年の差なんて、



「……と言うわけで、何だかまた絆が深くなっちゃったみたい。うふふ」

 次の日は授業が昼までだったから二人には会えなくて、その次の日のいつもの大学の中庭。そう言うと、れんこんは呆れたようにため息を吐いた。よかったね!と本当に嬉しそうな加奈ちゃんとは大違いだ。どうせつまらないとでも思っているんだろう。

「……うまく行ってっとつまんねぇ」

 やっぱりね!れんこんはきっと私で遊んでいる。色々教えてもらったのは感謝してるけど、もうこれ以上知識だけ豊富になっていくのはごめんだ。

「後は実技だけだな」

 ……実技って言わないでくれる?なんかいやらしいから。確かに、もう機は熟したと思う。後は心の準備を整えて、実行に移すだけ。武くんなら、私の不安だって怖い気持ちだって全部受け止めてくれる。大丈夫……。

「そろそろ行くか」

 腕時計を見たれんこんがそう言って立ち上がる。それに続いて加奈ちゃんと私も立ち上がって、三人並んで歩き出した。

「俺あっちだから」
「私たちあっちだから行くね……あ!」

 れんこんと逆方向を指差したら、見慣れた人の姿が目に入った。いきなり声を上げた私に驚きながらも、れんこんと加奈ちゃんもそちらを見る。れんこんが隣でお、と言うのが聞こえた。

「幸太郎くーん!」

 大声で呼んで大きく手を振ると、幸太郎くんは私たちに気づいて軽く手を振った。そして一緒にいた友達に何か言って私たちのところに歩いてきた。

「幸太郎くん!学校で会うの初めてだね!」
「よっ、幸太郎」
「うん」

 私たちは文系学部で幸太郎くんは理系学部だから、そもそもキャンパスが違う。それほど遠くはないものの、理系学部の人とはサークルが同じだったりしない限り会わないのだ。

「加奈ちゃん、バイトでお世話になってる瀬名幸太郎くんだよ。幸太郎くん、こちらは私の親友の大橋加奈子ちゃん」

 はじめまして、と挨拶し合う幸太郎くんと加奈ちゃんは何だかすごくお似合いだった。美男美女だからかなぁ。面白くなさそうにそっぽを向くれんこん。もしかして妬いてるの?!ぷぷ、れんこんも可愛いところあるじゃん。微笑み合っている二人を邪魔するかのように、れんこんは口を開いた。

「つーか幸太郎、何でこっちにいんの?」
「こっちの図書館のほうが蔵書多いから。たまにこっち来るんだ」

 へー。理系のキャンパスには行ったことないから、今度行きたいな。

「あ、そういえば幸太郎くん、今日用事ある?」

 今日は水曜日。私たちがバイトしてる居酒屋は定休日だ。

「いや、特に」
「えっ、じゃあ飲みに行こうよ!れんこんと加奈ちゃんは?」
「特にないよ」
「俺はナンパ」
「ナンパって何。れんこんも行くよね?」
「……はいはい」

 ふふ、この四人で飲みに行けるなんて楽しみだなぁ。6時に駅前で待ち合わせをすることにして、私たちは別れた。
 そして午後6時。加奈ちゃんと二人で駅前に行くと、先に来ていたれんこんが女の子をナンパしていた。

「はいはい、あんたは今日私たちと約束してるでしょ?」
「いててててて、加奈子、離せ!」

 れんこんの耳を摘まんで引き摺る加奈ちゃん。強い……。れんこんにあんなことができるのは加奈ちゃんだけだ。れんこんもいい加減遊ぶのやめて、また加奈ちゃんと付き合えばいいのにな。

 その後幸太郎くんもすぐに来て、私たちは近くの居酒屋に入った。基本的に話すのはれんこんで、ツッコむのは加奈ちゃん。加奈ちゃんのツッコミがかなりドライで、れんこんとの温度差が激しくてそこが面白い。幸太郎くんと私はそれにひたすら笑っていた。

「そろそろ行くかぁ」

 れんこんがそう言ったのはもう夜の10時を過ぎた頃だった。楽しすぎて時間が過ぎるのが早かった。
 カラオケ行こう!とのれんこんの言葉でこの後はカラオケに行くことが決まっている。お会計をして店の外に出ると、少しだけ冷たい空気が頬に当たって気持ちよかった。

