虎屋旅館を継ぐつもりはなく、家を飛び出してきてもう何ヶ月だろうか。

あそこの旅館も悪くない。そう思うようになったきっかけは昔来た家族連れの客の中の俺くらいの女だった。顔はよく覚えていないが笑顔が印象的だったように思う。あの旅館をかなり誉めてくれた。だから子供心にいい旅館なのだろうと確信していたのかもしれない。


合コンなんて来るつもりじゃなかった。
カラオケ店にしてはバラエティー豊かなメニューを眺めながら、不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。志摩が狙っとる女子がおるとかでどうしてもこの合コンを開きたかったらしい。人数合わせとして呼ばれたがこんな場、来るんじゃなかったと今更思う。こんなとこ、坊主が来るとこではない。

人数合わせだったら奥村とか子猫丸とかもっと別のやつ誘えよ。わけわからんわ。

俺ら男が先に来て、志摩や他のやつはこれから来る女子に期待の言葉を口々に言っていた。俺は黙ってその話を聞く。30分くらいしてから、やっと女子たちがやって来た。上機嫌に笑顔を振りまく数人の女子のあと、最後に俺と同じく不機嫌そうな顔をして入ってきた女子は志摩の狙っとる女だった。志摩が俺に「あの子」と目で合図を送ってくる。その女子を見るのは初めてだった。志摩の趣味や興味のない俺は志摩の好きな女の姿を想像していたわけではないが、浮かんだ言葉は"意外"だった。どうせぶりっこでチャラチャラした女なんだろうと思っていた。それがそうでもなく。


「メニュー、メニューっと。あったあった」


女は俺の目の前に座った。別に挨拶をするわけでもなく、女はメニューを手に取り、メニューを立てるようにして眺め始める。幹事である志摩が上機嫌に進行していく。自己紹介をしていこうと声を上げると女は少しだけメニューを下げ、女の眉間に更にシワが寄った。


あぁ、この女も合コン来るん嫌なんやな。

仲間意識が芽生えたような感覚だった。女は店員を呼んで白玉アイスとかいうやつを頼んだ。隣で高い声で笑う友人なんて気にとめず、直ぐにきた白玉アイスに目をキラキラさせている。これはまさに、花より団子。


「花より団子」
「え?」
「あんたにピッタリな言葉」


俺が嘲笑いながらそう言うと、女は「誰やっけ」と間抜けな顔して言ってきた。初対面や初対面。

黙っていると女は何かひらめいたような顔をして、「あ、あー!」と指さしてきた。なんなんこいつ。


「分かった!」
「……」
「とらすけくんだ!」
「ちゃうわ!とらすけって誰やねん!」
「あれ、違ったか。確かにそんな派手な頭じゃなかったかも」


人違いしたくせして詫びた様子もなく、女はまたメニューを手にとってにやにやしながら眺め始めた。俺には興味なしかいと少しだけムッとする。くそ、なんでこんなんに一々イライラせなあかんねや。恋だの愛だの女欲しいだの志摩みたいなこと言うてる暇ないんや。俺にはでっかい野望があるねん。

はよう帰って勉強せなあかん。

いっちょもおもんない合コンが終盤に差し掛かった頃、女が口を開いた。俺にこそっと言うかのような小さい声で、少し体を前屈みにして。


「ねぇ」
「はん?」
「私たちだけアウェイな感じだよね」


女が言うように俺と女だけ志摩たちと温度差があった。女を狙っていると言ってた志摩は女に話し掛けることなく、別の女との会話に盛り上がってる。


「カラオケに来たのに誰も歌わないとか勿体ないよね」
「確かにな」
「ね、何か歌おうよ」
「は?自分一人歌ったらええやん」
「恥ずかしい」
「だったら歌うなや」
「……歌うもん」


しょんぼりと肩を下げた女は食べ物のメニューではなく、カラオケのリモコンを手に取った。そして選択した曲は聞いたことのあるようなないような曲。どうやら昔流行ってた子供に人気があるアニメソングらしい。

女は食べ物を選んでいるときのようににまにました笑みを浮かべ、歌い出した。正直うまいかどうか分からへん。俺は歌声というよりは女の表情をまじまじと見てしまった。

俺が見ているせいかやたら目が合う。ちらちらとこっちを見ては、口角を上げてくるその顔はまるで挑発しているかのようだった。けど、笑っているのは多分歌を歌う行為そのものが楽しいからだと思う。

合コンが終わった。志摩によると男が女を送っていく決まりになっているらしい。なんなそのルール。とりあえず前の席の女に声を掛けた。


「送ってこうか」
「いいの?」


また挑発するかのような笑みを見せる女。


「名前も知らない女を送ってくことに抵抗ないの?」
「食い意地張っとって色気なし。それだけ知っとけば十分やろ」


そんな女に俺も同じように笑ってやった。


「てか、自分やって名前も知らんような男に送ってってもらうことに抵抗ないんか?」
「わ、私は勝呂くんのこと知ってる!昔、京都へ家族旅行に行ったときに、旅行先の旅館で勝呂くんがいて…」
「……は?」


突然何を言い出すんだと思った。


「でも名前聞きそびれちゃって、」
「……」
「覚えているのは…」
「『虎屋旅館』?」
「うん!」


俺のことを『とらすけ』と言ったのはどうやら自分のことを思い出してほしかったらしい。そもそも、覚えてへんし。全く記憶にない。そういうことされても分かる訳ない。

あのとき、志摩も子猫丸もおったはずだが、俺しか覚えてないらしい。女に印象つけたのはどうやら俺の目らしく、女は俺を見た瞬間『目つき悪いなこいつ』と思ったらしい。

志摩と女は目を合わせ、女はピースをした。お前らグルかよ。


「学校で勝呂くん見たとき、やばいと思った」
「やばいって何」
「だって運命感じるじゃん」
「俺は感じひんかった」
「勝呂くんって鈍感なんだね」
「んやと?」
「ははっ」


俺が怒っているのにも関わらず笑う女は案外可愛くて、


「苗字名前。これ私の名前だから」
「……」
「名前ちゃんって呼んでもいいよ?」


少々生意気やけど、


「うっさい。ほんまは名前って呼んで欲しいやろ」
「うん!」
「……」


やっぱりどこか可愛い。


「これから宜しくね」
「…宜しくしたらん」
「ここで仲よくならなくてもさ、どうせまたどこかで会うんだから」
「……」
「運命には逆らえませんよ」


にまにま笑いながらやたら『運命』を強調してくる。そんな名前の『どうせまたどこかで会う』っていう言葉に、俺も少し同感してしまった。それは少し名前との『運命』を感じてしまった証拠かもしれない。ああ、この感じがそうなんか。


これを運命っていうらしい

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