「なまえ!!!」
「わあ、びっくりしたわ、カノン」
私を呼ぶ大きな声に意識を引き戻されて目を開ける。目の前には何故かとっても怒った顔の、彼。
「何をそんなに怒っているの?」
「いいか、お前は何度道端で眠るなと言ったら理解するんだ?いい加減にしないと踏みつぶすぞ」
「あら怖い、ふふ」
そんなことを言っても彼が実行しないと知っているから笑っていられるのだけれど、カノンは私の笑顔に顔を引き攣らせた。
「さっさと起きろ」
「カノン」
「なんだ」
「頭が痛いわ、飲み過ぎかしら」
「…バイアンと酒盛りをしていたのはお前か!!」
「だってあの子がビールを持ってきたから」
「あいつらにはまだ酒を飲ませるなと何度言ったら分かるんだ、お前は本当に!!!」
そう怒鳴った後カノンは溜め息をついて私を睨みつけてきた。それについ笑みを漏らしてしまえば、視線だけで殺されかねないと思うほどにさらに睨まれる。まったく、怖い顔。
けれど、始めてあった頃の仏頂面の連続に比べたら彼は随分と表情豊かになったと思う。基本的には怒っているか…、あれ、私はいつも彼に怒られているだけかもしれない。たまには笑ってくれても良いのに。まあ、それは兎も角ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めたカノンがなんだかおかしくて笑えば、彼はすぐに黙り込んで仏頂面になった。
「…早く起きろ、なまえ」
「カノン」
「なんだ」
「夢を見たわ」
そう言えば、カノンは私を見て、意味が分からないとばかりに顔をしかめた。
「は?」
「ふふ、ねえ引っ張ってー」
「…ふざけているのか、お前」
「まさか、ねえ、お願いよ、カノン!」
そう言って地面に転がったまま手を伸ばせば、カノンは溜め息をついたけれど引っ張ってくれた。やっぱりカノンは優しい。腕をひかれて起き上がる。背中についた土ぼこりをぱたぱたとはたきながらカノンを見上げた。
「ね、ね、カノンは初めて会った時もこうして起こしてくれたわ。覚えている?」
「……なんの話だ」
「初めて会った時の話」
「初めて会った時に、俺はお前のことなど起こしていない」
「起こしてくれたわ」
「起こしていない」
「起こしてくれた!」
「……望むのなら精神病院に連れて行ってやるぞ」
「もう!失礼ね!」
俺に妄想を抱くなと言ったカノンに溜め息をつきたくなる。まったく、予想通りと言えばその通りだけれど、やっぱりカノンはあの時のことを覚えていなかった。分かってはいたけれど、少しショック。
「えーと、12年前に、ギリシャのアゴラで助けてくれたじゃない」
「…は?…おい、ちょっと待て、俺とお前が会ったのは海界…」
「違うわ、その前に貴方と私は一度会っている。貴方は男の人たちに絡まれていた私を助けてくれたわ」
笑みをこぼしながらそう言えば、カノンは眉を顰めた。まあ、ひどい顔。
「12年前?」
「12年前」
「あれは…、」
「思い出してくれた!?」
「あっ、あれは助けたわけじゃない!!たまたまだ!というかあれはお前じゃない!!」
「私よ!」
「俺が助けたのがお前だとしたらおかしいだろう!!俺が助けたのは」
「私と同じくらいの女性」
「…そうだ、あれから何年たったと思っている?確かにお前はあいつと似ているが、」
「…ねえ、カノン!もし私が歳をとらない海の魔女だったらどうする?」
実に突拍子もない話だと思う。そしてある意味妄言染みていると、自分でも思う。だから、カノンが顔を思い切り顰めた時、私はそれになんとも思わなかった。笑みを浮かべている余裕があったのだから、それは確かだろう。けれどカノンはそんな私に顰めた顔を戻しもせずに言った。
「…おい、妄想もほどほどにしろ」
「……、ふふ、そうね。…カノン、女には化粧という武器があるのよ。案外歳を取らないように見えるものなのよ」
「若づくりか。じゃあお前は何才なんだよ」
「秘密!女に年齢を聞くのはマナー違反よ!」
ぱしりと彼の肩を軽く叩く。カノンは相変わらずしかめっ面のままだったけれど、それに対しては何も文句を言わなかった。ああ、地面に転がって昼寝をしていたせいで背中が痛い。
「うー」
「伸びるな、腹が見えている、見苦しい」
「失礼ね…。…さて、そろそろ夕飯を作りましょうか、カノン」
そう言いながら、カノンの手を取る。暖かくて、大きな手。彼はそっぽを向いて勝手にしろと言ったが、軽く手を握れば、そっと握り返してくれた。それが嬉しくて笑えば、笑うなと額をはたかれる。その変わらないようで変わっていく日々が、私は心底愛おしいと思えた。愛おしくて、かけがえの無い大切なもの。
きっとこのまま、彼や、テティスたちと楽しい日々を過ごしていけると、私はそう信じていたのだ。
(信じたかっただけだったのかもしれない)
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