「お姉さん、こんな時間に一人でどうしたの?」

 駅の前のコンビニに立ち寄ると声をかけられた。こういう時はオロオロしたりすると付け込まれるので毅然とした態度で接するに限る。

「仕事帰りです。疲れているので失礼します」
「疲れてる時には酒でしょ。一緒に飲もうよ奢るからさー」
「お酒飲めないのでいいです」
「カゴに酒入ってるんですけどー」
「夫のです」
「指輪してないじゃん」

 ケラケラ呑気に笑う男にゲンナリする。嘘をついてまで拒否しているのだから空気を読んでほしい。ああもう面倒だな、トラブルはできるだけ避けたいけど仕方ないか、と男に向き直った時、男と自分の間に誰かの背中が見えた。

「うちの妻に何か用ですか」

 男はモゴモゴと何か呟きながら去っていった。

「あの、ありがとうございました」
「彼女守んのは当たり前でしょ」
「……ゲ」

 目の前にいたのは最近私を酷い目に遭わせてきたあの男だった。勘弁してください。

「誰が彼女ですか」
「えっ」
「いい加減にしてください。警察に突き出しますよ」
「えっえっ?俺たち別れたの?」

 ちょっと何言ってるのか分からない。相手も戸惑った顔をしているのも更に意味が分からない。

「じゃあ今別れてください。あなたのことは好きじゃありません」

 頭を下げてレジに向かう。後ろから

「じゃあ他に好きな男いんのかよ?もしかしてあの課長か?!」

 という言葉が聞こえたけれど知らないフリをした。

***

「おう名器」
「……。その呼び方やめてもらえませんか」

 給湯室でお茶を淹れていると後ろから声をかけられた。いつも怒られているから声で分かる。

「今夜暇か?暇だよな。飯行こうぜ」

 どうして私に近付いてくる男は皆こうなのだろう。たまには優しい男に会いたい。……いや、優しいフリをして束縛が激しい男もいたから表向き優しい男も嫌だけど。

「どうせ暇ですからいいですよ」
「何、なんか荒れてる?」
「荒れてません」

 課長はすぐ後ろに立って顔を覗き込んできた。近い。

「顔赤いけど」
「赤くないです」
「近付いただけで赤くなるなんて可愛い女」

 ふっと笑うと課長は去っていった。何つー寒い口説き文句を。少女漫画でよく見るわそんな台詞。あの人はタチが悪い。赤くなった顔を誤魔化すように熱いお茶を飲んで口の中を火傷した。

***

「ぶひゃひゃひゃ、面白ぇなアイツ。まだ別れてないつもりだったのか」

 あの男のネタは課長に話したらものすごくウケる鉄板ネタだった。課長はテーブルに突っ伏してしまうほど笑っている。

「そんなに笑っていただけたら嫌な思いをした甲斐があります」
「お前って何かダメな男を惹きつけるフェロモンかなんか出てんじゃねーの」
「そうかもしれません。恋愛には嫌な思い出しかないので」
「ふーん」

 今まで笑っていたくせに急に真顔になってまっすぐ見つめてくる。少し居心地が悪い。心臓が痛い。課長はふーっと煙を吐き出して灰皿に灰を落とした。煙草を挟んだ長い指にあの夜を思い出す。うわ、ダメだ、重症。いつからこんなふしだらな女になったの、私。

「まだ、あー、いくつだっけ」
「24です」
「24だろ。まだまだ人生これからだ」
「でも例えば30歳で結婚したとして、そしたら50年ほど一人の男の人と連れ添うわけですよね。人生の大半ですよね。すごく不安になりますね。慎重に慎重に相手を見極めなければと思いますよね。特に私みたいに男の人を見る目が最悪な場合には」
「お、おー」
「課長は32歳ですよね。今まで結婚とか考えたことなかったですか?結果的にまだ結婚されてないわけですが、それはどうしてですか?」
「……あー、ごめん。そこまで深く考えてない」

 何だか絶望した。私より随分年上の人が深く考えなくてもできることを、深く考えてもできない自分に。

「お前はさ、多分運が悪かったんだよ。嫌な男ばかりに当たったんだよ。俺は恋愛も結婚も感覚的なものだと思う。結婚はもちろん愛情だけではやっていけないけど、でも結局決めるのは頭じゃなくて体なんだ」
「頭じゃなくて、体……」
「そう。この人が好き、この人と結婚したい、強く思うんだと思う。お前は今までそういう強い気持ちを持てる相手に出会えなかったからその感覚を知らない。だから頭で考えてしまう」
「課長は……、課長はあるんですか?そんな相手に出会ったこと」
「……、まあ、あるな」

 そっか、あるんだ。24年も生きてきて本当に好きになれる人に出会ったことがないのは少し寂しいけれど、課長の言う通り人生これから。まだ焦ることはないのかもしれない。

「帰るか」

 課長がお酒を飲み干して言った。

***

「付き合わせて悪かったな」
「いえ」

 課長と並んで夜道を歩く。寒くも暑くもない、心地よい風が頬を撫でる。もうすぐ立っているだけで暑い季節に変わっていくのだと思うと少し心が落ち込む。

「明日は何か予定あんのか?」
「そうですね、スーパーに行って作り置きのおかずでも作ろうかと」
「ふーん。堅実だな」
「割と嫌いじゃないんです。料理してる時は無心でいられるし」
「料理できるとかすげーポイント高いじゃん。お前いい女だな。名器だし」
「それちょくちょく出してくるのやめてもらえますか」

 私のアパートの前に着いた。お礼を言おうと立ち止まる。

「お前今日生理?」

 今更だが課長はデリカシーがない。

「違います」
「いや、やっぱ今日はやめとくわ。体目当てだと思われんのも癪だしな。また月曜に」
「はい。今日はありがとうございました」
「おう」

 帰っていく後ろ姿を見送った後部屋に入った。不思議な気分だ。下心なしで男性に食事に誘われたのは初めてかもしれない。……いや、下心はあったのか?それに楽しかったし。今日は気持ちよく眠れそうだ。
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