弟は教皇と女神を殺せと言った。

当時、女神を疑い始めていた私にはそれが誘惑のような甘みを持った恐ろしい言葉に聞こえ、改心を求めスニオンに弟を幽閉した。誘惑されることは恐ろしかった。日常を壊すことは恐ろしいことだった。まだ、…まだ、希望はあるのだと信じていた。もしかしたら女神は救ってくれるのかもしれないと愚かな一抹の期待を抱いていた。女神は、人ではない。神だ。何もできない風を装って、本当は救いを齎してくれるのではないか、と。


結果、弟は人の力では決して出ることの叶わないあの場所から消えた。

ゆえに私は彼は神の罰を受け、死んだのだと13年間信じ続けた。そしてそれがアテナに対する疑心を加速させる。私はただ改心を求めただけだった。弟の死を望んでなどいなかった。けれど弟はいなくなった。

アテナは、我々を、救わなかった。


決して一つの理由ではなかったと思う。今となっては思い出すことも困難な小さな出来事が重なって、結果私は、女神を信じることができなくなった。
その代わりに、私は自分を信じた。その結果迷うことなく多くの人間を殺めたが、私はそれに幾何の悔いもない。凝り固まった思考の持ち主たちは教皇を含め、もはや私の手にも負えなかった。

聖闘士の養成、そして聖衣の譲位の試験でたくさんの子供が死ぬことに疑問を持つこともない人間など必要ない。苦しんでいる男たちや、女たちが泣き叫ぶのを無視できる奴らなど人である資格などない。そんな奴らは自らが死んで冥界でゆるりと生死について考え直せばいい。人が人に罰を与えるのは傲慢か?それでも構わぬ。そう、私はそんなことにこだわるつもりは毛頭なかった。

人を救うのは神ではない。人だ。
人を救うために人を殺す女神など我らを統治する資格など持たぬ。それこそ本末転倒の馬鹿げた喜劇だ。そんなものに付き合ってなどいられない。


だが、それでも私なら、双子座のサガならば神にできなかったそれをもできる。

賛同してくれた仲間もいた。私たちなら、それができると信じていた。

あと少しだったのだ。
もう少しで私の望んだものは手に入りそうだったのだ。


「だが女神が、成長した女神が東方よりこの地獄に帰って来た」


そして戦いに敗れた私は自ら命を絶った。しかしそれは後悔からの行為ではない。


「それは神に対する私の最後の挑戦でもあった」

傲慢だと笑うのなら好きにするといい。私は後悔などしていない。
私は、自分にできるすべてをやったと信じている。殺される子供を、虐げられる女を、捨て駒にされる男を救った。ロドリオ村の生活水準は確かに13年前より信じられない速度で上がったと自負しているし、それは聖域ももちろん変わらなかった。だからこそ人の信頼を勝ち得た。私のした行いは全て私に帰ってきた。それが良きことであれ悪しきことであれ。その中に、多くの感謝があったことは私の傲慢な思い違いではなく、確かな真実。

だが、私が欲しかったのは感謝ではない。そんなものはいらない。まだ終わっていなかった。相変わらず子供は死んでいくし、差別は色濃く残っている。未だ拷問のような修行方法が変えられることは無いし、人を救うアテナのために人々が死んでいる。この女神のおひざ元であるこの場所で、

地上の平和を謳い、この世界を救うと言うのなら。
このサガを悪だと言うのなら。


女神よ、救ってみせよ。この地に生ける人を。


それが神に刃向った傲慢な男の最後の挑戦だった。


「私は、後悔をしていない」


なまえはただ、最後まで黙って私の話を聞いていた。黒曜の瞳が、揺らぐことなくまっすぐに自分を射抜くのをどこか爽快に感じながら、私は彼女を掴んでいた手を放した。

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