Episode 5


「カノンーカノンーカノンー」

「お前は壊れたCDプレイヤーか。少しは黙れ、馬鹿女」


人の部屋の寝台でごろごろと転がるなまえの額を叩いて黙らせる。突然押し掛けて来たと思えば、バクラヴァスを作ったのだとそれを押しつけ、人が食べている間ゴロゴロと転がっている。この女は些か自由すぎる。ここをどこだと思っているんだ。ああ、俺の部屋だ。それを、こいつは…!

「今日こそ感想聞かせて!そしたら元気出るから!」

「必要ない。お前はもう十分すぎるほど元気だ」

「まだ出るわ!」

「出さなくて良い」


そう言えば、また奴は俺の名前の連呼を始めた。煩わしすぎる。人の食事時くらい静かにできないのか、この女は!!

「黙れ!」

「きゃー!!」


拳骨を作って見せれば、なまえは名前を連呼するのを止めたが代わりに寝台から転がり落ちた。どさりという音とともに小さな悲鳴。


「良い年をして騒いでいるからだ」

「だっていきなり私に攻撃しようとしてくるんだもの!」


そりゃ誰だって驚くわとまた騒ぎ始めたなまえに溜め息をついて、バクラヴァスを齧った。まあ、それなりの出来だとは思うが、こいつが作ったという事実が未だに信じられない。砂糖と塩を間違えるどころか、薬と胡椒を間違えそうな女が、この焼き菓子を作れるか?実は人魚姫が作っているとかそういう落ちではないだろうな。


「今私にものすごく失礼なこと考えたでしょう!!」

「さあな」

「カノンー」

「いい加減にしろ。俺の名前を呼ぶなと言っているだろう」

「どうして?素敵な名前じゃない。貴方も気に入っているんじゃないの?」

「まさか」


こいつの言うとおり俺の名前が追複曲の意味を持つなら、気に入れるものか。俺はサガの追複のために生まれてきたわけではないし、そうしたいとも思わない。それなのにあの窮屈な場所では誰もが俺をサガとして扱った。兄に、何かあった時俺が変わって双子座の聖衣を継承する、ただそれだけのために“カノン”という人格は抹消されてきた。誰も、俺を知らない。誰もが、俺をサガだと思う。俺を知っているのは、俺と、サガと、教皇や一部の人間だけ。その扱いに耐えられるか?サガとして生きなければならないのなら、どうして“俺”がいる?俺は、本当に必要なのか?あそこでは常にそれを考えなければならなかった。サガを追うだけの屑のような日々。カノンという名前はただ俺自身をサガから切り離し、唯一証明してくれるものだから必要としているだけで、とてもじゃないが気に入れたものではない。

「俺は、追複のために生まれたんじゃない」

「けれど、それは一人ではないということだわ」

「…何?」

「追複曲は弾くならまだしも、歌う時は決して一人ではできないもの。誰か、一緒に歌ってくれる人がいなければできない。だから、私にはできないけれど、その名前を持つ貴方ならきっと」

「お前も俺に追複をして生きろと言うのか…っ!!」

「…違う。そんなことを言っているのではないわ。貴方は一人ではないと、それを名前が表してくれているということを伝えたかっただけよ」


本当に素敵な名前だもの、となまえは微笑んだ。だがそんなこじ付けで納得などいくものか。そう顔を反らせば、なまえがまた笑って口を開いた。


「規範」

「は?」

「規範、カノン、貴方の名前はギリシア語では規範や基準という意味だったのよ」

「下らん」

俺が、規範に基準?世界を手中に入れるために神を騙した俺が?馬鹿も休み休み言え。

「それに人体の美しさを表したりもするし、素敵な名前じゃない」

「俺にそんな言葉が当てはまるとも?」

「当然よ!」


なまえは途端に目を輝かせて俺の良さについて熱弁していく。が、正直まったく意味が分からない。俺はそんな良い人間じゃないぞと言えば、奴はへらりと笑った。

「貴方は良い人よ」

「何を根拠にそういう」

「貴方は私を助けてくれたから」

「おい、俺はお前なんて助けてない。いい加減俺に夢を見過ぎて妄想を抱くのは止めろ」

「ところでカノン」

「…なんだ」


すぐに会話を切り上げ、次の話にかえる馬鹿に、会話をする気はあるのか、とか話を聞けとか取り合えず言いたいことはたくさんあったのだが、なまえがあまりにも真っ直ぐに俺を見るものだから口を閉ざして先を促した。


「私、貴方の名前はとても素敵だと思うわ。とても好きよ」

「…馬鹿言え」

「だから、これからも貴方をカノンと呼んでも良い?」




微笑んだままのなまえはそれ以上何も言わなかったが、俺の返事を待っているのはその視線からわかった。ああ畜生、面倒な女だなと思いながらも、勝手にしろと、これまた勝手に動いた口を俺は止める術を持っていなかった。








拒めない
(こういうときに限って、柔らかく微笑むな、馬鹿女)

 

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