アップルティー

「すずちゃん、お疲れ様」
「あ、ありがとうございます」

 初日のバイトを何とか終えた私に翔さんがアップルティーを淹れてくれた。ふんわりと香る優しい匂いに癒された後、一口飲むと疲れを忘れるほどの甘さと苦さが程よく混じり合った優しい味がした。

「美味しい……」
「でしょ?」

 そう言って微笑む翔さんの笑顔も美味しいです。仕事は大変だけどこんな幸せな職場でその上お金も貰えるなんて幸せすぎて死んじゃうかも。

「智輝、久人、紅茶淹れたよ」
「はーい」

 キッチンで片付けをしていた滝沢とメグさんも翔さんの言葉を聞いてキッチンから出てきてカウンターに座る。二人もこのアップルティーはお気に入りのようで、いつも眉間に皺が寄っている滝沢も(少なくとも私からはそう見える)クール系美人のメグさんも(絶対に口には出せないけれど)穏やかな顔でじっくりとアップルティーを味わっているようだった。翔さんはカウンター周りの片付けをし、売上金を数えるためかレジを開ける。長く綺麗な指が動くのを見ているだけでうっとりとしてしまう。ほう、とため息を吐いた時、隣から視線を感じて私は恐る恐るそっちを見た。

「……何」
「べっつにー」

 あ、もう眉間の皺戻ってる。滝沢は私から視線を逸らした。また翔さんのことからかってくるかと思ったのに、さすがに本人の目の前では何も言わない。滝沢でもたまには空気読むんだ。なんて失礼なことを考えていると、カランカランとお店のドアに付いているベルが鳴った。

「おーす」
「ちーす」

 入ってきたのは煙草を咥えたスーツの男の人だった。滝沢とメグさんが普通に挨拶をしているのを見るとお客様ではなく知り合いのようだ。彼は私を見つけると途端に険しい顔をした。そして。

「おい翔!また新しいバイト入れたのかよ勘弁しろ!」

 カウンターの奥にいる翔さんに向かってそう怒鳴った。な、何か怖い人……!裏のお仕事をされている方かな……。

「悠介、すずちゃんが怖がるから大きな声出すのやめて」
「相変わらず女に甘い奴だな腹立つ」

 ちぃっと大きな舌打ちをして悠介と呼ばれたその人は私の隣に座る。ビクッと大袈裟に体を揺らした私に、奥から売上金を持ってきた翔さんが優しく笑った。

「怯えなくて大丈夫だよすずちゃん。悠介はこう見えても高校の先生だから、怖いことはしないよ」
「こう見えてもってどういう意味だコラ」
「賄い作るねー」

 先生……?!先生なんだ……隣に座る悠介さんをじっくり見てみると、雰囲気は怖くて威圧的だけれど綺麗な顔だ。翔さんのお友達なのかな?類は友を呼ぶ……

「お前の視線には遠慮ってもんがねえな」
「え!あ、すみません!」

 呆れたように私に目を向けた悠介さんに焦り必死で謝る。隣で滝沢がゲラゲラ笑っていたから太ももを思いっきり抓ってやった。賄いを作るとキッチンに入って行った翔さんに渡された売上金を悠介さんは取り出し整理を始める。何をやっているんだろうと思っていると悠介さんは電卓とPCを取り出しそれを数えているようだった。

「アイツこういう事務的なこと全くできないからさー」

 不思議に思って見つめていた私の気持ちを読み取ったらしい悠介さんがPCから目を逸らさないまま言う。いつの間にか悠介さんの前にもアップルティーが置かれていて、悠介さんはそれを一口飲んだ。

「俺が毎日仕事終わりに寄ってこうやってんの。バイト禁止なんだけどなー」
「でも金銭は発生してないでしょ?」
「おい毎日やらせてんだから金寄越せ」
「はいバイト代」

 キッチンから戻ってきた翔さんの手には、四人分のパスタ。ベーコンとキャベツが乗ったトマトクリームパスタは、見た目も匂いも食欲をそそった。メグさんがフォークを持ってきてくれてそれを受け取ると、滝沢とメグさんは我先にとがっつき「うめー!!」と叫ぶ。私も早くいただこうと思った時、翔さんの前にはパスタがないことに気付いた。

「あれ、翔さんは食べないんですか?」
「うん、俺はちょくちょくつまんでるから」

 そう言ってキッチンに戻ってしまった。誰も何も言わないのでその話は終わった。私もトマトクリームパスタを頬張る。それは今まで食べたパスタの中で一番美味しかった。賄いでこんなに美味しいものをささっと作れるなんてすごい!お前ほんとに幸せそうに食べるなーなんて滝沢の呆れた言葉もスルーできるほど夢中で食べた。
 その後悠介さんが出してきたバイトの契約書に目を通しサインをして、その日は帰ることになった。

「遅いし送ろうか」

 悠介さんがそう言ってくれたけれど、悠介さんと私の家は全く逆方向だったので遠慮した。それにバイトの度に送ってもらうなんて申し訳ないし。お疲れ様です、と頭を下げて背を向ける。確かにこの辺りは暗くて怖いかもしれない。何か自分の身を守る方法考えないとな、そんなことを考えながら歩いていると。後ろからタタタッと誰かの足音が聞こえた。

「すずちゃん」
「っ、はいい!」

 ビックリした!変な人だったらどうしようと思っていたから体がビクッと跳ねて変な声が出てしまった。私に声を掛けて来たのは翔さんで、「驚かせてごめん」と申し訳なさそうに謝られてしまった。子犬のような目に何だか悪いことをしているような気分になり必死で大丈夫ですと手を振る。安心したように笑う翔さんの笑顔を見て、確かにうっとりしてしまうほどの美しさだと思った。

「送る」
「え!大丈夫ですよ!慣れないとだし……」
「家の方向同じだし、迷惑じゃなければ送らせて」

 迷惑だなんて、そんなわけない。少し前を歩く翔さんの後ろ姿を見つめながら、こんなに優しかったら誰でも勘違いしちゃうよ、と。ドキドキするのを抑えられなかった。

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