「凛ちゃん」

 酔っ払っているらしく頬が少しだけ赤くなっている幸太郎くんに手招きされる。れんこんと加奈ちゃんはお手洗いだ。

「幸太郎くん、どうしたの?」
「んー?」

 幸太郎くんは、ニコニコしながらひたすら私の頭を撫でる。いつもクールな幸太郎くんのこんな笑顔は貴重だ。

「幸太郎くん?」
「んー?」

 ダメだ、んー?しか言わない。でも酔っ払ってる幸太郎くん可愛いな。

「凛ちゃんは、可愛いね」
「えー?幸太郎くんのほうが可愛いよ」

 ニコニコしてるし。そう思ったら、幸太郎くんはふるふると首を横に振った。

「そういう意味じゃなくてさ。俺、今酔っ払っててあまり理性ないんだ」
「……うん?」
「だから、すっげー凛ちゃんにキスしたい」
「……うん、えっ?!」

 ふわふわと漂っていた意識が覚醒する。少しずつ近づいてくる幸太郎くんの綺麗な顔から、私は必死に逃げる。でも腕をガシッと掴まれていて体が動かせない。早くどっちか来て!と心の中で願っていたら。後ろから伸びてきた手が私の口を押さえた。はぁ、助かった……と思って振り向いて。私は凍りついた。

「うちの彼女に、何しようとしてんの」
「たっ、武くん……」

 どうして武くんがここに?!て、ていうかものすごく怒っていらっしゃる……。武?と近くで武くんを呼ぶ声がした。その声は聞き覚えのある声で。また元カノといたのか、と少し心が沈んだ。

「……別に。一緒に飲んでただけです」

 こ、幸太郎くん!お願いだから火に油を注ぐようなことはしないで……!何故かとっても機嫌が悪そうな幸太郎くんと、とてつもなく怒っていらっしゃる武くん。二人の間に挟まれた私は、武くんに口元を押さえられたままキョロキョロと不安げに二人を見るしかできなかった。

「あの、あなたって、本当に凛ちゃんを大事にしてるんですか」
「……どういうこと?」

 武くんの声がどんどん低くなる。幸太郎くんはそれでも一切引かない。気が強くてしっかりしてるとは思ってたけど、それを今発揮しないでほしい……!

「いつも元カノといるから」
「……職場が一緒なんだから、仕方ないだろ」
「それって大人の都合ですよね」

 幸太郎くんの低い声が、鼓膜を揺さぶる。私が思っていても言えないこと。幸太郎くんにも言っていなかったのに、どうして言い当てることができるんだろう。

「仕方ないって、わかってるんです。それでも、嫌なんです。不安になるんです。それは、あなたが凛ちゃんの不安をわかろうとしていないからです」

 元カノがいるから転職して、なんて。そんな馬鹿なこと思わないよ。だから、職場に元カノがいて関わりがあるなんて、仕方ないと思う。それをわかっていて付き合い始めたのは私だし。
 ……でも、でもね。それでも不安なんだよ。武くんを信じてないわけじゃないけど。もし何かあったら……って。

「このまま凛ちゃんを不安にさせ続けるなら……、凛ちゃん、俺にください」

 ……え。じょ、冗談だよね幸太郎くん……。こ、ここ笑うところ?でも幸太郎くんは真面目な顔で武くんを睨んだまま。私の口に当てられた武くんの手に少し力が入った気がした。

「……確かに、年が離れてるから、凛に我慢させてることはいっぱいあると思う」

 武くんは、いつもと違う少し小さな声で話し始めた。見上げれば、武くんの真剣な横顔が見えて。私は口に当てられた武くんの手をきゅっと握った。

「こんな風に時間を気にせず遊ぶことも、授業を一緒に受けることも、平日の昼間にデートすることもできない」
「……」
「だけどそれができるからって、あんたは俺より凛を幸せにできる?凛は、俺が好きなのに」

 確かに武くんとだったら、次の日も仕事だから夜更かしできない。ちょっとだけ憧れてた、一緒に授業を受けることもできない。空いてる平日にどこか行ったりすることもできない。……我慢してることも、確かにいっぱいあるけれど。私は武くんが好きだから。少しでもそばにいられたら、すっごく幸せ。武くんと別れるなんて、想像できないししたくもない。

「武くん?!」

 その時ちょうどれんこんと加奈ちゃんがお店から出てきて。ぴりぴりとした緊張感が少しだけ緩んだ。

「蓮、加奈ちゃん、凛もらってくね」
「えっ、は、はい……」
「忠告は、確かに受け取ったから」

 幸太郎くんにそう言って、武くんは私の手を引っ張って歩き出した。武くんに気づかれないように振り返ったら、加奈ちゃんが心配そうに私を見ていたから軽く手を振った。れんこんは幸太郎くんの肩に腕を回して、事情を聞いているみたいだった。幸太郎くんは、俯いたままこちらを見ようとしなかった。

「……武くん」
「……」
「……武くん、ごめんなさい」

 前に、幸太郎くんに隙があるって言われた。きっと私がしっかりしていたら、こんなことにはならなかっただろうに。

「ごめんね……」
「……凛」

 やっと口を開いてくれた武くんに、慌てて顔を上げる。武くんは、いつもみたいに優しく微笑んでいた。

「アイス食べる?」
「えっ」
「コンビニ。寄ろっか」

 武くんに言われるがまま、武くんはコーヒーを、私はアイスを買って武くんの家に向かった。

 武くんの家に着くと、武くんはスーツから部屋着に着替えてソファーに座っていた私の隣に座った。そしてコーヒーを飲む。喉仏が動くのを見ていたら、武くんが不意に私を見た。

