敏腕社長の裏の顔


「すみれちゃーん、これコピーお願ーい」
「はい」

 資料を受け取ってコピー室に向かう。忙しそうにPCに向かったりタブレットで熱心に会議する皆さんの姿を見ながら。
 ここは急成長中の某企業だ。社長から社員まで全員が35歳以下というとても若々しく活気溢れる職場だ。
 ちなみに私は大学生で、ほぼ単位も取り終わっているので週四でここに雑務のバイトをしに来ている。土日と夜はカフェのバイト。学生のうちにこんなに働いてもったいないと友人には言われるけれど仕方ない。
 父が不倫して家を出てから、仕事をしない母親の代わりに必死で弟の生活費と自分の学費を払ってきたから。何で自分だけ、なんてネガティブになったって苦しいだけ。今の私はとても充実しているし後悔もしない。

***

「それにしてもまだ処女だなんてもったいないわね」

 ある日の飲み会で、私は受付嬢のお姉さま方に絡まれていた。皆さんとてもいい人なのだけれど、お酒を飲むと少し面倒になる。とにかく恋愛をしている暇もなかったからどうでもよかったのだけれど、そう言われると焦ってしまうのも事実で。受付嬢の一人、出口さんが遠くの席に座る男性陣を一人一人指差しながら私に言う。

「お金も才能もあるけどちょっと俺様な社長?俺様社長と社員の潤滑油の役割をしてくれるけどプライベートは全く謎な副社長?女なんか興味ないですーって顔してる硬派な主任?それとも、いつもニコニコしてるけど裏で何を考えているか分からない主任?すみれちゃんはどれがいい?」
「っ、え?!ここから選ぶんですか?!」

 当たり前じゃない!とお姉さま方に責められる。正直ここにいる人は皆さん素敵な人だけれど、違う世界の人だという感じがする。私はお金のないしがない大学生で、ここにいる人たちは皆さんとても輝いている。やりたいことをやって、もちろん仕事だから大変なこともあるだろうけれど、生き生きとしているから。くだらない劣等感と共に、私はここの人たちを見ているのだ。

「好きなタイプいない?」
「いや、好きなタイプ以前に同じ世界の人だと思えないです……」
「何言ってんの。みんな同じ人間だよ。すみれちゃんも、ここにいる人も、みんな」
「……」

 同じ人間。何故かその言葉が頭から離れなかった。
 皆さん若いからか飲み会は深夜に及んだ。私は明日も朝からカフェのバイトなのだけれど、一日くらいは寝不足でも何とかなるだろう。それに楽しいからまだ帰りたくない。そんなことを考えていたらずるずると居座ってしまって、結局お開きになるまでいた。
 楽しそうに騒ぎながらパラパラと解散していく人たちを見ながら、私もそろそろ帰ろうと歩き出す。その時、後ろから呼び止められて振り返ると受付のお姉さま方がいた。二次会でもあるのだろうかとふらふらと近寄ると、ニヤニヤと笑っていて警戒する。その予感はやっぱり当たって、さっき話に出て来た社長、副社長、そして主任二人が勢ぞろいしていた。萎縮してしまって出口さんの背中に隠れるものの、みんなの視線が私に向く。そして出口さんがとんでもないことを言った。

「ほら、処女捧げるの誰がいい?」
「ゲッ!!」

 無理です無理ですと何度首を横に振っても聞き入れてもらえない。社長は早くしろとばかりに不機嫌そうな顔をしているし、あわあわと焦る私を助けてくれる人は一人もいない。もうどうなってもいいや。酔っ払っていてヤケになっていたのもある。私は目を瞑って適当に指を差した。「この人!」と。

***

「いつまでそこに突っ立っている」
「っ、はい!」

 どうしてこんなことになったんだろう。今、私は社長の超高級マンションに来ていた。どうして適当に指を差してしまったんだろう。どうしてちゃんと断らなかったんだろう。大変なことになってしまったと頭が真っ白になる私とは対照的に、当然社長は悠々とソファーに腰掛けているわけで。座れと言われてもどこに座ればいいか分からなくてソファーの横に座ると、社長は訝し気に私を見下ろした。

