温かなこころ

「お願い、ひより!一生のお願い!」
「ええ……」

 私の目の前で必死で頭を下げる友人に困惑する。彼女は今とても困っているらしい。今夜幹事を務める『合コン』に行く予定だった女の子が一人高熱で行けなくなってしまったからだ。

「お金は私が出すから!」
「えっ、それは申し訳ないからいいよ」
「じゃあ今度ランチ奢るから!」
「……。うーん、まあ、一度だけなら……」
「ありがとう、ひより!」

 彼女はまるで私が断らないのを分かっていたかのようにすぐに反応を示した。うん、断れない性格がバレているの、自分でも分かってるよ……。
 ああ、今夜は合コンか。人見知りだから知らない人と一緒にご飯を食べるなんて緊張する。どうせ何も喉を通らない。今日の晩ご飯はカップラーメン決定だ。

***

「私今日は用事があるのでそろそろ帰りますね」

 そう言うと、原田さんが勢いよく顔を上げた。その反応にビックリしていると、パッと立ち上がって先生の部屋へ走って行ってしまう。

「原田さん?!」
「先生、ひよりさん今日デートらしいですよ!」
「え、ち、違います!」

 必死で追いかけるも、こんな時だけ動きの速い原田さんに追い付けない。先生は今お仕事中なのだからこんなことで邪魔しちゃいけない。どうでもいいと無視されるのがオチだろうけど……

「はあ?」

 原田さんの大声に先生がドアを開けた。その瞬間先生と目が合う。煩わしそうな先生に申し訳なくなって、ドアの前に立つ原田さんを引っ張ってその場を去ろうとする。けれど、先生がそれを制止した。私の手を握ったのだ。

「デート?誰と」
「えっ、いや、デートでは……」

 正直私は質問に答えるどころではない。先生が私に触れているなんて、正常に頭が働くわけがないのだ。

「デートでなければ合コンですか」
「……」

 原田さんの言葉に沈黙してしまう。沈黙は肯定。何か言おうにも先生の熱を感じて頭が働かないし、そもそも先生にとってはきっとどうでもいいことだろうし、とにかくこの沈黙が痛い。

「……あまり遅くならないようにな」

 それだけ言った先生は私の手を離して部屋に入ってしまった。閉じられたドアが高すぎる壁に感じる。私はただその壁を見つめていることしか出来なかった。

***

「じゃあ、ひよりちゃんは源氏物語について研究してるの?」
「研究なんて、そんな大層なものじゃないですけど、一応卒論は源氏物語について書く予定です」
「へー、俺はどうしても理系だから物語とかって眠くなっちゃうんだよね。最後まで読めるだけで尊敬するよ」
「私は理系全く駄目だから、理系なだけで尊敬しますっ」
「あはは、全国の理系の人が喜ぶよ」

 何だか隣に座った人がいい人だ。爽やかで嫌味がない格好いい人。そして清潔。先生もこんな格好したらすごくモテるだろうに。いや、モテたら困るんだけど。

「バイトとかしてる?」
「はい、家事代行してます」
「へー、じゃあ家事も完璧なんだ」
「完璧というほどでは……。ただ、無心になれるので嫌いじゃないです」
「やっぱり家事代行頼む人って金持ちなの?」
「さあ……、あまり物欲がなさそうなので分からないです」

 先生の家にはあまり物がない。家はとても大きいけれど、先生の「もの」というわけではないだろうし、何かを買ったというのも聞いたことがない。ただよく私の大好きなケーキを買ってきてくれるのでケチなわけではないと思う。一緒に買い物なんかも行ったことがないので全然知らない。私はただの「家事代行」なのだから知らなくて当然なのだけれど。
 作家さんがどれほど稼ぐのか分からない。印税とか映像化によって多分少なくはないのだろうけれど先生はお金持ち風なところを微塵も見せないから……。

「まあ、家事代行してるだけならそこまで知らないか」

 彼の何気ない一言がズキッと胸に刺さる。その通りだ。その通りなんだけど。先生に片想いしている立場では、痛い。

「でも……優しいのは知ってます」

 私がそう言うと、隣の彼は一瞬黙って私をじっと見た。あまりにまっすぐ見てくるから戸惑う。私の慌て具合に苦笑いした彼はふっと笑ってようやく視線を逸らした。

「ひよりちゃんいいなーと思ってたけど無理そうだね」
「えっ」
「俺じゃ多分そんな可愛い顔させられないしなー。その人のこと好きなの?」
「……っ!!!」

 な、なんでバレたの……?!私そんなに分かりやすかった?!せ、先生にもバレてたらどうしよう……!