「ん?」
「っ、え、えっと……、怒って、ないのかなって……」
「アイス溶けるよ」
「えっ、あ、うん」

 急いで袋からカップアイスを出して一口食べる。大好きなアイスなのに、味が全くわからなかった。お酒を飲んだからなのか、緊張からか、たぶんどっちもかな。

「怒ってないと言えば嘘になる」
「う……っ」

 やっぱり……。でも、武くんは笑っていた。

「凛に手出そうとしたアイツにも、隙見せる凛にも。……でも、一番腹立つのは俺だ」
「え……」
「分かってたのに。凛が、恵のこと気にしてるの。でもそんなに気にすることないだろって、何でそんなに気にするのかわかろうともしてなかった」
「武くん……」
「アイツのおかげでやっとわかった。凛のそばに男がいるのは、仕方ないってわかってても嫌だ」

 もし武くんに、幸太郎くんと口きくなって言われたら私、困ると思う。バイトやめろって言われるのも困る。私はきっとこれからも幸太郎くんと関わってしまう。武くんと、元カノのように。

「……凛は、俺と別れてアイツと付き合ったほうが幸せになれると思う?」

 想像しただけで嫌だ。武くんと、別れるなんて。涙目になる私の頬を武くんの長い指が撫でる。そしてふっと笑った。

「ごめん、今のはズルい質問だった。凛が嫌だって言うのわかってたから」
「武くん……」
「別れるつもりないよ。離すつもりも、誰かに渡すつもりも」

 耐えきれなくて、武くんに思いっきり抱きついた。武くんの胸に顔を押し付けて、苦しくなるくらい。武くんもギューッと抱き締め返してくれた。武くんの匂いに包まれて、ここに私の幸せがあるって本気で思った。

「……だから、ちゃんと話す。恵のこと。凛の不安がなくなるまで、何回でも」

 元カノの、こと……?聞くのが怖い。そんな私の頬を両手で包んで、武くんは言った。

「恵が好きなのは、俺じゃない」

 って……。ど、どういうこと?

「確かに俺と恵は付き合ってた。でも、恵にはずっと好きな人がいたんだ。相手は職場の上司で、奥さんも子どももいる人だった」
「そ、それって……」
「そう、不倫してたんだ。恵は、その人と」

 不倫って、よくドラマや漫画では見たことあったけど実際に身近で聞いたのは初めてで。戸惑いを隠せない私の頭を、武くんはそっと撫でた。

「俺は同期で仲もよかったし、アイツが傷ついてんのも近くで見てたから。不倫なんてやめろよって言った。そしたらアイツが言ったんだ。なら武が忘れさせてよって」

 武くんと元カノの馴れ初めを聞くのは少しだけ胸が痛い。もちろん昔のことだと割り切ってはいても。

「俺と付き合い始めて、恵と相手は表向きには別れた。恵も誘いを断ってたし、俺のことが好きだって本気で言ってた」
「……」
「……でも、凛と出会う直前の恵の誕生日。恵は俺との約束じゃなくて、不倫相手と会うのを優先した」
「……」
「今となってはもうどうでもいい話だよ。でも、当時はすっげー悔しかった。……凛と出会って、もう一回誰かを信じてみるのもいいかなと思ったんだ」

 ……武くんと出会った時。武くんはものすっごく冷たかった。いつも軽蔑したみたいな目で私を見てた。そんなことがあったからだったんだ……。

「ちゃんと俺の中で恵のことはケリがついたから凛と向き合おうって思ったんだ。だから、恵のことは過去の話だ」
「……なら、どうして元カノは今でも武くんにベタベタするの……?」
「寂しいからだよ。自分を好きでいてくれる存在を繋ぎ止めておきたいだけ。たぶんアイツは、不安でいっぱいなんだ」

 もう、それ以上聞けなかった。武くんと元カノの絆を見せつけられるのが怖かった。もし一緒にいる時に、元カノから泣きながら電話がかかってきたら、武くんは行ってしまうような気がした。例えそこに恋愛感情がなくても。

「……武くん」
「ん?」
「武くんは、今は本当に私のこと好きって思ってくれてるんだよね」
「じゃなきゃ付き合わないよ」
「……じゃあ、武くんの誕生日。私を、武くんのものにして……?」

 武くんが目を丸くする。でも、私の中で覚悟はできた。焦る気持ちも、もちろんある。元カノに負けたくないって気持ちも。でも一番の理由は、武くんが好きだから。武くんになら、何でも捧げられると思うから……。

「…ん、わかった」

 武くんは私の頬にキスをしながらそう言った。
 武くんの誕生日は一週間後。私たちはその日、一つになる……。

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