抱き締めたい



 追いかける、とは言ったものの。彼女と会う機会はなかった。俺は毎日朝乗る電車が同じだし帰りの電車も急な残業が入らない限りほぼ同じ。でも彼女は学生だから毎日バラバラで時間も掴めない。前は本当に彼女が努力してくれたから毎日会えていたのだと思い知る。
 メールは面倒だと思われるのが嫌でたまに送る。彼女は律儀に返してくれる。どんな心境なのか知りたいけど。まだ肝心なところで尻込みしてしまう。
 でもそんな俺にチャンスがやってきた。

「村瀬ー、俺いい感じかもしれない」
「何が」

 あの子に連絡先を聞いてからいちいち俺に絡んでくる河合が俺の肩に腕を乗せてくる。仕事中だっつーの、やめろ。

「今日飲みに行くことになっちゃったー」
「……ふーん」

 あの子には危機感というものがないのか。いやまあ、俺も二人で飲みに行ったことあるけど。でも俺に下心はなかった。河合には下心しかない。

「ま、二人じゃないんだけど」
「……」
「友達も一緒ならって言われちゃったんだよね。脈なし?」
「下心しかないのがバレてんじゃね」

 友達も一緒、か。あの子も馬鹿ではないらしい。……友達も一緒?

「なぁ、河合それ……」

***

 河合が予約したらしい居酒屋に行くと、彼女は予想通り俺を見て目を見開いた。気まずそうに視線を逸らす彼女に少しだけ申し訳ない気持ちになるけど仕方ないんだ。そもそも会う機会を貰えないと何もできない。
 一緒に来ていた友達は加奈子ちゃんと言った。加奈子ちゃんは微妙に気まずい空気が流れる俺と彼女に気付いていて、心配そうに彼女を見ていた。多分、俺との話を聞いていたのもあるだろうけど。

「凛ちゃん、加奈子ちゃん、何飲む?あ、まだ未成年?」
「はい、私はまだ……」
「私も明日朝早いのでお酒はやめときます」
「あ、そう?たまにはこんな健全な飲みもいいなー、村瀬」

 気まずい空気を読む気もない河合がどんどん注文するものを決めて行く。彼女は俺から視線を逸らしたまま、絶対にこっちを見ようとしなかった。

「二人とも可愛いし大学でモテるでしょー」
「全然そんなことないですよ」
「こんな可愛い子と知り合いなんて、イケメンはほんと腹立つよな」

 ボスッと弱い力で脇腹を殴られる。何の八つ当たりだよ。

「偶然だよ」

 そう、出会ったのは偶然だった。あの時俺の携帯を彼女がたまたま拾ってくれたのがはじまり。あの時携帯を落とさなければ。あの時拾ってくれたのが彼女じゃなければ。
 俺たちは今も他人のまま、彼女を傷付けることもなければ、自分のこんな必死で情けない姿を見ることもなかっただろう。

「じゃあ凛ちゃんが俺の携帯拾ってくれてたら俺が出会えてたわけ?」
「路線違うし」
「分かってるけど!俺の妄想を一言でぶった斬らないでくれるかな、ほんとイケメン腹立つ!」

 顔関係ないし。そう思ったけど面倒で言わなかった。
 彼女が笑う。楽しそうに。今笑わせてんのは俺じゃないんだよな。河合なんだよな。腹立つけど。仕方ないのか。

「今彼氏いないの?」
「いないですよ」
「でも合コンで出会った人に口説かれてるんだよね」

 加奈子ちゃんが言った言葉に彼女が「そんなこと言わなくてもっ」と焦り出す。ふーん。合コン。行ったんだ。俺には何も言う権利はないと分かっていてもイライラする。つい最近まで俺のこと好きって言ってたくせに。

「失恋忘れるには新しい恋が一番だもんね」
「そうだよ!嫌な思い出は忘れるに限る」

盛り上がる加奈子ちゃんと河合にイライラが募って行く。嫌な思い出?確かにそうなのかもな。だって俺酷いことしたもんな。……でも。

「……嫌な思い出にすんには、まだ早いだろ」
「え?何か言った?」

 ボソッと呟いた言葉にみんなが反応する。不思議そうな顔をする河合と、それでもこっちを見ない彼女と。

「その相手は、やっと向き合おうとしてんのかもしれない。遅いって言われるだけでも、それでも」
「何で……」
「……」
「次に向かおうとしてる人に、切り捨てた人が言っていい言葉じゃないっ」
「分かってるよ。でも仕方ねーじゃん。やっと気付いたんだから」

 涙目で俺を睨み付ける彼女を見て、思う。やっとこっち見た、って。

「ちゃんと見てよ、俺のこと。これからでしょ」
「私の中では終わってますから」
「合コンで出会った奴と付き合うの?」
「関係ないですっ」
「関係あるって、だって俺あんたが他の誰かと付き合うの嫌だし」

 あわあわと動揺しているのを見て嬉しくなる。もっと動揺すればいい。もっと俺のこと考えればいい。頭の中、俺でいっぱいになればいい。もっと、もっと。

「私もうあなたのこと好きじゃないですから!」
「知ってるって。でももう一回振り向かせたいんだよ」
「何でですか?!」
「それ言わせる?」
「っ、いっつもいっつも!大人ぶって自分ばっかり余裕ないの腹立つんです!!」