「どうして床にいる」
「えっ」
「ここに来い」

 社長の隣を手でポンポンとされて、体を固くしながらも素直に従う。ソファーがフカフカすぎて今までこんなに気持ちのいい座り心地を経験したことがなかったから少しテンションが上がった。けれど、次の瞬間。

「う、わっ」
「早く終わらせるぞ」

 そのソファーに強引に押し倒されてすぐ真上で社長がネクタイを緩めるのが見えた。驚いている間に社長が首筋に顔を埋めてくる。我に返った時にはもう服の中に手が入ってきていて、私は慌てて社長の胸を押した。

「や、やめてください」
「あ?俺に抱かれたいって言ったのはお前だろう」
「そ、それは偶然……!」
「めんどくせえからごちゃごちゃ言うな」
「私初めてなので……!」
「それはさっき聞いた。初めてだから好きな人と……なんてめんどくせえこと言うのか?」
「さっきからめんどくせえばかり言いすぎです!」
「めんどくせえだろうが」
「面倒だと思いながら抱かれたい女なんていると思いますか!」

 真っ赤な顔をして必死で抵抗したら、社長は目を丸くして起き上がった。そして顎に手を当てて考え込んでしまう。流されたとは言え簡単に家までついてきてしまった私が悪い。謝って今日は帰ろうと体を起こした時、社長がポンと手を叩いた。

「お前は今一番何が欲しい?」
「……お金です」

 質問の意図が分からないまま反射的に答える。社長は目を瞬かせた後ふっと笑った。

「俺は身の回り世話をしてくれる人間が欲しい。正直今お前を抱けと言われても面倒以外の何物でもない。だがお前が身の回りの世話をしてくれるなら助かる。代わりに、お前の一番欲しいものをやる」
「……え」
「俺がお前を抱くのを面倒だと思わなくなったら抱いてやってもいい」
「別に抱かれたいなんて思ってません」
「処女を捨てたいんだろう」
「それは皆さんが勝手に盛り上がっていただけです!」

 反射的に言葉を返す私に、耐えきれなくなったように社長が噴き出す。笑ってるの初めて見た。て、今はそんなことどうでもいいの。身の回りの世話をするとお金が貰える。それはとてもありがたいのだけれど、社長にそこまでのメリットがあるのだろうか。社長だって突然私を抱けなんて意味の分からないことを言われてこうして部屋にまで上げてくれて、結局そういう関係にもならなかったし。……まあ、私の体にそこまでの価値がないと言われたらそこまでだけど。どうしても私が社長にしてもらうことの方が比重が大きい気がする。相当納得の行かない顔をしていたのか、社長は私を見て「ああ」と言った。

「月に20万渡す」
「20万?!」
「ああ」
「そ、それ貰いすぎじゃ……」
「そのドアを開けてみろ。20万じゃ足りないならもっと出す」

 社長がリビングから直接繋がるドアを指差す。20万じゃ足りないかもしれない何かがここにあるということ……?恐る恐るそのドアに手を掛ける。その瞬間、みしっと変な音がしたからおかしいとは思ったのだ。けれど私はそのままドアを開けた。その瞬間、雪崩のように物がリビングに流れ込んできた。慌てて飲み込まれないように逃げようとするも、遅れて足を取られる。床にベタンと倒れ込んだ私が顔を上げると、涼しい顔で社長が私を見下ろしていた。

「俺は仕事以外の日常生活をどうしてもおろそかにしてしまう。だからお前には秘書兼家政婦をやってほしい」
「……」
「秘書も家政婦も大変すぎてすぐにやめてしまうからな」

 これ、おろそかにしてるレベルじゃないです。処女だとか抱かれるだとかそんなことはもう遥か彼方に忘れてきた。これは仕事の鬼になるしかないと決意した、大学三年生の春のことだった。

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