「頑張ってね」

 お、応援されてしまった……。多分頑張ってどうにかなるものでもないと思う、けど。何だかこの片想いを続けていいとはじめて自分以外の誰かに言われたような気がして、少し嬉しくなった。

 合コンが終わったのは夜の9時を少し回ったところだった。いつのまにかみんなすごく仲良くなっていて、二次会はどこにするかと話し合っている。

「ひよりちゃんはどうする?」
「私は……」
「ひよりさん」

 私を呼んだのは、思いもよらない人だった。

***

「あの、ありがとうございます。送ってもらって」
「いいえ」

 夜を走る車の中はとても静かだ。繁華街を抜けると辺りを照らすのは街灯しかなく、たまにあるコンビニがとても明るく感じる。住宅街も抜け、見えてきた大きな森。あの麓にある大きな家はいつも私が過ごしている大切な場所。

「どうして迎えに来てくれたんですか?原田さん」
「……。気まぐれです。この暗い中あなたを一人で帰すのが少し心配で」
「いつも先生の家からアパートまで一人で帰ってますよ」
「そうですね」

 夜は静かだ。泣きたくなるほど。孤独を感じる暇もなく、この闇に体も心も呑み込まれそうになる。

「迎えに行った理由は家に着けば分かると思いますよ」
「え?」

 原田さんはそれきり何も言わなかった。
 門の前に車を停め、原田さんはわざわざ後部座席のドアを開けてくれる。お礼を言い車を降りると、夜の匂いがした。少し開いた門から出てきたらしいシロが喉をゴロゴロ鳴らしながら私の脚に擦り寄ってくる。いつもシロがどこにも行かないようにしっかり門を閉めているのにどうしたんだろう。シロを抱き上げたちょうどその時、シロを呼びながら先生が現れた。先生は私を見て驚いたようで目を丸くしている。

「た、ただいま帰りました」
「あ、ああ、おかえり」

 何だろう、言葉では言い表せないけれど、雰囲気が変だ。いつもの穏やかでゆったりとしたものではない。

「では私は帰りますね」
「え、あ、ありがとうございました」

 原田さんはさっさと車に乗って行ってしまう。今日だけはいてほしかった。どうしてかとても気まずい。

「……入れよ」
「えっ、あ、はい」

 家の中に入ると驚いた。飲みかけのコーヒーが4つもある。いつもは自分の部屋以外で喫煙しない先生なのに、リビングにある灰皿には吸い殻がこんもり。上着も何故かそこら中に置いてある。

「あー、片付けは後で自分でやるから。とりあえず温かいもんでも飲むか」
「い、いえ、自分でやりますから大丈夫です」
「ひより」

 先生がじっと私の目を見つめる。あまりにまっすぐな目に戸惑う。顔が熱くなっていくのが分かる。切れ長の綺麗な二重まぶたの奥にある、温かい瞳が私を見ている。きっと数秒なのだけれど、私にはとても長い時間に思えた。

「無事か?」

 次にそう言った先生は私の周りをぐるりと回った。これはもしかして……

「心配、してくれてたんですか?」
「あ?んなわけねーだろ」

 無事か?って心配してないと出ない言葉だと思うんだけど。原田さんが迎えに来てくれた理由が分かった。先生が私を心配してくれて、あまりに落ち着きがないから宥めるためだろう。

「ふふふ」
「何笑ってんだ」
「大丈夫ですよ。話してた男の子はとても爽やかでいい人でしたから」

 先生が私のことを考えてくれていただけで嬉しいのに、部屋があんな状態になるまで心配してくれていたなんて。
 ココア入れてきますね、とリビングを出た。

「それある意味心配なんだが……、まあ、分かってねーか」

 と、呟きながら先生が立ち尽くしていたことをもちろん私は知らない。
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