未来の話
「早坂さん、こっちこっち!」
「あー……あ?」
突然元同僚から連絡があった。どこかで婚約者に逃げられた噂を聞いて心配してくれていたらしい。ご飯でもどうですかと言われて心配してくれたことは素直に嬉しくてお店に向かった。ちなみに、そのお店と言うのは牧瀬のお店だ。いいお店ないですかーと言われて牧瀬のお店をオススメした。けれど今、私はそれを猛烈に後悔している。
「かんぱーい」
「か、かんぱい……」
明らかに合コンだったからだ。誘ってくれた女の子と二人か、もしくは他の仲のよかった女の子と一緒かななんて思っていた。聞かなかった私が完全に悪い。それにしてもカフェで合コン。いやその前に立花にバレたら。……ダメだ。
「あ、あの!」
真っ青になって手を挙げた私に突き刺さる女の子の視線。……分かるよ、分かる。合コンってある意味これからの人生がかかってるもんね。邪魔するなって思うよね。あれ?これ私を慰めるための会じゃなかった?
「失礼します、ビールです」
トン、と私の目の前に置かれたグラス。それを持っている手は均整がとれていて隅々まで完璧で。恐る恐る見上げると、牧瀬がニッコリ笑っていた。
「あ、あの、これは……っ」
「ごゆっくり」
ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった私に極上の笑みを見せて牧瀬がカウンターに帰っていく。その背中を見て唖然としていると、女の子たちがざわざわしていた。かっこいいだとか私あの人狙おうかなとか。早坂さんあの人に元から目を付けてたんですかと聞かれて苦笑いした。……彼氏の親友です……。
「依子ちゃん、婚約者に逃げられたんだって?」
青白い顔のまま座れば、隣に座っていた男が話しかけてくる。とにかく距離が近いし始まったばかりなのにアルコール臭がすごい。今は顔をしかめない努力をする余裕もない。
「可愛いのにね。あ、もしかして夜がダメなの?」
「……!」
初対面の女性に何てデリカシーのないことを……!いやでも確かに床上手かと言われたらそうではないのかもしれない。立花は……気持ちいいって言ってくれるけど……。って、私は何を!床上手って何の話よ、ノーマルでいいのよノーマルで!!
「でもさ、積極的すぎる子だと俺引いちゃうかも。あ、でもヨリならどんだけエロくても興奮するけどね」
今度こそ椅子を倒して立ち上がった。プチトマトもらうね、そんな呑気なことを言ってテーブルの上のサラダに手を伸ばすのは、紛れもない。最近ようやく結ばれたばかりの彼氏だった。
「あああああああの、こここここ」
「ヨリ、ただいま」
ニッコリと真っ黒な笑顔で私に笑いかける立花に、周りがどよめく。でもそんなことは今どうでもよかった。
「日向、ヨリちゃんも進んで合コンに来たわけじゃないから」
ご、合コンって言うな……!明らかに余計なフォローをした牧瀬のせいで立花の背中の真っ黒なオーラは更に濃くなる。思わず後退った時、私の隣に座っていたデリカシーなさ男がまた余計なことを言った。
「え?何何?元婚約者?」
元婚約者の話は立花にとってちょっとしたタブーになっている。立花、と伸ばした手を、立花は無視した。
「……さぁね。ただの元カレかな」
「え……」
立花は私から視線を逸らしてカウンターに行ってしまった。
……あれ?気持ちがようやく通じ合ったんじゃなかったっけ?心も体もやっと一つになれた、って。私泣きそうなくらい幸せだったのに。……あれ?
