Episode 2
「海龍がね、私の料理を食べてくれるようになったのよ」
「本当ですか!?おめでとうございます!!」
ふわふわと湯気のでる紅茶の香りを楽しんでいると、唐突になまえがそう言った。テティスはその言葉に顔を輝かせて笑みを浮かべる。
「あの口を開くたびに拳骨を喰らっていたころに比べたら大進歩ね」
「海龍様がなまえ様の魅力にやられるのも、もう秒読みですね!」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね、テティス!」
きゃっきゃうふふ、と女子同士の会話を隣に聞きながらソレントは紅茶のカップを傾ける。穏やかな光のカーテンの仲、地上のように騒音もない、波音だけが響く空間を、彼女たちの楽しそうな声が満たす。
「ねえ、ソレントもすごいと思わない?あの海龍がよ?」
「貴女の料理の腕は確かだから」
そのわりに古代料理ばかり作るのは一体なんの趣味なのかと思うが、それもまあ一興。
ソレントは身を乗り出して自分を見たなまえに微笑み返す。
その裏で、あれだけ海龍のあとをくっついて回って入ればいかに彼といえど諦めるだろうとも考えたが、その言葉によって彼女たちの機嫌を損ねるのは面倒事にしかならないだろうと口に出すことはなかった。
そんなことを考えているだろうことをしらないなまえはソレントの言葉にふわりと笑う。
「ありがとう、ソレント」
「どういたしまして、なまえ」
ふわりと笑った彼女は、それなりの部類には入ると思う。ただ、性格が少し難点だと目の前に座るなまえを眺める。何を考えているのかよく分からないし、なにをしでかすかもよく分からない。たまに地上に出ては、船を沈めて慌てて海界に助けを求めにくることがあるが、一体彼女は何をしているんだか・・・。
だが、ソレントには人の色恋にあれこれ突っ込む趣味はない。なまえが海龍に惚れているというのなら、それはそれでこの何も代わり映えのない海界では、まあ面白いことではないかと放っておくことにした。
「良いペースかしら?」
「良いペースです、なまえ様!」
「この勢いで彼に婚姻届を叩きつけても大丈夫かしら?」
「きっと大丈夫です、なまえ様!!」
「頼むから止めろ」
「海龍」
少し身を乗り出して話し合う二人の女性の背後の見慣れた姿に、ソレントが片手を上げれば、彼も片手を上げ返してきた。が、すぐに海龍はほのぼのとしたお茶会の様子を見て溜め息をつく。
「こんな場所で何をのんびりと茶会などしている」
「参加しちゃう?」
「するか」
「あら、それはいけないわ!人生楽しまないと、あっというまに中年の仲間入り・・・」
「余計な御世話だ!」
口元に手をあてて、によによと笑いそう言ったなまえに怒鳴りつけた海龍になまえが身を縮めた。それを見た彼は、ゴミは残すなよといいながら背を向け歩きだした。意外と細かい所に五月蠅い男だ。だがまあ、このゴミを亀や魚が食べて腹を壊すようなことがあってはならないし、まあ正論なのだろうとソレントが頷くと同時になまえが立ちあがった。
「私も一緒に行くわ、海龍!」
「来るな!」
「そんな冷たいこと言わないで、ダーリン!」
「気色の悪いことを言うな、なまえ!」
いらいらとしている海龍をからかうなまえに、ソレントが若干の尊敬を覚えていると彼女は振り返り笑った。
「それじゃ、テティス、ソレント。またね」
それだけ言うと、彼女を待つことなく、さっさと歩いて行く海龍を見失わない様にか、なまえは駆けていった。・・・あれだけの拒否をくらって諦めないとは、なんというタフな精神の持ち主なのだろうとソレントが苦笑を浮かべると、テティスが胸の前で手を組んで呟いた。
「なまえ様の恋、きっと叶いますように」
「・・・恋?あれが?」
海龍のことが好きなのは分かるが、恋と呼ぶほど可愛らしいものかと人魚姫を見れば、彼女もきょとんとしてソレントを見た。
「なまえ様は海龍様を大変気に入っていらっしゃいます」
「・・・そうなのかい」
深夜寝室に攻め込んでみたり、背後から襲いかかってみたりと、もはや嫌がらせに近い攻撃のようなアタックだったから気がつかなかったと言えば、テティスは笑う。
「初めての恋なのでどうすればいいのか、なまえ様も、まだよく分かっていないんです」
「それならもう少し淑やかにすべきだと私は思うけれど」
「ふふ、でも、あれがなまえ様ですから」
好きな人の前で、本当の自分を出せることほど幸せなことはない。逆に好きな人の前に本当の自分を出せないことほど悲しいことはないと人魚姫は笑う。その後も何が楽しいのか笑みを浮かべ続けるテティスから、歩き去った二人のほうへ目をやったソレントはそっと息をついた。
そこには、ただ廃墟と、その先に永遠と続く水の壁以外、なにも望むことはできなかった。
「カノンッ、カノン!歩くのが早いよっ」
「ついてくるなと言っているだろう・・・」
まったくこの馬鹿女は、と溜め息をつく。そうすればこの馬鹿は幸せが逃げる!吸って吸って!とか訳の分からないことを騒ぎ始める。
