あの、一年前の女の子が加藤さんだと、課長は覚えているのだろうか。聞いてみるか。いや、それがきっかけで思い出して彼女を意識し始める……なんて悲しすぎる。私、自分のことばかりだな。

「課長、今日昼飯一緒に行きませんか?」

 昼休憩、課長が男性社員に誘われた。もうお昼か。私もまた屋上でお弁当食べよう。ちなみにあの元カレはあれ以来全く姿を現さない。同じ会社なのに全く姿を見ないということはきっと私を避けているということ。とても快適である。

「あ?外出る時間ねーからここで食うんだけど」
「ちょっと相談があって……」
「何」

 あんなに冷たくしているのに相談したいという男性社員が絶えないのはすごいと思う。私ならあんなに冷たい態度の人に相談する勇気ないけど。しかも、その相談というのが大抵恋愛の相談なのだ。

「前告白された人のこと、課長は覚えてますか?」

 みんなが聞いてるところでよく相談できるな。と、思いながらも気になりすぎる内容に思わず耳を傾けてしまった。最近気になっている人が、その彼の友達曰く前に彼に告白した人らしい。そこからどう動いていいか分からず悩んでいると。

「俺は全く覚えてない。好きなら行け。以上」

 覚えて、ないんだ。ガタ、と隣の隣の席で音が鳴った。

「すみません、休憩行ってきます」

 加藤さんの真っ青な横顔を見て、自分のことばかり考えていた自分を嫌悪したのだった。



「由紀」

 ハッと背筋を正す。考え込んでいたせいで、無意識のうちにお箸で切っていた卵焼きは小さくなりすぎていた。

「課長……」

 屋上の涼しい風が課長のネクタイを揺らす。相変わらずクールな目で彼は私をじっと見ていた。

「珍しくボーッとしてんな」
「そんなことないです」
「そうか」

 スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、彼は歩いてベンチまで来ると私の隣に座った。

「なぁ」
「はい」
「今日は見せてくんねーの、セクシーなスカイブルーのヒラヒラパンツ」
「……」

 スカイブルーのひらひら……?一瞬何のことか分からず考え込む。でもすぐ思い出した。一年前のちょうどこの場所での失態を。

「お、覚えてたんですか?!」
「忘れられるわけねーよ。脱がすのとたまたま見えるのとではまた趣が違う」
「変な言い方しないでください!」

 ニヤッと笑う課長にからかわれて真っ赤になって言い返す。確かに身体中、隅々まで見られているけれど、いや見られているどころじゃないけれど、自分のドジでたまたま見られたのではまた違う恥ずかしさがある。

「え、でも、ということは加藤さんのことも……?」

 課長はもう私を見ていなかった。ぼんやりと遠くを見て、何も言わなかった。つまり、覚えているってことだ。

「さっき、なんで……」
「応えらんねーから変に期待させないほうがいい」

 じくりと胸に小さく火傷みたいな傷ができた気がした。自分に言われたわけでもないのに。

「彼女、まだ、好きなんですかね」
「さぁな」
「分から、ないですよね。彼女可愛いし、もしかしたら、課長だって……」

 裏切られるのには慣れている。浮気。借金。慣れてしまうほどに経験してきた。甘い言葉を囁いて、好きだと言っておいて、私を都合のいい女にする。セックスしてるだけの女にこんなことを思われているだけで重いだろうか。でも、初めてだ。こんなに他の誰かを好きにならないで、って思うのは。

「由紀」
「は、い」
「お前、俺のこと好きなの」

 ハッとして課長を見ると、目が合った。茶色い小さなボールに私が映っている。感情が読めない。その瞳の奥にあるのは、からかい?期待?それとも、無?

「だったら、何ですか」
「ふっ、いや、めちゃくちゃ可愛いなと思っただけ」

 やめてその笑顔濡れちゃう。次の瞬間には頬に手が添えられて唇が重なっていた。柔らかくて心地いい。ペロリと唇を舐められて少し口を開けると、舌が入り込んできた。じわじわと侵食される。理性が、どろりと溶け出す。

「……心配しなくても俺は、会社で他の女とセックスしたりしねーよ」
「思い出させないでください」
「ははっ」

 課長の胸に抱き寄せられる。ゆったりと髪を撫でられるだけで心が落ち着いていくのは何故だろう。ああ、そうか。ここにいたいと、望んだ場所だから。

「しゃーねーな。由紀の初恋だもんな」
「はつ、こいって、」
「違うの」
「違、わなくも、ない、かもしれないけど」
「どっちだよ」

 誰かの笑顔を見ただけでどうしようもなく胸がときめくのが恋だとしたら、初めてなのかもしれない。

「責任取るしかねーな」

 この胸に抱き寄せられるのは私だけがいい。そんなつまらない独占欲すら愛おしいと思えるから、私の初恋はこれでいいのだ。
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