呆然としたまま立花を見ると、立花は笑顔で牧瀬と話していた。牧瀬の心配そうな目が私に向く。よたよたと、酔っ払ってもいないのにおぼつかない足取りで私は立花の後ろに立った。
「……立花」
立花は何も答えない。……やっと隣に立てたと思ったのに、また遠くに行っちゃうんだ。
「……ごめんなさい」
あなたのことが分からなくて、ごめんなさい。頭が働かないままお店を出た。立花は追いかけてこなかった。
***
「大丈夫ですか?」
「……うん、ありがとう」
立花の家に帰るわけにもいかず、私が行ったのは牧瀬とすずちゃんのおうちだった。すずちゃんが淹れてくれたココアは甘くて美味しくて温かくて心が落ち着く。
「ごめんね、夜にお邪魔して」
「いえ、全然。夜は翔さん帰ってくるの遅いし寂しいんです」
確かに、牧瀬は毎日夜遅くまでお仕事してるもんね。すずちゃんは大学を卒業して昼間に働いているし、休みも違う。すれちがったりすることはないのだろうか。
「……すずちゃんはさ、不安になることってないの?」
「うーん、付き合ったばかりの頃は不安ばかりでしたよ。翔さんモテるし、今一緒にいられるのも実は夢なんじゃないかって思っちゃったりとか」
「そう……」
「でも、私には翔さんしかいないんです」
牧瀬とすずちゃんみたいに強く惹かれ合う二人を、私は見たことがない。私だっていつかは立花と結婚して……なんて考えることもあるけれど、私は立花のことが分からないんだ。何を考えているか、どれだけ私を想ってくれているか。簡単に不安になる。上手く行かないと諦めそうになる。何度も後悔したのに。
「……立花さんって、意地っ張りですよね」
「え?」
「翔さんが言ってました。日向は怒ってる時とか何かを我慢してる時によく笑うんだよって」
ああ、確かにそうかもしれない。今日も笑っていた。でも私は、立花が笑っていたから傷付いた。ほんと、素直じゃない。私も人のこと言えないけど。
「すずちゃん、私ね、立花と離れたくないって思うんだよ」
「はい」
「どうしたら伝わると思う?」
「口に出せばいいんです。素直になるのは難しいけど、心の中に浮かんでくる言葉を、たどたどしくてもいいから言うんです」
「うん……」
「私がどうやって不安じゃなくなったか、それはね」
翔さんがちゃんと、口に出して素直に思っていることを言ってくれたからですよ。そう微笑んだすずちゃんは本当に幸せそうで。立花に会いたいと思った。
***
「ごめんね、ありがとう」
「いえ、またいつでも来てください」
すずちゃんにお礼を言って家を出る。真っ暗な住宅街を歩いていると、通り過ぎる家から誰かの笑い声が聞こえてきた。大人だからこそ、素直になれなくて。どうしても離れたくないのに、私たちは簡単にすれ違う。二人でいることが幸せだと、分かっているのに。
「ヨリ」
「……っ」
ポツポツと並ぶ街灯の下、名前を呼ばれて顔を上げたら前に立花が立っていた。
「翔の家にいるって、すずちゃんが翔に連絡くれた」
いつもより少し静かな立花は私に手を差し出した。簡単に分かる。手を繋いだだけで、この人が好きだと、簡単に分かる。
「立花、ごめん」
「……」
「合コンなんて行ったら怒るよね。本当にごめんなさい」
「……言い訳すればいいのに。合コンだなんて知らなかったって」
「合コンに行ってたのは本当だから」
理由など関係ないのだ。何か理由があったら立花を傷付けていいのか。そんなはずない。立花は呆れたように苦笑して私を抱き締めた。
「……ほんと真面目だね。まぁ、そんなヨリが好きなんだけど」
誰も来ない。でも人の気配は感じる不思議な場所。私達もいつか結婚してこんな住宅地に家を建てたりするのかな。隣にいるのは立花以外考えられない。
「ねぇ、ヨリ」
「なに?」
「結婚しよう」
***
じとーっと拗ねたような視線を向けてくる立花から目を逸らす。必死で顔を背けていたら、ガシッと肩を掴まれて視線を合わせられた。
「何で結婚してくれないの」
「うっ、だからさ、今はまだ無理だって……」
そう。私は立花のプロポーズを断ったのだ。
『結婚しよう』
そう言われた時、心の底から嬉しかった。幸せだと思った。立花にしがみついて、ポロポロと流れてくる涙を立花の長い指が拭ってくれることに幸せを感じた。
『ヨリ、俺のこと見て?』
『うっ、たち、ばな……っ』
『ずっと大事にする。もう絶対離さない』
プロポーズに憧れはあった。ありきたりな話だけれど、例えば高級レストランで。例えば夜景の綺麗な場所で。でも、実際に大好きな人から受けるプロポーズはどんな場所でもどんな状況でも死ぬほど嬉しかった。
『ありがと、立花……』
『ん。そうと決まれば早いうちに……』