「お前は本当に何がしたいんだ」
「貴方と恋がしたいんだ」
「ああ、お前に聞いた俺が馬鹿だったな」
そしてさらに、この馬鹿との付き合いが年単位なのも、実に馬鹿馬鹿しいことではないか。あの息の詰まる聖域から出、遠く海の底まで来たというのに、何故こんな訳のわからない存在に絡まれなければならないんだ。神はよほど俺のことが嫌いと見える。
「それでですねっ、カノンさん!」
「さん付けするな、気持ち悪い」
「今晩暇ですか?あ、暇?でしたら一緒に夕食でも」
何も答えていないのに、勝手に話を進めていくなまえの頭を叩いて止めさせる。彼女は頭に両手をあてると、目を丸くして俺を見上げる。なぜそんな驚いた風なのか、まったく理解できない。いや、こいつは馬鹿だから当然か。
「だ、れ、が、暇だと言った!?俺は行かん!海魔女と人魚姫とでも勝手に食っていろ!!」
せめて食事時くらいは静かに一人で過ごさせてくれという願いを込めたその言葉だった。だが、なまえは傍目からでも分かるほどに寂しそうな顔を浮かべる。それに若干の罪悪感を覚え、すぐにそんな感情は必要ないとかき消す。
「今晩は・・・、テティスは、ソロ家の坊ちゃんの覗き・・・じゃなくて、成長を見守りに行くって言うから・・・」
「あいつ、時々いなくなると思ったらそんなことを・・・」
思えば俺もこのクソ馬鹿女に覗かれたことがあったな。覗かれるジュリアンが哀れだと、勝手に地上にいる彼に感情移入しているとなまえが口を尖らせた。
「カノン、来ないのー」
「行かん」
「じゃあ今晩はソレントと二人かー・・・」
「・・・ちょっと待て、どうしてそうなる?」
「え?だってカノンもテティスも来ないから・・」
「それ、は・・・そうだが」
それがどうして海魔女と二人で食事をすることになる。
そう問えば、彼女はきょとんとして俺を見た。
「今日は毎週恒例海界ご飯の日だから」
「なんだそれは」
勝手に変な行事を作るなと言っているだろうと、拳骨を作って彼女の頭をぐりぐりと攻撃する。
「きゃああ!痛い!だ、だって・・・、みんなと仲良くしたほうが良いかなって・・・!いたっ、・・・うぅ、ウィ―アーフレンド!オーケー?」
「下手な英語を使うな、頭が痛くなる」
本当に頭痛の種な女だと、手を離してやれば、なまえは涙目になりながら頭を押さえた。
「カノン」
「・・・なんだ」
「ドメスティックバイオレンスは反対よ」
「違うといいたいが、どうせお前は聞かないのだろうな。ならばせめてパワハラにしてくれ」
一年前の自分ならば、もう二、三発殴っておきたいが、そんなことをしてもなまえにはなんの意味もないと海界で過ごした日常の中で嫌というほどに学んでしまったそのため、すでにへらへらと笑いながら小石を蹴り始めたなまえを置いて歩き去ることにした、のだが。
なまえは実に残念そうな声色で俺に呟いた。
「・・・じゃあ、今日はソレントと食べるから、来週は一緒に食べましょう?」
「待て」
「・・・?なに?」
立ち止まり振り返ればなまえは不思議そうに俺を見る。どうやらこの女の選択肢に、今晩は一人で食事を取るという考えは一切ないらしい。ああ、本当に面倒なことではないか!
「どこで夕飯を食うんだ!」
「来てくれるの?」
途端に、ぱっと嬉しそうな笑顔を浮かべ駆け寄ってきたなまえに、つい目を反らす。
「・・・お、お前のためじゃない!海魔女のためだ!!」
「え」
その言葉に途端に真っ青になったなまえにはっとする。しくじった。今の台詞は完全に誤解されてもおかしくない言葉だった!
「ま、まさか、カノンはソレントのことが・・・!?」
血の気を失くしたなまえの頭を叩けば、小さく呻き声が聞こえた。だがそれは気にしないことにしてすかさず言い返す。
「馬鹿を言うな、気色悪い!!お前に任せたらあいつが哀れだと思っただけだ!!」
「ひ、ひどい!私たち、マブダチなのよ!?」
今時マブダチなんて言葉を使う奴がいたのか。さらにそれを思っているのはおそらくお前だけだ。なんという一方通行。これも片想いと呼ぶのだろうかという言葉はのみ込んでなまえに場所を吐くよういえば、彼女は息をついて口を開いた。
「私の部屋よ」
「・・・分かった」
「カノンコレクションがいっぱいあるから、期待していてね」
「ああ、有難く全部異次元に捨てさせてもらう」
「な、なんてことを言うの!この一年頑張って盗撮したり盗聴したりして手に入れた私のコレクションを捨てるなんて許さないから!」
「常識的に考えて、お前のほうが許されんことをしているだろう、この馬鹿女!!」
海魔女、日常を過ごす
(テティス・・・、後をついていけば恋する乙女が見られるといっていたが、あれが?)
(海龍様も、少しずつなまえ様に心を開いてきているようですね・・・!頑張って、なまえ様)
(・・・彼が哀れだ)
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