彼女と物好き
「一条先生って彼女いるらしいよ」

 クラスの子たちの会話がそんな噂で持ちきりだった。なんでも、一人の女子生徒が一条先生が女の人といるのを見たらしい。女の子たちの憧れの的である一条先生の話題はあっという間に広まった。

「つまり先生。ほんとに彼女いるの?」
「いや、何がつまりなのか全然わかんねぇ」

 呆れた顔をした先生が、教科書から目を離して私を見る。だけどそれも一瞬で、すぐにこの問題やれ、と教科書を渡してきた。ため息を吐きながら。

「あー、わかんない」
「一回考えろ」
「考えたけどわかんない」

 先生がまたため息を吐く。先生今日ため息吐きすぎじゃない?……て、私のせいか。

「やる気ないなら帰れ」
「……」
「俺だってやる気ない奴に教えるほど暇じゃねぇんだよ」

 先生は立ち上がってコーヒーをカップに注いだ。先生の冷たい声にズキンと胸が痛んだけど、私が悪いから仕方ない。私は先生の貴重な時間を借りて勉強を教えてもらっているのだ。

「……じゃあ、帰ります。すみませんでした」

 立ち上がって教科書やノートを鞄にしまう。今日は家に帰って勉強しよう。いや、やっぱり今日は勉強休もう。そんな気になれないや。

「……なぁ」

 引き戸に手をかけたところで呼び止められる。振り向くと、先生が自分の携帯画面を私に見せていた。

「お前これやってる?」

 それは今流行っているゲームアプリだった。私ももちろんやっている。頷くと先生はニヤリと笑った。

「勝負しようぜ」
「……先生忙しいんじゃないの」
「これやんのに忙しい」

 さっきの落ち込み返してよ。だけどまだ先生といれると思うと嬉しくて、私は鞄を机に置いて先生の隣に座った。その勝負は思った以上に盛り上がった。先生がズルしようとしたり、あまりにも点数の差がついて先生がちょっと拗ねちゃったり。気づいた時には外は暗くなり始めていた。

「悪いな、こんな時間になって」
「家まで送って」
「そういうことしちゃいけねぇんだよ。気つけて帰れよ」
「誘拐されたらどうすんの」
「そんな物好きいねぇから大丈夫だよ」

 ……どういうことそれ。私は諦めて数学科準備室を出た。
 だけど先生、もしかしたら物好きいたかも。高校を出てすぐから聞こえる足音。わざと立ち止まってみると後ろの足音も止まる。歩き出すとまた動く。
 ……先生のせいだ、バカ。

「……ねぇ」

 辺りはすでに真っ暗。そんな時に後ろから声をかけられる。どこかの民家に逃げ込もうか。だけどすぐ近くの民家に電気は点いていなくて、その家には誰もいないことを告げている。電気が点いているのは10メートルほど先の家。あそこまで逃げられるか。
 そんなことを考えている内に肩に手が置かれた。これって本格的にヤバイよね。先生……!
 ……その時。周りがパッと明るくなって、後ろにいた男が逃げていく気配がした。

「先生……」

 その灯りの正体は車のヘッドライトだった。車から顔を覗かせたのはさっき頭に思い浮かべた人で。

「乗れ」

 先生がそう言ったから私は急いで助手席に乗り込んだ。

「も、物好きいたじゃん……!」
「そうだな、悪かった。怖かったか?」

 先生は私の頭にポンと手を乗せた。一気に近くなる距離に胸がドクン、と音を立てる。

「こ、怖かった……」
「今日はほんとに俺のせいだ。よかった、遠回りして」

 先生はいつもは通らない高校から駅までの道を通ってみたらしい。私のことを心配してくれたことが素直に嬉しかった。

「でも先生いいの?生徒車に乗せちゃいけないんでしょ?」
「今日は緊急事態だから」

 先生、こんなことされたら好きになっちゃいそうだよ。先生の横顔を見つめる。あぁ、なんかすごくカッコよく見えてきちゃった。

「……」

 ふとお尻に違和感を感じて手を伸ばす。私のお尻の下にあったのは明らかに女物のネックレスだった。……やっぱり先生、彼女いるんだ。
 なんだか悔しくなって。していたピアスを先生にバレないようにお尻の下に置いておいた。
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