灯りを消して
 恋に、夢中になったことがない。だからこんな状況ですら冷静なのだろうか。

「お前は一人で大丈夫だろう。この子は俺じゃなきゃ……」
「ごめんなさい、西さん……っ」

 仕事の休憩中。屋上に呼び出された私はつまらない茶番を見せられている気分だった。
 3年付き合い、結婚の約束をしていた彼氏が他の女の肩を抱いている。その女は人の物好きと社内で有名な女の子だった。
 でも、泣いている。悲しいという感情も出てこない私よりこの子の方がもしかしたら彼のことが好きなのかもしれない。例え嘘泣きだとしても。嘘泣きの労力すら勿体無いと思っている私よりは。

「そう……。仕方ないわね。今週末の両家顔合わせの会場は私がキャンセルしとくから」

 気掛かりと言えば、ようやく結婚と安心していた両親に申し訳ないということだけか。
 はぁ、とため息を吐いて彼らに背を向けた。そんな私たちを見ている人がいるなんて、この時の私は全く気付いていなかった。
 その日の夜は部署の飲み会があった。正直騒ぐ気分でもないし気が進まなかったけれど、主任の私が参加しないわけにもいかない。
 明日の仕事に響くからと早めに帰ろう。それに上の人間がいたって若い子たちは存分に楽しめないだろうし。

「西さん、飲んでますか?」
「飲んでるよ。明日も仕事なんだから、あんまり羽目外し過ぎないようにね」
「オイオイ、固いこと言うなよ」

 私にお酒を勧めてきた部下の肩を抱いて現れたのは同期の矢島。既に課長に昇進して結婚もしている、そして二人目の子どもがこの前産まれたばかりという順調すぎる人生を歩んでいる同期だ。

「そんなカタブツだから彼氏もできねーんだよ」
「あなたに関係ないでしょ」
「俺は同期を心配してやってんだ!」

 付き合っていた彼氏は会社では関係を秘密にしたいと言っていたから、私に彼氏がいたことを周りは知らない。社内恋愛は色々大変だからと言われ、確かにと思い納得したけれど、今考えてみれば遊びたかったからかもしれない。
 あれ、それならどうして「人の物好き」の彼女が彼を狙ったんだろう……。
 一瞬そう思ったけれど、もしかしたら狙ったのは彼女じゃなくて彼かもしれないし、「人の物好き」の彼女のことを知っていた彼があえてバラしたのかもしれないし。
 二人のことは私が知る由もないし興味もない。若い女の子に彼氏を取られた惨めさは多少感じるものの、きっとすぐに忘れるだろう。
 そう思い直してビールを一口飲んだ。ああ、この苦さには大人になっても慣れない。

「お前、いい加減干からびるぞ」
「どうして?」
「いい恋していいセックスしないと!なぁ、馬場?!」
「俺もそう思いまーす」

 いい恋、いいセックス。こんな結果になってしまっては果たしてそうだったのか分からないけれど、私は彼と付き合ってそれなりに満たされていたと思う。
 抱かれながら「好きだ」と言われるのは嬉しかった。プロポーズを受けた時も幸せだと思った。あれを満たされていなかったと言うのならば、私は今までの人生で「満たされる」ということを経験したことがない。

「仕方ねーからうちの課の一番のイケメンを紹介してやる!仁科!」

 矢島に呼ばれて少し遠い席からやって来たのは同じ課の仁科くんだ。直属の部下ではないけれど、同じ課だからもちろん知っている。

「紹介って、知ってるけど」
「仁科ー、コイツ枯れちゃってんだよー」

 聞けよ。
 酔っ払いの相手は正直面倒だ。トイレに逃げようかなんて考えていたら、矢島がとんでもないことを言い出した。

「仁科、コイツのこと抱いてやってくれ!」
「はぁ?!」

 何言ってんだ!酔っ払いどころじゃない。強制送還されるほどの泥酔だ。

「馬場くん、悪いけどタクシー呼んでやって。矢島帰そう」
「何言ってんだ!俺は同期が幸せになるのを見届けてから帰る!」

 面倒くさ!矢島の奥さんに電話して迎えに来てもらおうか。いやでも乳飲み子を抱えた奥さんにこんな時間に外に出て来てもらうわけには……

「俺でよければ」

 ニコッと微笑んだ仁科くんに、私以外の全員の時間も止まった。よし!と満足げなのは矢島だけだった。

「さっきのことは気にしなくていいから」

 みんな二次会に行ってしまったのに何故か仁科くんはまだ隣にいた。矢島の言ったことを律儀に守っているのだと思うと申し訳ない気持ちになる。

「今から二次会行く?帰りたいならタクシー止めて……」
「西さん」

 大通りに向かって一歩踏み出した足。そんなに酔っていないはずなのにふらりとよろめいた。腕を掴まれていると気付いたのはその後。あれ、私思った以上に酔ってる?

「俺じゃダメですか?」
「え、何が?」
「俺じゃ、恋愛対象にも入れないですか?」
「……」

 仁科くんの言っていることが理解できない。恋愛対象?誰が?仁科くんが?

「……ごめん、ほんとにさっきの矢島は気にしないで……」
「違います。俺ほんとに西さんならいいと思ってます」

 熱い瞳で見つめられると、ふわりと体が宙に浮いたような感覚になる。こんな風に求められると、ああ私まだ女でいていいんだ、なんて。
 でも今まで男の人に裏切られるような経験ばかりしてきたから、たとえその原因が私だったとしても、簡単に男の人を信用できるような可愛い女の子にはなれなくて。ついさっきも、裏切られたばかりなのだ。だから。

「口説くならもう少し可愛い女の子のほうがいいんじゃない?」

 微笑んでそっと腕を外した。仁科くんは何か言おうとしたけれど、観念したように目を逸らした。
 少しホッとした。あんな目を向けられるのは、少し居心地が悪い。

「……正攻法じゃ無理か」
「え?」
「いえ、何でも」

 ボソッと何かを呟いた仁科くんを振り向いたけれど、仁科くんは微笑むだけだった。
 大通りに出て、とりあえず仁科くんのためにタクシーを拾ってあげようとしたけれど、なかなか捕まらない。終電もまだある時間だ。申し訳ないけれど駅まで歩こうか。そう言おうと振り向いたら、大通りと繋がっている少し細い路地で仁科くんがタクシーを捕まえていた。さすが仁科くん、できる男だ。感心しながらタクシーに向かった。

「ごめん、なかなか捕まらないから相乗りしていい?」
「もちろんです。送ります」

 二人並んでタクシーに乗り込んだ。タクシーに乗ると、心地いい揺れと酔いと疲れで眠気が襲ってくる。そういえば、私今日彼氏に振られたんだ。ああ、両親に何て言おうかな。精神的なダメージはないとほぼないと思っていたけれど少しあったのかもしれない。何だか今日はいつもより疲れている。

「仁科くん、ごめん、着いたら起こして……」

 それだけ言って、私の記憶は途絶えた。
 どこからか水が流れる音がして目が覚めた。最初に見えたのは明らかに自分の家にはないおおきなテレビ。あれ、ここどこだろう……。そこまで考えて気付く。あ、ここラブホだ、と。

「起きました?」

 いつの間にか水は止まっていたらしい。聞き覚えのある声、そちらに視線を向けると同時に酷い頭痛がした。最悪の想像をしてしまって思考が停止する。

「西さん……、いや、明日香さん」
「……」
「体の関係になっといて逃げるなんて、そんなひどいことしませんよね?」

 ニコッと微笑んだ仁科くんに黒いオーラを感じたのは、きっと気のせいじゃない。
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