引力
「ビックリしたよー、まさか真琴が菅野くんと付き合ってるなんて」
「いつから?東京で再会したの?」
「いや、あのね……」
「実家が隣なのは知ってたけどさ。高校の時すっごい遊んでたけど今は大丈夫なの?」

 久しぶりに会った地元の友達。いくら仲が良くても綾人くんから口止めされていたから私たちがもう10年付き合っていることはみんな知らない。最近綾人くんは交際をオープンにすると行動を起こしてくれたけれど、今でもどこまで言っていいのかわからない。そして、私は相変わらず不安だらけだ。

「ごめん、あんまり言えないんだ……」

 そう言うと、みんな「仕方ないか」と言いながら不満そうな顔をする。綾人くんは学生時代から飛びぬけてカッコよくてみんなのアイドルだったし、芸能界という華やかな世界にいる綾人くんに近付きたいと、きっと誰だって思う。

「そういや、由奈が久しぶりに会いたいって言ってたよ」
「え……」
「元サヤ狙ってんでしょ」
「ほんと、気つけなね」
「うん、ありがと……」

 由奈ちゃん。高校のクラスメートで、学校で一番の美女だと言われていた人だ。高校二年生の時、綾人くんはずっと由奈ちゃんといた。学校でも、放課後も。だからみんな由奈ちゃんが綾人くんの元カノだと思っている。実際、私もその頃とても悩んでいて、でも綾人くんに鬱陶しいと思われるのが嫌で何も言えなかった。綾人くんは由奈ちゃんについて何も言わなかった。ただ夜遅くに部屋に呼ばれて体を重ねて、ただのセフレのような扱いを受けていた。……で、私は何で何も言わずにそれに応じていたのだろう。どれだけ綾人くんのことが好きだからと言っても、そんな扱いを受けて何も言わなかった私、ただの都合のいい女じゃん。今でも思い出すと辛い。
 結局二人は大喧嘩をして三年生になった頃に別れたと噂で聞いた。彼氏が他の女の子と別れたという噂を聞くってどういうことだろう。まあ、それ以外にも綾人くんが遊んでいた女の子は他にもいたわけだけど、浮気をされていたのか、それともただの噂だったのか。この前綾人くんは「俺は生まれてから22年間お前以外を彼女にしたことはない」って言ってたけど……。一度、聞いてみようかな。そう決意して、私はみんなと別れたのだった。
 その日綾人くんが帰ってきたのは深夜だった。帰ってきた綾人くんは疲れ切ったようにソファーに寝転んだ。

「綾人くん、ちゃんとベッドで……」
「……」

 答えない。顔を覗き込めば綾人くんは綺麗な寝顔で規則正しい寝息を吐いていた。忙しいし、仕方ないか……。ため息を吐いて、私は綾人くんにもたれるような体勢で眠りに就いたのだった。
 体が揺れた気がして目を開けた。すぐ近くに綾人くんの顔があって驚いて体を揺らす。

「オイ、暴れんじゃねえ」
「っ、ごめん、」
「ベッドで寝ろ」

 綾人くんに横抱きにされている最中に目が覚めたらしい。私を軽々とベッドに運び、綾人くんは覆い被さってくる。

「っ、待って、」
「……」
「綾人くん、聞きたいことがあるの!」

 私の言葉に綾人くんは止まる気配もなく。嫌だと胸を叩けば機嫌悪そうに見下ろしてくる。綾人くんに何度も抱かれて知り尽された体はそれでも敏感に反応して。私はそのまま熱に呑まれた。
 次の日、綾人くんはまた朝早く出掛けていった。聞ける雰囲気でもなく、結局言葉を呑み込んで。こうやって何度言葉を呑み込んできただろう。これじゃダメだ。分かってるのに、私は結局あの日と変わらないままだ。
 仕事に行っても好奇の目で見られる。はじめは嫌だったけどもう慣れてしまった。綾人くんのお友達紹介して、なんて言われてお断りするのは面倒だけれど。

「お前、全然幸せそうじゃねえな」
「え……」

 突然そう言われて、顔を上げると上司の高杉さんがいた。思わず目を逸らした私に、高杉さんは笑う。

「誰もが羨むような男と付き合ってるくせに、全然幸せそうじゃねえ」
「……」
「お前、無理してんだろ」

 無理。ずっと思わないようにしてきた。私の気持ちが切れたらその日が綾人くんとのお付き合いが終わる日だと、そう思って来た。私はずっと必死で、今にも切れそうな細い細い糸のような繋がりを引っ張っていた。でも、綾人くんはどうだった?綾人くんは私を大事にしてくれてる?分からない。即答できないのが悔しい。ぽろっと零れた涙が床に落ちた。私は慌てて涙を拭う。ごめんなさい、と言えば高杉さんは深いため息を吐いた。

