「……それから絵の学校に行きました」


パタッと閉じた古びた絵本。何をするにも中途半端だった私はこの絵本でさえ未完成のまま。それは国語のノートに描かれていて、私が小学生のときに国語の課題か何かで描いたものらしい。物語の主人公は私で、テーマは将来の夢。多分、その頃の私が自分が絵描きになるっていう話を描きたかったのだろう。


ここまでは叶った。私は今、美大生だ。


小さい頃から何となく絵を描くことが好きで、中学高校と美術部に入ってそれか美大に行った。大して絵なんてうまくないから美大に入るのに苦労した。


美大に通ってるから才能があるわけではない。人よりも美的感覚が優れているからといって成功するわけでもなく、普通に主婦してますっていう人だっている。あの今では偉大なゴッホでさえ、その才能をきちんと認められたのは死んでからだった。絵で食っていける人なんてほんの一握りなんだ。これがお父さんの長い長い屁理屈だ。そんな親に育てられた私は身内みんなが認める程のへそ曲がりになった。親がするなということをするし、親がしろということはしない。

髪はぼさぼさ、服装だってテキトー。だけど学費は奨学金で、しかもバイトだってしてる。給料は全てキャンパスや絵の具や筆を買うのになくなってしまうけど、それなりに充実した日々を過ごしている……と思う。少し文句を言うとしたら、私に才能がないことだった。みんなまだ三年生だっていうのに就職が決まっていく中、私だけが取り残されたようになっている。アシスタントだかなんだか知らないけど、美術関係の仕事には就いていく友人たちに、私は嫉妬を抱いていた。

実家暮らしの私は毎日毎日親から『いい加減にしろ』と怒声を浴びせられる。もうどうでもいい。これが今の私の口癖になっていた。そういう時、行く場所は決まっている。


「廉造が高校生とか早いなぁ」
「寂しい?」
「そら寂しいわ」


もうすぐ廉造が県外の学校へ行ってしまう。

廉造はめんどくさいことが好きではない人間。だから居心地が良かった。真面目なことを言わないし、時々ばかなことを言って笑わせてくれる。かわいらしい弟みたいな存在。廉造も私のこと本当のお姉ちゃんのように仲良くしてくれる。昔から廉造の側が私の居場所だった。


「もうネェもやめなな」
「何を?」
「いじけたときに俺の部屋に来はるの」


廉造にわざと背を向けて横になる。そういうこと言わんといてよ。そう言いたくても言えない。だってそう言いたい理由が自分でもよう分からんから。


「やめへん。…廉造の匂いがするさかい安心するし」
「ふぅん」


くるっと体を廉造に向け、廉造を見ると男の子な顔してるくせに、照れてるせいかかわいく見えた。

どうして私の言葉なんかでそんな嬉しそうな顔を浮かべてくれるのだろうか。この顔がすごく好き。


「あ、廉造さん、今スケベなこと考えたやろ」
「…か、考えてへんし」


そして、私は戸惑うような廉造の顔も好き。


「んなことより、また人生相談ですかおねぇはん」


不覚にも、にっと笑みを見せる廉造にときめいてしまった。


「ん……私ってちっさい時からの夢、美大に行くことやろ」
「もしかして、あの帳面に描いとったやつのこと?」
「そう。あれってそれからの話がないやん」
「単純に考えて、それからの話が今なんやない?」
「…あぁ、そういうことか」
「これからどうするかは自分次第ってことなのだ」
「ふ、なのだって」


廉造が珍しく正当なことを言うからか、胸がざわついた。もしかしたら廉造が私の横に寝転がってきたせいかもしれない。廉造との距離が近くて、それに体が反応してるのかもしれない。

廉造が肘をついて顔を上げるとそこから私は見上げる形になった。


「これからどないすればええと思う?」
「答え決まっとるんとちゃう?」
「…わ、私な」
「ん」
「学校やめたい」


顔を廉造の背中にくっつけ、うつ伏せに吐いた言葉は本心なのかどうか分からない。自分のことなのに変なの。だけど廉造が県外に行ってからその三日後に私は学校を中退した。不思議と後悔はなくて、まぁ言うならば学校を中退することに誰も反対しなかったことが悔しい。ただ、柔造さんに話すと笑いながら『俺はあの絵、なごむし好きやったけどな』と本心なのかただのお世辞なのか分からないことを言われた。柔造さんは廉造に似ているから、こんな顔をしながら廉造も同じことを言うのだろうかとふと思った。廉造に本当に学校をやめたって言ったら何て言うんだろうか。今はそのことでいっぱいになってる。

ある日、廉造が帰ってきたと近所のおじさんが教えてくれた。里帰りではないようだったけど、それでも私は一目会いたかった。きっと廉造も同じ気持ちだと妙な自信を持って虎屋旅館に向かうと、懐かしいような懐かしくないような笑顔に会う。


「廉造、モデルになってくれへん!?」
「え、感動の再会でいきなりそれ!?…えっと…まさかヌード?」
「はは、なんそれ。きもい」
「えげつなっ!」


胸には安物のまっさらなスケッチブックに、家にあった鉛筆。それから小学生のときに使っていた絵の具セットを肩にかけた私を見るなり、廉造は戸惑った表情を見せる。

「今な、好きなもん描くのにハマってんねん」と理由を言うと、廉造は照れくさそうな表情を浮かべた。

廉造は気付いているだろうか。これでも前よりお洒落に気をつかうようになったし、よう笑うようになったって言われるようになったってことを。


廉造が寄りどころだった。ある意味今も廉造が寄りどころだ。


めんどくさいことを避ける廉造に惹かれたんじゃなくて、自分の思うように動く廉造に惹かれたんだ。きっとそう。


「学校な、ほんまにやめた」
「そうやと思った」
「へ?」
「すっきりしたような顔してはる」


久しぶりに帰ってきた廉造の頭はピンク色になっていて、自分がしたいようにしたんだろうなと思ったらなんだか笑えた。




閉じた絵本のそれからの話

(未来をどう描いていくのかは自分次第なのだ)

120120
少女画伯」様へ提出。
ありがとうございました!