神殿へと帰って行った沙織ちゃんと別れてから、私は十二宮の階段をゆっくりと下る。

主が教皇宮で眠っているためか、とても静かな十二宮。双魚宮、宝瓶宮、磨羯宮、静かで荘厳なその場所をゆっくりと下っていく。まっ白な石畳のじゅうたんの上には、青く澄んだ空が、地平線の果てまで続いていた。

「・・・ん」

そうして訪れた人馬宮。

まだ寒い早朝だと言うのに、木漏れ日のなか、木の幹に座りこんでいるアイオロスさんを発見した。
かさりと、足元の落ち葉が音をたてて、彼はゆっくり振り返り、私を視界に入れるとにっこりとほほ笑む。

「おはよう、なまえ」
「おはようございます、アイオロスさん」
「昨日はすごい騒ぎようだったな」
「上半身裸で、嬉々としてミロさんとプロレスをしていた方の台詞とは思えな、わっ!!」

彼のしゃがむすぐ隣まで歩み寄って肩を竦めた瞬間に、腕を引かれて彼の胸に倒れこむ。

「いきなり何をするんですか!」
「うんー・・・?」

そのまま、私の背中に手をまわして苦しいほどに力を込めたアイオロスさんから逃れようと暴れてみるが、まったく意味を持たない。ならば、口頭で交渉するしかあるまいと、彼に向って声をかけたのだが、帰って来たのは間の抜けた返事一つで。何時も元気なアイオロスさんらしくなく、一体どうしたのだと、頬に触れる柔らかな髪の持ち主に問いかける。

「どうかしましたか?」
「・・・夢じゃ、なくて良かったと」
「はい?」
「目が覚めたら、もしかしたら、なまえが帰って来たのは夢だったってことになっていないかと思って」
「是非遠慮したい結末ですね」
「でも、良かった。君は、生きている。なまえは、ここにいる。本当に良かった」

そう言って抱きしめる力を尚も強めたアイオロスさんに、私はなんと返すべきか分からずに口を閉じてしまう。

何も話すことなく、ただ私を抱きしめるアイオロスさん。
もしかして、もっとも心配をかけたのは彼だったのではないだろうか。あの日、私を好きだと言ってくれた言葉が真実であるなら、きっとそうだ。だからこそ、普段元気な彼が、こんなにも静かに私を抱きしめてくれる。だからこそ、いつものような笑顔もなしに、ただ言葉少なに本心を吐き出してくれる。

世界最強の幸せ者とは、実は私のことではないだろうか。いや、ふざけているわけでもなく、本当にそう思えるのだ。こんなにも素敵な人に、思われているだなんて、まったく私は幸せ者だ。

そうして、今さらながらに好きだという気持ちが溢れてくる。

鈍感であるのも困りものだ。

どうして、この想いに気が付けなかったのだろう。どうしてこの思いに気がつくのが、あの土壇場だったのだろう。彼は、いつも傍にいてくれた。優しくしてくれた。私は、そんな彼にお礼も、自分の想いも告げることもなしに、あの場所で消えた。

だが、今はどうだろう。私は、聖域に帰ってくることが出来た。そして、再び彼に触れあえている。
奇跡的なハッピーエンドを迎えられたのだ。さて、そうして私がすべきこととはなんだろう。彼に対して、誠意で返すには一体どうすればいいのだろうか。

「・・・・・・」
「!」




そろそろと、彼の背中に手を伸ばしてみる。

「なまえ・・・?」
「・・・なんでしょうか」
「・・・随分と、今日は積極的だね」
「貴方が言うと、なにか卑猥に聞こえるのは私の気のせいでしょうか」
「ひどいな」

くすくすと笑った私が、そっと抱きしめる腕の力を強めると、彼が僅かに息を詰めた。

「なまえ、いつも、セクハラ反対と逃げ回られていたから、そんなことをされると思いあがってしまうよ」
「ええ、どうぞ。恐らくアイオロスさんの考えている通りなので、存分に思いあがってください」
「は?」

珍しく間抜けな彼の声に、笑いを漏らした瞬間、彼に思い切り引きはがされる。先程までうかがい知れなかったアイオロスさんの表情が、今は目の前にあって、驚きと、困惑と、そして僅かな期待が目に見えて、私はもう一度笑いを漏らした。

「私は、アイオロスさんが好きです」
「な・・・っ、なまえ・・・!?」
「傍にいたかった。一緒に生きてみたかった。だから、私は死にたくなかった。あなたが好きです」
「・・・・・・なまえ、・・・ほ、本当なのか?」
「嘘を言ってどうするんです?」
「・・・まさか夢とか」
「さっき、夢じゃないと言ったばかりじゃないですか」

そう言って笑いかければ、アイオロスさんは、しばらく、その色々な感情の垣間見える表情で固まっていた。だが、ふと私に視線を合わせた瞬間に、一瞬だけ表情をくしゃりと歪ませると、そのまま私に飛びかかってきた。木の幹と彼の顔から、葉っぱと太陽に変わった視界。そして、首に感じるふわふわのアイオロスさんの、髪。


「・・・なまえ―――――っ!!!!」
「え、う、うわああああ!!!」
「なまえ、なまえー!好きだ、誰よりも、何よりも!」
「ちょ、ま・・・!たんま・・・!ぎゃー!」
「好きだ、いや、愛してる!愛しているよ、なまえー!」
「お、重いー!」
「私の想いがかい!?」
「貴方の体重です!!」

何を言いだすんだ、この男はまったく!
だが尚も、好きだ好きだと繰り返して、私の上からどく気配などかけらも見せないアイオロスさんに、私は湿った土と葉の香を感じながら、のしかかる彼の体重にいつまで私の肺が持つかと言う思考をするに至ったのだった。









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