「お前の泣き場所になってくれないような男、やめとけ」

 ずっと、我慢してきた。綾人くんの前で泣いたら鬱陶しいと言われると思っていた。泣き場所になってくれる人。黙って私の涙を拭いてくれる人。……綾人くんじゃ、ないのかな。
 その日、高杉さんが誘ってくれて飲みに行くことになった。高杉さんはもうすぐ結婚するらしい。私の話はしていても泣きたくなるだけだからずっと高杉さんの話を聞いていた。高杉さんは少し綾人くんに似ていた。綾人くんはテレビの中では爽やかに笑っているけれど、実際喋るとかなりドSだ。高杉さんと話しているのは楽だった。何も不安にならなくて済む。こう言ったら嫌われるんじゃないか。綾人くんといるとき、私はいつもそんなことばかり考えている。
 高杉さんに送ってもらって、家に帰った。楽しかったな。今日は随分酔っ払ってしまった。ふんふんと鼻唄を歌いながら、エレベーターを降りた。そして、自分の部屋の前に座り込む人を見て固まる。

「……遅ぇ」
「ご、ごめん!」

 反射的に謝ってしまって、それなら連絡くれたらいいのになんて頭の中だけで思う。突然来られても、私にだって用事があるんだよ、と。鍵を開けて部屋に入った瞬間、後ろから抱き締められて服の中に手が入ってくる。……ずっと、私は同じことを繰り返している。あの頃と同じ。言いたいことはたくさんあって、泣きたいくらい悲しいのに、綾人くんに触れられると何も言えなくて。体の向きを変えられて綾人くんと向き合っても、目の焦点が合わなくて綾人くんの顔が見えなかった。

「……オイ」
「……」
「真琴、」
「ごめん、離して」

 綾人くんは素直に離れた。綾人くんの手から逃れるように部屋に入る。ソファーに投げるようにバッグを置いて、キッチンに入った。

「……飲んでたのか」
「うん」
「誰と」
「上司」
「男か」

 ほんと、何しに来たんだろう。自分のことは棚に上げて、私を責める。高杉さんの言葉が蘇る。

『お前の泣き場所になってくれないような男、やめとけ』

 ほんと、馬鹿みたい。

「そうだよ。だから?綾人くんだって色んな女の子と遊んでんじゃん」
「あ?」
「私はセフレですかって」

 ……ダメ。今私は酔っ払っている。こんなこと言っちゃダメ。綾人くんに嫌われちゃう。なのに、口は止まってくれない。

「他の女の子と遊んで、帰ってきたら私を呼んで。ヤるだけヤったら終わり。ほんと馬鹿みたい。ヤりたいだけなら他の女の子にして」
「……」
「私今まで綾人くんとしか付き合ったことないからさ。他の男の人とも遊んでみる」

 そんなこと、思ってないのに。私は綾人くんが酷い人でも、ドSで優しくなくても、好きなの。馬鹿みたいに、綾人くんだけが。ポタリとシンクに涙が落ちた。綾人くんの前で泣いたのは初めてだった。しばらく重苦しい沈黙が続いて、先に口を開いたのは綾人くんだった。

「……遊べば」
「え……」
「他の男見ればいい。んで、また俺を選べ」

 言っている意味が分からなくてじっと綾人くんを見つめる。綾人くんは対面式のキッチンの向こうで私に向かい合っていた。いつもと同じ、クールな顔。

「確かにお前に甘えてる自覚はある。でも俺は他の女と遊んでない」
「っ、でも、高校の時も……」
「遊んでねえ。付きまとわれてたの間違いだろ」
「う、うそ、」
「まあでも、付き合ってるって噂を否定はしなかった。それでお前に女の嫉妬が向かないなら、それでいいと思ってた」
「……っ、そんなこと、言ってくれないと分かんないよ……っ」
「……恥ずかしいだろうが。好きとも言えねえのに」

 綾人くんはふいっとそっぽを向く。その横顔が少し赤く染まっている気がした。

「私、悲しかったんだよ、他の女の子と綾人くんが付き合ってるって噂聞いて、私ただのセフレなのかな、とか、二股かけられてるのかな、とか、綾人くんはどうして私と付き合ってるんだろうとか、いっぱい、」
「真琴」
「っ、なに、」
「さっきの、嘘。やっぱり他の男と遊ぶの嫌だ」
「っ、綾人くんは、ずるい、本当に、ずる、」

 ポロポロと零れる涙を、綾人くんの長い指が拭う。綾人くんは、私が泣いても鬱陶しいと言わなかった。それどころか、少し安心したように微笑んだ。

「俺のこと好きなんだろ。なら、他の男のこと見るな」

 10年間我慢していたことが、固くなった心が少しずつ溶けて行く。今すぐに全部は無理でも、少しずつ。

「男としてのプライドとか、恥ずかしいって気持ちとか、捨てる。俺にはお前が必要だから」

 長い長いすれ違いを、少しずつ、少しずつ、埋めるために。心の中をさらけ出さないと。綾人くんも、少しだけど、見せてくれたのだから。

「泣いても、怒っても、私のこと嫌いにならないで……っ」
「……馬鹿だろお前。嫌いになるか」

 近くに来た綾人くんがぎゅっと抱き締めてくれた。私は綾人くんの優しい腕の中で泣きじゃくったのだった。
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