 ダンっとテーブルを叩いて彼女が立ち上がる。そしてそのまま席を立った。加奈子ちゃんが追いかけようとする前に俺が動く。金は……明日河合に返そう。
 走っていても、男と女じゃ追いつかないほうが難しい。しかも彼女は高いヒールを履いているから早歩きの状態で、俺はすぐに彼女に追いついた。

「ねぇ」
「……」
「ねぇ、凛ちゃん」
「名前呼ばないでくださいっ」

 そうやって動揺されると、そうやって顔を赤くされると。期待しちゃうんだけど。俺のことまだ想ってくれてるんじゃないかって。

「凛ちゃん」
「っ、」
「凛ちゃん凛ちゃん凛ちゃん凛ちゃん」

 やべ、抱き締めたい。目の前で真っ赤になって俺を睨み付ける凛ちゃんが、可愛すぎて。

「怒らないで、聞いて。抱き締めたい」
「……っ!!」

 ああ、ほら。その動揺。口をパクパクと閉じたり開いたり。ビックリした?ドキドキした?頼むから、もっと。凛ちゃんの俺への気持ち、見せて。

「傷付けてごめん。素直になれなくてごめん。俺はもう、凛ちゃんに会えないと寂しい」
「た、たけ、」

 一歩近付いて、凛ちゃんの手を握る。小さくて柔らかい手は、俺の心の中の冷たいものを全部溶かしていくくらい、温かかった。

「凛ちゃんから連絡が来ないと寂しい。思えば俺、どんだけ沢山連絡来ても会いたいって言われても鬱陶しいと思わなかったんだよな。逆に叶えてあげたいと思った。その時点で気付くべきだったんだ」
「うっ、あの……」

 至近距離で見つめると、凛ちゃんは恥ずかしそうに目を逸らした。触れたい。キスしたい。そう思うけど、我慢。凛ちゃんが自分から求めてくれるまで。傷付けた分、凛ちゃんの意思を尊重したい。
 だから、早く。俺を求めてくれたらいいのに。

「凛ちゃん」
「……っ、」
「ごめん、俺、凛ちゃんのことが好きだよ」

 少しひねくれて大人になった分、その言葉は喉に突っかかってなかなか出て来ないもので。言わなくても伝わるだろなんて俺のわがまま。なかなか言えない、でも、それだけ重みもある。俺は今気持ちが溢れてどうしようもなくて、言わないと本当に離れていってしまうという焦りもあって。どうか、伝われ。

「た、けるさん、は」
「……うん」
「大人で、何考えてるか分かんなくて、冷たくなったり優しくなったり、正直もう、振り回されたくない」
「……うん」

 凛ちゃんの正直な言葉に心臓が冷える。自分の無意識の言動にこの子は傷付いたり不安になったりするのだと。振られるかもしれない側ってこんなに心臓痛いんだな。

「でも、でも、ダメなんです、みんな比べちゃうんです」
「……え」
「誰といても武さんのこと思い出しちゃうんです……っ」
「……」
「酷い、最低、こんなに好きにさせといて振ったくせに、自分は一言で夢中にさせちゃうんだ……っ」

 もう、いいよな。抱き締めていいよな。こんなに誰かに触れたいと、誰かを欲しいと思ったのは初めてだった。気持ちが溢れて止まらない、そんなこと自分には一生起きないと思っていた。

「……大事にする」
「うっ、ううっ……」
「だから、俺のものになってよ」

 抱き締めた凛ちゃんは小さくて、でも素直に単純に好きだと、守りたいと思えるほど愛しかった。いつの間にか俺の冷えた心の中に住みついて離れなくなった彼女は、俺の全てをかけて大切にしたいと思う愛しい恋人になった。

***

「んっ、武くん……?」

 ぼんやりと天井を見上げていたら隣で寝ていた凛がすりすりと腕に擦り寄ってきた。温かい。

「体平気?」
「うん……」

 さっき初体験を終えたばかり。あまり手加減もできなかった気がする。俺は凛を抱き寄せた。あの日と変わらない、小さくて温かくて柔らかい。

「凛、好きだよ」
「私も」

 多分凛は全然分かってない。このひねくれた俺が好きだって言うことがどれだけ重いことか。全然分かってない。

「これからいっぱい抱くから、覚悟して」

 ボボッと顔を赤くした凛に笑ってキスをした。誰にも触れさせない。誰にも渡さない。俺を本気にさせたんだから。

「お願い、いたします」

 恥ずかしそうに顔を隠しながらそう言った凛が可愛くてまた触れたくなった。凛は俺に振り回されてるって言ってたけど、こっちだって同じだ。俺は理性といつだって闘ってきた。

「大事にする」

 だからずっと俺のものでいて。あの日と少しだけ変わった願い。気持ちだって変わらないどころか大きくなって。

「凛」
「ん……?」
「凛」

 俺は、君のためなら。どんなことだって出来る。そう思うよ。

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