『でもね、無理』
私の言葉に、立花はあんぐりと口を開けたまま動かなくなった。イケメンも台無しになるほどの間抜け面に笑うどころか心配になる。立花?と目の前で手をひらひらと振ってみてもまばたきすらしない。
『た、立花?!ぎゃー!立花!』
『……嫌だ』
『あ、動いた』
『ヨリが結婚しないって言うなら寝てる間に催眠術で婚姻届け書かせるからね!』
『怖いわ!いや、違うの、今は、まだ無理ってこと!私だって、立花の奥さんになりたいよ』
『あ、今の言葉で勃った』
『はぁ?!変態か!』
『うんまぁとりあえず愛し合ってから決めよう』
そんなごちゃごちゃがありつつ家に帰ってきて結局流されるまま体を重ねて、ベッドの中。脚を立花の脚が絡め取って、腰もしっかりと抱かれているから逃げようにも逃げられない。子犬のような目で見られても、流されるわけにはいかないのだ。
「さっきも言ったけど。いつかはそうなれたらって思う。でも今は無理」
「なんで」
「だって今はさ、立花に甘えてるじゃん。ちゃんと自立したいの。そうじゃないと立花にいつか捨てられそうで……」
立花は一瞬目を丸くして固まって、すぐにため息を吐いた。そして私の手をベッドに縫い付け覆い被さると顔や首筋、鎖骨にキスを落としてくる。
「はあ、ヨリってほんと可愛いね」
「え゛」
「俺がヨリを捨てるわけないっていうのはこれからゆっくり信じてもらうとして、今は俺がどんだけヨリを好きか分からせてあげようか」
「いいです」
「即答はやめよう。なかなか傷付くから」
さっきシたばかりなのにもう復活したらしい。上半身を、隙間もないくらい口付けられて甘い吐息が洩れる。大きな手が内腿を撫でて体が震えた。
「ヨリ、こっち向いて」
目が合って後悔する。とろけるような甘い瞳にキュンと体が疼いて私は立花の頬を両手で包み自ら唇を重ねた。唇をくっつけて、至近距離で見つめ合う。むず痒いほど甘い空気に当てられて、私は立花の腰に脚を絡めた。
「好きだよ」
さっきの余韻と甘いキスに濡れてしまった中心に、立花のそれが押し当てられる。私たちはキスをしながら一つになった。
「あっ、んん、はぁ、」
「はぁ、ヨリ……」
抱き合ったまま奥まで入ってくる。苦しくて生理的な涙が零れる。ずっと、知りたかった。立花が恋人に見せる顔。女の人を抱く時に見せる顔。触れ方。体温。今その全部が私を包み込んでいて、嬉しくて切ない。こんなに甘い顔をするなんて知らなかった。私は立花の新しい顔を見る度に惹かれていく。のめりこんでいく。
「……好き」
「あんまり煽ると知らないよ」
「いいよ、立花なら」
「……はぁ。ほんと、ヨリって馬鹿で可愛いね」
立花は体を起こすと脚を大きく開かせた。そして体ごと揺さぶるような律動。揺れる胸を立花の手が掴んで、私はただ甘い声を上げた。私を見下す立花の目は甘く、でもどこか獣っぽい。はっきりと欲望を滲ませたその目に、私の体は勝手にゾクゾクと震えた。
「ヨリ、俺とずっと一緒にいてくれる?そう約束してくれるなら、結婚はもう少し待つ」
「……っ、いる、ずっと、一緒に……」
「……仕方ないな。じゃあそろそろイきそうだし。待つよ」
立花は私の脚を自分の肩に掛け、更に激しく突き上げてきた。一番奥まで届いて、私は思わずシーツを掴む。はぁ、と頬に立花の吐息がかかった。それだけで子宮が疼くのだからどうかしている。
「ああ、イく……っ」
「んっ、んんん!」
腰をしっかりと掴まれて、一番奥で熱が弾けるのを私は朦朧とする意識の中で感じていた。
***
トイレでティッシュを見てため息。昨日中で出されたような気がするんだけど、アイツ本当に待つ気あるのか?はぁ、とため息を吐いてトイレを出る。ちなみに立花はとっくに仕事に行った。深夜の深い時間まで抱き合っていたのに、どうしてあんなに元気なのか理解に苦しむ。どこかすっきりしたような顔をしていたのがまた腹が立つ。
今日は昼から仕事だ。そろそろ準備をしないとなぁ。と、怠い体を動かして着替えようとした時、インターホンが鳴った。立花がいない時に勝手に出るのは未だに抵抗がある。立花は好きに暮らしていいと言ってくれるけれど、まだ居候という意識が抜けないのだ。……でも、今はもう恋人同士なんだから同棲になるのか?そんなどうでもいいことを考えていたらまたインターホンが鳴った。
キッチンの横の画面を見る。そこに映っていたのは、いつかこの家に来たことがある立花の部下の女の子だった。あれ?今仕事じゃないのかな?そう不思議に思いながらも通話ボタンを押す。
「はい」
『あ、私、間宮です。お話したいことがあります』
「あ、立花なら今会社に……」
『いえ、立花さんではなく、早坂さんに』
「え」
私に?