうする?」
「会いに行く!」


素直な彼女の答えはあまりにも簡潔であまり参考にならなかった。
だがなまえはすぐにほほ笑んで続ける。


「だって会いたいんでしょう?もしその人が自分のことを嫌いでも会えば何か変わるかもしれないもの。…その、良いほうにも悪いほうにもね」
「そうだな。…会わなければ何も始まらない」

不思議そうな顔をしたなまえの頭を撫でた。
自分よりかなり小さな彼女の頭は撫でやすい位置にあるといえるだろう。柔らかな髪を手に感じながら彼女に視線を落とせばまたなまえと目があった。

「会いたい人がいるの?」

頷けば彼女は柔らかく微笑んで私の手を取った。

「サガなら大丈夫!うん、私は確信しているね」
「何故?」
「だってサガはまっすぐで優しくてお日様みたいだから」
「…それは一体どういう意味だろうか?」

私が真っ直ぐで優しくて日のようか。
随分と私を買いかぶっているなまえの言葉の真意を確認したくなり聞き返せば彼女のほうが太陽のような笑みを浮かべて言った。


「私なら、サガを嫌いになんてならないし、サガが会いたいって言ってくれたら嬉しいから!」


とりあえず、なまえと弟は違う生き方をしてきて違う思考を持った人間であるから、彼女のその考えはまるで見当違いのことであったのは間違いない。
それでもそれが眩しかったのも事実だ。

(暖かい)
アテナのそれとはまた違う暖かさをなまえは持っている。
ああ手放しがたいと考えて、すぐに彼女は勝利の女神だと思い直して頭を振った。

この想いは抱いてはならないものだ。

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