機嫌の直し方
「オイ、ちゃんと歩け」
「たかしゅぎしゃん、ごめんなさいぃ、でゅふふ」
「笑い方ヤベェぞ」
会社の飲み会で飲まされすぎた。彼氏イケメンなんだから飲みなさいよなんて理不尽な理由で。泥酔した私を嫌そうなわけでもなく送ってくれる上司の高杉さんはとても面倒見がいいと思う。お人好しと言うべきか。
「部屋どこだ」
「えっとねぇ、203……いやいや違う、302だったかなぁ」
「せめて何階かは思い出してくれ」
私を支えてくれる高杉さんの腕が硬い。綾人くんも引き締まった身体をしているけれど、高杉さんのほうが筋肉質だ。綾人くんは役によって体型が変わる。あまり鍛えたりしないほうがいいらしい。私は男の人の裸はお父さんと綾人くんしか見たことがないけれど、どんな感触なんだろう。
「高杉さん、いい身体してますね」
「あ?」
「ちょっと触らせてください」
「何急に饒舌になってんだよ。俺は浮気はしないの」
「私だってしないですよー。ちょっと触りたいだけ」
「エロ親父みたいなこと言うな」
そんな会話をしているうちに3階に着いた。前に私が3階に住んでいる的な話をしたのを、記憶をフル動員させて思い出してくれたらしい。
エレベーターが開く。「あ」と高杉さんが立ち止まった。
「高杉さんー、ドア閉まりますよー」
「水沢」
「はいっ!」
「彼氏」
「えっ」
エレベーターのドアの向こうに確かに見えた。私の部屋の前に座っていた綾人くんが、私に気付いて立ち上がるところ。私は無意識に背を正した。高杉さんに寄りかかっていた体を無理やり起こした。少しふらついて、高杉さんに手を引かれた。
「水沢、無理すんな」
それは酔っ払っているから無理をするなという意味か、それとも。前に言われた「お前の泣き場所になってくれないような男、やめとけ」そういう意味か。
「真琴」
近くまで来た綾人くんが私を呼ぶ。肩がビクッと跳ねた。
「水沢、俺帰るけど。いいな?」
高杉さんにそう言われて、エレベーターを降りる。
「会社の飲み会で飲まされすぎたんです。じゃあな、ゆっくり休めよ」
「ありがとうございました」
高杉さんと綾人くんの会話をぼんやり聞いていたらエレベーターが閉まった。あ、お礼言うの忘れた。無意識にエレベーターに手を伸ばしたら。
「真琴」
綾人くんに呼ばれた。綾人くんは無表情だ。慌てて取り繕う。
「あ、ごめん、遅くなって。もしかして連絡くれてた?飲み会で気付かなくてごめんね。すぐ鍵開けるね」
「真琴」
ふらついた私を今度は綾人くんが支えてくれる。……やっぱり、高杉さんのほうが硬い。
「ゆっくりでいい」
「……うん、ごめん」
どうしてだろう。私今、緊張してる。どちらかと言うと、怖い。高杉さんに甘えているところを綾人くんに見られた。怒っているかもしれない。また冷たくなるかもしれない。怖い。
綾人くんに支えられながら部屋まで行く。綾人くんは私の手から鍵を取って開けてくれた。私が先に部屋に入る。
「真琴」
後ろから抱き締められた。心臓がドクンと音を立てる。
「あや、とく」
「さっきの人、会社の人?」
「えっ、うん、上司」
「イケメンだな」
「あー、うん、女子社員に人気だよ。結婚してるけど」
「……そうなんだ」
「うん?」
綾人くんは私を離すと「お邪魔します」と言ってリビングに向かった。よく分からない。
「何か飲む?」
「いい。こっち来て」
綾人くんに手招きされる。綾人くんのそばに行くと、ぎゅうっとまた抱き締められた。
「どうしたの?」
「……別に。あの人には甘えてたのに俺には甘えてくれないのかなって」
「……。え?!」
慌てて綾人くんから少し離れて顔を見ると、綾人くんは拗ねたような顔をしていた。
「甘えるって……?」
「……分かんねーけど、寄りかかるとか」
「うん……?」
分からないけど、綾人くんの背中に手を回してぎゅうっとしてみた。綾人くんは「うん」と満足気だった。
「真琴」
「なに?」
「あの人結婚してるんだな」
「高杉さん?そうだよ。なんで?」
「別に」
機嫌は直ったようだ。私の髪を撫でながらゴロゴロと喉を鳴らす猫みたいに私の頭に頬を当てている。
「あ、そうだ、綾人くん。迷惑じゃなければこの部屋の鍵渡していいかな?綾人くん有名人だし、部屋の前で待つのあまり良くないだろうから」
「……」
「綾人くん?」
「いいの?」
「え?」
「俺、合鍵貰っていいの?」
「うん。いらない?」
「……いる」
玄関のケースに置いてあった鍵を取ってきて綾人くんに渡すと、綾人くんは珍しく少し笑った。
「俺いつ来てもいいの?」
「うん、いいよ」
「ほんとに?」
「うん?ほんとだよ」
またぎゅうっと抱き締められた。何だか今日の綾人くんは本当に猫みたいだ。
「さっきの人より俺に甘えて」
「?うん」
よく分からないけれど、綾人くんの機嫌が直って良かった。