「あれ、沙織さん、それは?」

夕食の時間だから沙織さんを呼んできてくれと言った辰巳さんに頷いて彼女の部屋を訪れる。
扉を開けた彼女がすぐに終わるからと言って持っていたウサギのぬいぐるみを寝台の枕の横に優しく置いた。

沙織さんの部屋はひどくこざっぱりしていて、なんというべきだろうか、あまり物がないと僕は思う。本当に必要最低限のものしかない。だから、彼女の手の中にあったふわふわのそれをさして疑問を口にすれば彼女は微笑を浮かべて振り向いた。

「なまえが私にくれたのです」
「ニケが?」
「ええ。さて、夕食の準備ができたのですね。瞬、呼びに来てくれてありがとう」


彼女のために扉を開けたままにして、沙織さんが通過したのを確認してからドアを閉めた。行こうと言った彼女のあとを追う僕の頭の中をぐるぐるとまわるのはあの可愛らしいぬいぐるみのことだった。

沙織さんが年相応の女の子らしいものを持たないのは、彼女が城戸沙織であると同時にアテナだからだと思う。毅然として女神らしく行動しなければならない彼女は今までああいったものに憧れていても持てなかったのではないだろうか?

思えば、幼いころの彼女はいつも高そうなぬいぐるみや人形に囲まれていた。それを見なくなったのはいつからだろう…。



「瞬?」
「あ、なんでもないよ、沙織さん」

いつの間にか、考え込みすぎて立ち止まっていたらしい。沙織さんが不思議そうに僕の名前を呼んだのでようやく彼女とかなり距離が開いていることに気が付いて慌てて彼女を追いかけた。

(きっとぬいぐるみは、アテナに向けたものではなく沙織という少女に向けたものだ)(それがどういう意味を示すのか、この時の僕にはよく分からなかった)

食堂に入れば、かなり明るいシャンデリアの下の長机にすでに料理が並んでいた。紫龍や氷河も今日は城戸邸に泊まっていくらしく席についていたし、サガやアイオロスまでも席についている。ただ、ニケの姿が見当たらなかったが沙織さんはとくに気にした様子もなく席に着いた。僕も後から氷河の隣に座る。

その瞬間、ニケが飛び込んできた。



「沙織ー!!トイレの便座の蓋が勝手に!うぃーんって開いたの!!勝手にだよ!なにあれ魔法!?………あ、」


飛び込んできた彼女が手を握り締めてそう言った言葉に、アイオロスは目を丸くして、サガはアイオロスとの会話のジェスチャーのために人差し指をたて机の上についていた腕を滑らせて手の甲を机に打ち付けた。
氷河も紫龍も、彼女の言っている意味が理解できず一瞬固まり、しかし次第に理解し始めると目を丸くした。

笑ったのは、沙織さんだけだった。僕も、たぶん目が真ん丸になっている。そして固まった空気の部屋で動いているのは料理の出す湯気だけで、ニケはその雰囲気に次第に顔を真っ赤にさせて口元を手で覆った。


「ご、ごめんなさい、ごめんんさい、食事の時間に下品な話、」

林檎のように真っ赤になった顔で退散しようとしたニケを沙織さんが呼んだ。


「ええ、その話はあとでゆっくりと聞かせてもらいますから、とりあえずは夕食にしましょう、なまえ」
「いや本当ごめん…、あまりにも驚愕と感動して」
真っ赤な顔で沙織さんの隣に腰を下ろしたニケが両手で顔を覆って、もう一度「すみませんでした」と言った。

星矢がいたら、彼は案外こういう話が好きだから、きっと爆笑していたのだろうと考えてくすりと笑う。それに勘違いしてしまったらしいニケが真っ赤になる。サガとアイオロスからの戒めるような視線に慌てて弁解する。

「違うんです、星矢が聞いたら喜びそうな話だと思ってっ」
「瞬!」
今度は紫龍から呆れたような声で名前を呼ばれて、さらに失言したことに気が付いてだんだんと混乱する。「それに可愛らしい人だと思って」と続ければニケが机に倒れこんだ。

「子供でごめんなさい…」
「なまえ、顔をあげなさい。食事の時間ですよ」
「ごめんね、沙織…。ちょっとテーブルマナーの教室の入学を検討しておくよ…」

真っ赤な顔でのそりと起き上がったニケと目があった。慌てて「ごめんなさい」と言えば、ちょうど彼女もその言葉を発したところで見事にハモる。きょとんとした僕たちを見たアテナがふっと笑みを漏らせば、その場にいた氷河を除く全員がくすくすと笑った。

しばらくそうして、なんだか気恥ずかしくてか、真っ赤なニケにつられてか、自分の頬も赤くなるのを感じ始めたころに沙織さんがぱしりと手を叩く。

「それではいただきましょう」

女神たちと聖闘士の和やかで、それでいてどこか奇妙な夕食が始まった。


-------
おまけ?→

4/5