優しい手
 川井先生から渡されたのはただの紙だ。そう、ただの紙なのだ。別に落ち込む必要はない。ただの紙なのだから。

「はぁ……」

 数学科準備室に来ると一条先生はいなかった。だけど上着が置いてあるからすぐに帰ってくると思う。
 ちょっとだけ魔が差して先生のスーツに触ってみた。いつも先生が着てる、それ。顔を埋めようと屈んだ時、ガラガラとドアが開いた。ハッと立ち上がって急いでソファに座った。

「あ、お前」
「な、なに」
「これお前んだろ」

 先生が私の目の前に差し出してきたのは私がこの前先生の車に置いてきたピアス。

「あ、もうバレたんだ」
「バレたんだ、じゃねーよ。これのせいで……」
「彼女怒っちゃった?」
「……」

 先生がジロリと私を睨む。怒らせるためにやったんだから当たり前だ。

「そんなに怒らないでよ」
「別に怒ってねーよ。その代わりジュース奢れよ」
「生徒にたかっていいの?」
「今は教師と生徒じゃなくて男と女だ」
「意味わかんない。なら先生、私のこと抱いてくれる?」

 先生は一瞬目を丸くした。だけどすぐに怪訝な顔になる。

「……何かあった?」
「へっ?」
「何かお前おかしい」

 なんでそんなこと言うの。私別に先生に慰めてもらおうと思ってここに来たんじゃないし。勉強教えてもらいに来ただけで、私……

「泣くなよ」

 ならそんな優しい顔で頭撫でるなバカ……

「何があったんだよ」
「……これ」

 私は川井先生に渡されたただの紙を先生に渡した。

「……模試の結果」
「あぁ」
「悪いのはわかってたけどさ、まさかそこまでとは思わなかった」

 ただの紙に並ぶただの文字の羅列。だけどそれは、今まで結構本気で勉強してた私の心を鋭く抉った。

「私勉強してたつもりだったけど。全然出来てなかったのかも」
「……なぁ」

 先生は模試の結果を折って紙飛行機にした。そしてピューンと飛ばす。私はそれをボーッと見つめていた。

「チョコ食べね?」
「チョコ?」
「あぁ。彼女が高いのくれた」
「え、それいいの?」
「いんじゃね」

 先生が鞄から取り出したのは有名なチョコのブランドのものだった。

「こういうのってコンビニに売ってんのとどう違うのかな」
「わかんね。つーか俺甘いの好きじゃねーんだよ」
「じゃあなんで彼女さん先生にくれたの?」
「俺が甘いもの嫌いなの知らない」

 何それ。ぷっと笑うと先生も笑った。彼女さんも知らないことを教えてくれたのが嬉しかった。

「なんで言わないの?」
「ん?」
「甘いもの好きじゃないって」
「口説く時に甘いもの好きって言ったから」
「バカじゃないの」
「うるせー。黙って食べろ」

 先生は私の口の中にチョコを一個放り込んだ。甘い味が口の中いっぱいに広がる。

「美味しい」
「よかったな」
「全部ちょうだい」
「感想聞かれた時に困るからダメ」
「ふふ、先生彼女さんのお尻に敷かれてるの?」
「お前ほんとうるせーわ」

 声をあげて笑う。先生って意外と可愛いとこあるんだ。

「大橋」
「へっ?」
「お前は頑張ってるから大丈夫だよ」
「……うん」

 何だかそれだけで、本当に大丈夫な気がした。
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