雨の降り始め

 ピンポーン、ピンポーン、とインターホンが立て続けに鳴る。こんなに遠慮のない鳴らし方をするのは1人しかいない。病み上がりで怠い体を無理やり起こして玄関に向かった。
 今日はバイトが休みで先生の家に行く予定はない。土曜日で大学も休みなので、家でゴロゴロしているつもりだったのに。

「……はい」
「ひより、やっと出……、て、どうしたの?体調悪い?」

 こうしてすぐに気付くのはさすがお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは部屋に入ると私をベッドに押し込め自分はキッチンに立った。何か作ってくれるつもりらしい。助かる。

「最近全然連絡ないから心配してたのよ。ずっと体調崩してたの?」
「……別に、そういうわけじゃないけど……」

 布団の中から、キッチンに立つお姉ちゃんの後ろ姿を見る。言えないことがある。聞いて欲しくないことがある。少し気まずいから連絡しなかったのに。
 高校の教師をしているお姉ちゃんは真面目で責任感の強い人だ。おばあちゃんが亡くなってから私の親代わりをしてくれて、自分のことはそっちのけで私のことばかり心配しているような、そんな。

「はい、お粥食べられる?」
「うん……」

 お姉ちゃんが作ってくれたお粥、久しぶりだな。風邪を引いた時は必ず作ってくれたたまご粥。たった一口で懐かしい気持ちでいっぱいになる。

「最近どうしてたの?」
「別に、普通だよ」
「この前の電話、あれ何?」
「……」

 やっぱり聞かれたくないところを突っ込まれた。シロがいなくなって、動転して何故かお姉ちゃんに電話をかけてしまった。一番頼ってはいけない人に。

「……バイト先で飼ってる猫がいなくなったの」
「猫?ファミレスでバイトしてるんじゃなかった?」
「あの、元々野良だった子を拾って、みんなで……」

 言葉を紡げば紡ぐほど嘘がバレる気がして怖くなる。語尾に行くほど声が小さくなっていたからお姉ちゃんにはきっと嘘がバレている。でもお姉ちゃんは「そう」と言っただけでそれ以上何も言わなかった。

「そろそろ帰るわね。一人で大丈夫?」
「うん」

 お粥を食べ終えた後の片付けまで済ませてお姉ちゃんは帰っていった。
 一人になった部屋。窓から外を見ると雨が降ってきたようだった。お姉ちゃんは傘を持っているだろうか。
 その時、ピンポーンとインターホンが鳴った。お姉ちゃんが傘を借りに来たのかもしれない。私は画面も見ずにドアを開けた。インターホンの鳴らし方がお姉ちゃんとは違うことに気付きもせず。

「か、さ……」
「傘?」

 ドアの前に立っていたのは先生だった。バイトが終わるのが遅くなった時に送ってもらったことがある。先生が家を知っているのは不思議じゃない。でも、なんで……

「色々買ってきたんだが……、誰か待ってたか?」

 首を横に振る。ブンブンと音が出そうなほど。まさか先生がお見舞いに来てくれるなんて。お姉ちゃんが帰って一人になって、孤独で埋め尽くされそうだった心の中がほんわりと温かく、そして一部が焦げ尽くされそうなほど熱くなる。
 先生から渡された袋の中にはプリンやゼリーや果物など一人では食べ切れない量が入っていた。

「あー……、じゃあ」
「あの、コーヒーでも……」
「……いや、一人暮らしの女の子の部屋におっさんが入るのは、さ。申し訳ないし」

 いつものふてぶてしい先生とは違い、何故か大人しい先生。思わず吹き出すと、先生が怪訝そうに私を見た。

「あ、でも風邪移すか……」
「いや、それはいいんだけど」
「……じゃあ、雨が止むまでだけ」

 そう言うと、先生は躊躇しながらも頷いてくれた。バイトを休んだ日に先生が会いに来てくれるなんて。嬉しくて体調が悪いことも忘れてしまいそうだ。

 浮かれていた私は気付いていなかった。アパートの下に傘を借りに戻ってきたお姉ちゃんが立っていたことに。

「広瀬、祐二郎……?」

 雨は勢いを増していた。
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