不良教師と不良生徒
 人見知りで3年生にもなってろくに友達ができない私にとって休み時間の教室は地獄と言っても過言ではない。人の噂話やアイドルの話も興味がないし、とりあえずエロ話をすれば盛り上がる男子も意味不明。
 と言うわけで、私はいつもこの数学科準備室に来ている。なぜここなのかと言うと、春は暖かな日差しが窓から降り注ぎ、夏は部屋が狭くて空調がよく効くから涼しい。秋は窓から紅葉が見えるし、冬はここから優雅に雪を見るのが粋。そして何より静かだ。

「はー、極楽極楽」

 ここは味気ない高校生活の中で唯一見つけたオアシスだ。1年生の時、何気なくこの部屋に入った自分を褒めてあげたい。
 その時だった。ガラガラと静寂を破る音が聞こえてドアのほうに目を向けると男の人が立っていた。

「……誰」
「そっちがな」

 その人は制服ではなくスーツ姿で、たぶん先生なんだろうと予想はできたけど見たことのない顔だった。

「新しい先生?」
「一応始業式で紹介されたけど」
「あー、出てないや」
「知らねーはずだわ」

 そう言って笑ったその人はコーヒーメーカーのところに行って電源を入れた。

「コーヒー飲む?」
「いらない」

 ていうかなんでこんなに普通なんだろう。私がここにいることを怒らないんだろうか。いつも鍵が開いているとは言え、勝手に入っているのだから。

「怒らないの?」
「何が」
「私がここにいること」

 そう言うと、その人は私の座っているすぐ横の壁を指差した。……そこには。

『一条悠介参上』

 そう、汚い字で書いてあった。

「俺も高校時代よくここ来てたからさ」
「へー……」

 この高校通ってたんだ。一条先生、か……

「参上って。センスないね」
「あの時はそれがカッコいいと思ってたんだよ」

 笑うな、って小突かれた頭からじんわりと熱が広がった。先生は私が座っているソファの前の椅子に座った。狭いこの部屋で、私たちの距離は1メートルもない。

「何年?」
「3年」
「何組?」
「5組」
「じゃあ俺だわ、数学担当」

 へー、数学の先生なんだ。じゃあ数学の度に先生に会えるんだ。

「私数学嫌い」
「数学教師の前でよく言うな」
「だって出来ないもん」
「やろうとしねーからだろ」

 やろうとはしてる。だけどわからないから諦める。根っからの文系人間なんだ、私は。

「できなくてもいいの。私文系私大だし」
「できるに越したことはねーんだからやれ」
「先生はできたの?世界史とか国語とか」
「全然」
「じゃあ私のこと言えないじゃん」
「でも俺国立だから」

 てことは、必死に勉強したのかな。文系の私にとって数学が全然楽しくないのと同じように、理系の先生にとっても世界史や国語は何が楽しいのかわからないだろうに。

「勉強したの?」
「そりゃもう必死。ろくに授業も出たことねー奴が3年の夏から。頭いい連れがいたから助かったわ」
「ふーん」

 先生はマグカップにコーヒーを淹れる。湯気が立つそれを見て、ふと思った。

「……私もやろうかな」
「ん?」
「私も、必死で勉強してみようかな」
「おー、いんじゃね」
「数学教えてくれる?」
「お前が本気でやるならな」
「うん、やる」
「頑張れ」

 先生の行ってた大学行ってみたい。どこか聞くと超有名国立大学だった。

「そこ文学部あるよね」
「ああ」
「決めた。私そこ受かる」
「受けるじゃなくて受かるなわけ」
「うん、初めから受かる気じゃないとあんなとこ目指して勉強できないよ」
「まぁ、俺もそうだったけどな。志望校言ったらみんなに笑われた。だけど一緒に勉強してくれた連れと川井先生だけは笑わなかった」

 川井先生。うちのクラスの担任の生物の先生だ。
 時計を見るとあと5分で授業が始まる時間だった。そろそろ戻らないと。

「じゃ、数学教えてね」
「おー、いつでも来いよ」

 そんなこと言われたら、本当に来ちゃうんだから。数学科準備室を出ると教室に向かう。いつもはどんよりと重い空気の廊下が、なぜか輝いて見えた。
 一時間目は数学だった。

「大橋彩香」

 先生の口から私の名前が呼ばれてドキドキした。私が返事をしたのを見て、微かに笑った先生。私の味気ない高校生活に、少しだけ色が着いた。
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