ゆっくりと十二宮の階段を下る。
長い長い時の中、ずっとここにあった階段。まさか、もう一度下れるとは思ってもいなかったと、少し汚れた白の石畳を進んで行く。

太陽はまだ上ったばかりだ。
今頃宮の守護者たちは、まだ教皇宮で眠っているのだろうと考えていたのだが。
私の予想は外れたようで、人馬宮の外、大きな木の幹に寄りかかって空を眺めているアイオロスさんを見つけた。そういえば、確かに教皇宮で眠っている黄金聖闘士さんの中に彼は見当たらなかったなと歩み寄る。

「アイオロスさん」
「なまえ」
「おはようございます」
「ああ、良い朝だな」

にっこりと笑ったアイオロスさんに微笑み返す。良い朝だというのには同感だ。

「本当に無事でよかった、なまえ」

立ち止まった私に、幹に腰かけたままアイオロスさんがそう微笑む。心底安心したように吐き出された言葉に笑みを返す。彼にはたくさんの心配をかけた。そして、迷惑も。

「ありがとう、ございました、アイオロスさん」
「なまえが気にすることじゃない」

風が私たちの間をふわりとふいて行った。アイオロスさんは、相変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま。私の、大好きな、優しい笑顔。でも、それでも私は、自分の気持ちに気づいてしまった。自分の気持ちに向き合って、はっきりと意思表示をしてくれた彼に、私もそれを返すべきなのだと、なんとなく思う。

大好きだから。
これからも、友人でいてほしいから。

それが、どれほど残酷なことなのか、私には分からなかったけれど。


「・・・アイオロスさん」

あやふやなままなのは、嫌だった。

「・・・なんだい」
「この間の、・・・」

私の言葉の調子で、少しばかり表情を引き締めたアイオロスさんに口を開く。・・・が、どうしてもその先が続かない。どうしたって、もう彼を傷つけずにはいられないのに。未だに私は尻ごみをしている。そんな私を情けないと、笑うだろうか。

だが、アイオロスさんは、そのたった一言で私が言わんとしていることを理解したのか、少しばかり眉尻を下げて口を開いた。

「私の告白のこと?」
「・・・はい」

何故か悲しそうに笑ったアイオロスさんに頷いて、そのまま頭を深く下げる。石畳に落とされた私の陰が視界に入った。

「ごめんなさい、アイオロスさん・・・!」
「うん」
「アイオロスさんの気持ちはすごく嬉しいんです・・・!でも、でも私が、好きなのは、」
「分かっている。ずっと君を見ていたんだから。なまえ、泣かないでくれ。笑ってくれ」

いつのまにか、私の目の前にまでやってきていたアイオロスさんが、優しく、頬にこぼれおちていった涙を拭ってくれる。ああ、まったく、泣きたいのは私じゃないはずなのに、こんなときにまで彼に心配をかけさせるなんて、本当に私は情けがないな。

でも、私は

「・・・サガさんの傍で、生きてみたかったんです。だから、死にたくなかった」

そう言って、真っ直ぐにアイオロスさんの綺麗な色の瞳を見上げれば、彼は僅かに微笑んで私の頭を撫でる。

「それでいいんだ、なまえ」
「・・・いいんでしょうか」
「ああ、なまえ。なまえはそのままで良いんだ。私が好きになった君のままで。・・・ありがとう、なまえ」
「なんで、アイオロスさんがお礼を言うんですか!お礼を言わなきゃいけないのは、私なのに!」
「いいや、お礼をいうべきは私だよ」

彼の言葉の意味が理解できずに、首を傾げたが背中を優しく押されて思考を止める。彼を見上げればアイオロスさんは優しく微笑んだまま、人馬宮の遥か下にある双児宮を見た。

「さあ、サガのところへ行ってあげるんだ」
「・・・・・、はい」

優しく押されて、そっと足を踏み出す。この先に続く道に。背後に、優しいアイオロスさんの声を聞きながら。

「・・・・・・行ってきます、アイオロスさん」

その日、私はもう人馬宮を振り返ることはなかった。




なまえの去っていった十二宮の階段を眺める。こうしてゆっくりと感傷に浸りながら、幼いころから住んできたこの場所を眺めるなんて初めてかもしれない。
何にしろ彼女が来てから私にとって初めてのことだらけだったのだから、あながち間違ってはいないだろう。

なまえと出会ってから、始めて他の世界から来た人間を見た。
初めて、男として守ってやりたいと思った女性に出会った。
初めて、恋を知ったし、ただ一言に一喜一憂することもあった。

本来、聖闘士としてあり得ないはずだった日常が、確かにそこにあった。


幸せな日々、だったのだろう。


「ありがとう、なまえ。・・・愛して、いたんだ」

だから、どうか。私の隣でなくても良い。不器用で、それでも本当は誰よりも優しい私の親友の隣で、どうか、幸せになってほしい。そう、心から願えるほど、私は君のことが

「・・・好きだったよ」

始めて、私を私として見てくれた女性。本心から、優しくしてくれた女性。初めて、心底幸せにしてあげたいと願えた女性。



なまえ

確かに私は彼女を愛していた。

だから、互いのために。もう私はこの気持ちに別れを告げよう。






「さよなら」








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