大人しく人気のない非常階段に座って待っていた。仕事が終わるまで待っていてくれと課長に言われたからだ。柄にもなくドキドキして、浮かれている。
 恋を自覚した。今まで出会った誰にも感じたことのない、初めての感情。私はこれからどうなってしまうのだろう。心臓が保つ気がしない。

「おう、お待たせ」

 後ろから聞こえた声にビクッと身体が跳ねた。慌てて立ち上がる。

「行くか」

 私の様子を気にすることもなく、課長は歩き始めた。今の時間はどこもいっぱいだな、腹減ったけど自炊も面倒くせーし、コンビニでいいか。独り言を言いながら、課長は歩を進める。
 非常階段を出てホールを抜ける。ホールにはチラホラと見知った顔もあったけれど、二人で歩いているからとヒソヒソされたりしない。よく皆んなで飲みに行くし、今日もそうだと思われているのだろう。

「なあ、聞いてる?」
「えっ?」

 課長が振り向いた。どうやらさっきの独り言は独り言ではなく、私に向けて言っていたらしい。

「えっ、あっ、私は、何でもいいです」
「ふーん」

 それだけ言って前を向いてしまった課長の後ろ姿を見つめる。ヤベ、この人、めちゃタイプ。なんて今更なことを思っていると。

「由紀!……あ」

 会社を出たところで声を掛けられた。もういい加減ストーカーとして警察に相談していいレベル。元彼No.15。
 思いっきり嫌な顔で振り向くと、元彼の視線は課長に向いていた。何か嫌なことを課長に言うつもりかと無意識に課長の前に進み出る。壁になるつもりが、私の遥か上で目線が合ったままだったので意味のないことに気付いた。

「今日はこの人と?」

 悪意たっぷりにそう言って、元彼は鼻で笑った。誤解されるようなことは言わないでほしい。私は今まで、好きとは思えなくても恋人に対して誠実でいるつもりだった。浮気をしたことは断じてない。お付き合いをしていない人と身体の関係になったのは課長が初めてだ。

「あの……っ、」
「おー、そうだな。今から俺の家の俺のベッドの上で誰かさんには想像もつかないエロいことすんだよな」
「は……?」
「か、課長……っ」

 課長は顔に笑みを浮かべて、まるで挑発するみたいに元彼に言った。元彼の顔がみるみる険しくなっていく。いや、何彼女の浮気発見みたいな顔してんだよ、私が誰と何しようともうあんたには関係ないんだよ。

「もう椎名なんてトロットロのグッチャグチャだよな。イキすぎて気絶するくらい」
「そっ、んなこと……ないとも言えないけど……」

 実際、毎回気絶寸前なので強く否定できない。「ぶはっ、素直」と課長が笑ったことはとても恥ずかしいが。

「なっ、コイツ、濡れねーじゃん!」
「まず上司に対してタメ口はやめて」

 内容よりそれが気になって思わず注意した私に課長はまた噴き出した。そして私の肩を抱いた。

「お前が経験したことないくらいエッロいセックスしてるからもう心配すんな。次待ち伏せしてたら警察な」

 さっきまで笑っていた課長が怖い顔をした。この前部下がミスを他の人のせいにしていたのがバレた時の顔だ。室温が氷点下になった気がして身震いしたっけ。今は私を守ってくれているのが分かるから怖くないけど。元彼はぶるりと体を震わせた。

「お、お前、感じないんじゃ……、お、俺のこと騙したのかよ?!」

 この空気でまだそんなことを言える無神経なところを尊敬する。大嫌いだけど。

「俺以外には、な」

 そう言って不敵に笑った課長がキラキラして見えたのは気のせいではないはず。

***

 課長の部屋に行くとすぐに抱き寄せられ、キスをされた。噛み付くように深く口付けられ、私も必死で応える。課長の首に腕を回す。そのまま抱き上げられた。

「あー、私今からこの人に抱かれるんだ、と思ってる?」

 着いたのは当然寝室。ニヤニヤ笑う課長すらとても格好良く見えるんだから重症だ。

「俺は、今からコイツの中に突っ込んでアンアン言わせてー、と思ってる」

 ベッドに下ろすと、課長は私を見下ろした。真っ暗な部屋。暗い視界の中で、感じる体重だけがリアルだ。

「思ってる、けど今日は抱き締めて寝るだけにする」
「えっ」
「あー、心配しなくても明日の朝には抱いてやる」

 課長は私の隣に寝転んでギュッと抱き締めた。そして本当に目を瞑ってしまったようだ。

「あの……、」
「何となく、今日はセックスするべきじゃないと思って」

 大事にしようとしてくれているのか?さっき元彼に暴言を吐かれたばかりだから?そんなの、課長のお陰で全部飛んだのに。

「あの……」
「どんだけ誘っても今日は抱かないって決めてるから」
「違うんです。化粧落としたい」

 私がそう言うと、課長は一瞬止まった。そして深いため息を吐いた。

「俺格好つけすぎ?そうだよな、女は大変だよな。俺恥ずかしい……」

 そう言うとヨロヨロとベッドから立ち上がり寝室を出てしまう。私に優しくしてくれているのに、空気読めてなかったかな、と後悔する。でも化粧を落とさずに寝ると明日明後日、遠い未来までずっと後悔することになるのだ。
 私も寝室を出て課長の後を追いかけた。そして大きな背中に抱きつく。ありがとう、って気持ちを込めて。

「ごめんなさい。あとでいっぱいギュッてしてください」
「……」
「誰かの隣で安心して眠れるの、あなたが初めてなんです」

 だから、お願い。あなたのそばにいさせて。
 その日は確かに抱き合って眠ったけれど、宣言通り次の日の朝どちゃくちゃエロいセックスをしたのは、また別のお話。
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