見えない夜明けに触れたくて


 PCにタンタンっと文字を打ち込んで脱力。ああ、やっと終わった。「合コンなの、よろしくねっ」と私に仕事を押し付けて帰った先輩を心の底から恨む。末代まで呪ってやる。
 時計を見ると終電も過ぎた時間だった。タクシーで帰るか?いや、お金がもったいない。子どもの頃からお母さんに刷り込まれたもったいない精神がここでも顔を出す。
 明日も仕事だ。服は替えたいけど朝にそんな暇ないし、そんな暇があるなら少しでも睡眠時間を長く取りたいと女子力の低い私が頭の中で葛藤する。……結局、色気より眠気。私は応接用のソファーに横になった。顔にハンカチを掛けたのはせめてもの恥じらい。
 すぐに夢の中に旅立った私は変な夢を見た。「こんな仕事やめなさい」と誰かに頭を叩かれる夢だ。叩かれると言っても優しく慰めるように、それでいてどこか愛しさも篭ったような。
 ちなみに25歳独身・彼氏もいません。好きな人は……まぁ、いるけど。長く独り身で妄想力だけは逞しく育った私の夢も最近妄想ばかりだ。だからそんな夢を見たのだろうと冷静に分析していたらハッと目が覚めた。カーテンから漏れる光は既に朝のそれで、慌てて時計を見たらまだ6時だった。コンビニに行って歯磨きと朝食を買って……なんて思っていた時。ソファーに突こうとした左手がムニュッと何かに触れた。何気なく左隣を見て固まったのは、隣にいたのが好きな人でしかも私が握っているのが彼の股間だったからだ。

「……あー、まず手離してくれる?俺の俺が目覚めちゃうから」
「……!」

 次の瞬間には土下座をしていた。イケメンの大事な部分に私ごときが触れてごめんなさい。しかもちょっとラッキーとか思ってごめんなさい。なかなか手応えのある、とか思ってごめんなさい。

「いや、土下座までしなくても……、あの、清水ちゃん、ちょっと顔上げようか」

 彼……松本さんは私の上司だ。正確には隣の課の課長さんだ。イケメンで仕事も出来るんだけど、どこか飄々としていてすぐに下ネタを言うのであまり女子社員からの人気はない。男性としては。
 私はある時期から彼に猛烈に片想いをしていたので今どうして彼が隣にいるのか、彼も会社に泊まっていたのか、いや、泊まっていたとしても隣で眠る必要はあったのか、なんて頭の中をグルグル回る思考と闘っていた。

「清水ちゃん、何でここで寝てたの?昨日帰れなかった?」
「あ、そうなんです。終わった時には終電の時間過ぎてて……」
「タクシーとかは?」
「……お金が、もったいなくて」
「……。うん、まあ、気持ちは分からなくもないけど」

 松本さんは少しだけ苦笑した後立ち上がった。そして「コンビニ行くけど一緒に行く?」と聞いた。元々コンビニに行きたかったのもあって、私は急いで頷いた。
 朝のコンビニは空いていた。レジには見たことのないお兄さんがいて、多分深夜から早朝にかけてのバイトさんだろう。ビルの一階にあるこのコンビニは会社の人は皆常連で、でもこの時間帯にいる人もそうそういない。私たちはいるけど。片想いしていた松本さんとコンビニで二人で買い物をしているのは何だか不思議な感じで、それでもやっぱり嬉しかった。隣を歩くことにすら幸せを感じられるのは片想いの特権だと思う。
 私は一旦松本さんから離れて必要なものをカゴに入れていった。歯ブラシ、朝ご飯、栄養ドリンク。松本さんは大人向けの本を立ち読みしながら「うほっ」なんて言っていた。ああいうところを開けっ広げに見せられる松本さんも素敵だと思う(これは完全に恋は盲目というやつだ)。
 レジに行くと松本さんがやってきてお金を払ってくれた。もちろん奢られる義理もないので抵抗したけれど、「男には格好つけないといけない時があるから」なんてドヤ顔(すごくカッコいい)で言われたら目がハートになってしまう。
 コンビニから帰ってくるとさっきの応接用のソファーに二人並んで座って朝ご飯を食べた。男女が共に夜を過ごした後だというのに全くと言っていいほど色気がないけれど、私は満足だった。松本さんと他愛ない話をして隣で笑えるのが嬉しかった。

「さぁ、そろそろ仕事するか」
「そうですね。松本さんも忙しかったんですね。会社に泊まるなんて」
「うん、まぁ」

 うーんと伸びをして松本さんが立ち上がる。私も立ち上がって服を整えた。昨日と同じ服だしお風呂も入れなかったけど……、まあいいか。

「清水ちゃん」
「はい」
「次会社に泊まる時も付き合うから言ってね」

 パチっとウインクをして松本さんは自分のデスクのほうへ行った。マジですか、またこんな幸せな朝が迎えられるんですか。社畜も悪くないと思った春の終わりの出来事だった。
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