皇帝エージ



 あれから数日。私は毎日『EA』のスタジオに来ていた。

「お疲れさまでーす」

 今日もいつも通り、誰かが練習してるか、ソファで話してるか、どっちかだと思ったのに。スタジオの光景に、私は固まった。

「……あ」
「………!」
「ご、ごめんなさい!」

 バタン、と音をたてて扉を閉めた。そして、お城に向かって走る。なんで、なんで……!なんで楓さんと莉奈がキスしてんだろう!付き合ってんの?それとも……わかんない!それに、思いっきり目合ったのに逃げてきちゃった!だけど、逃げる以外に方法はあるの?気まずいじゃん……!
 私はいつもみたいにエージさんの部屋に行った。そして、いつも通りにエージさんを起こす。

「エージさん」

 そう言って体を揺らすと、エージさんは目をこすって私を見た。

「陽、乃……?」
「はい、こんにちは」
「………」

 エージさんは枕元にあった携帯を開いて、次に不思議そうに私を見た。

「まだ5時じゃないよ?」
「……っ」

 エージさんを起こす時間は決まってる。夕方の、5時。5時ぐらいにみんな集まって練習するから。
 だけど、今日起こしたのは4時半。だって……、スタジオに入れないからエージさんの部屋しか来るとこなかったんだもん。

「どうした?」
「えっと、あの……」

 楓さんと莉奈がキスしてたから、なんて言えないし。このままダンマリ決め込んでたらエージさん諦めてくれないかな……なんて思いは叶わなかった。エージさんは穴が開くほど私を見つめてる。ど、どうしたら……!

「みんな、いんの?」
「え……」
「みんな揃ったから呼びに来たんじゃねぇの?」

 わ、私のバカ!エージさん自分で答え出してくれてたのに(間違ってるけど)!

「なんで早く起こした」

 エージさんはまた私を見つめてくる。

「と、トイレどこかわかんなくて……」
「昨日行ってたじゃねぇか」
「じゅ、ジュース飲みたくて……」
「スタジオの冷蔵庫に入ってる」
「えっと、あの……」
「楓か?」
「え……!」

 私の反応を見て、エージさんはフッと笑った。

「楓がお前じゃないほうとイチャイチャしてたんだろ」

 私じゃないほう、っていうのはたぶん莉奈のことで。

「な、なんで……」
「楓が女に手出すのはいつものことだ。気にすんな」

 でも……でも、相手が問題だよ。莉奈は……莉奈は楓さんの遊び相手になれるほど器用な娘じゃないのに……

「ほっとけ」
「で、でも……!」
「いいから。俺の言うこと聞け」

 エージさんはそう、強く言った。私に有無を言わせない雰囲気で。冷たい雰囲気のエージさんに、私はもう何も言えなくて。納得できないけど、ゆっくり頷いた。それを見て、エージさんはフッと笑う。

「5時まで何する?」

 5時頃になったら、兄と翼さんが来る。それまでエージさんはスタジオに行かないつもりらしい。エージさんに手招きされて、私はベッドの上に腰かけた。……エージさんと、3人分ぐらい間を開けて。

「なんでそんな離れんの」
「………」
「もしかして、警戒してる?」
「………っ」

 その通りです、とは言わなかったけれど。私の態度でそれがわかったらしい。

「陽乃」
「………」
「俺は、楓じゃない。誰にでも手出すわけじゃないよ」

 それって、暗に『私には手出す気にならない』って言ってるんだろうか。ですよね……!!

「そういうことは、本気で好きな人とするべきだよ」

 そう言ったエージさんを少しだけ意外だと思ってしまった。泣いてたとはいえ、出会ったばかりの私を抱きしめた『天然タラシ』のエージさん。そんなマジメな考え持ってたなんて……!

「……意外だって思ってるだろ」
「………!」

 読まれた。あっさり読まれた。エージさんは意地悪に笑って私との距離を詰める。

「悪い子だなぁ……」
「………っ」

 耳元で聞こえたエージさんの声に、体中の色んなところが痺れる。エージさんはわかってる。私がエージさんの声に弱いこと。だからわざと耳元で言うんだ。

「エージさんの意地悪っ…」
「うん、知らなかった?」

 だから、耳元で喋んないでほしいのに……!

「ふっ。顔真っ赤。」

 誰のせいだ!なんて言えない…

「ごめんなさいは?」
「ごめ、ん…なさ…」
「聞こえない」
「ごめん、なさい……!」
「今回は許したげる」

 でも次はないからね?そう言ってエージさんは離れた。やっぱりこの人、天然タラシ……!

「なんか飲む?」

 エージさんは立ち上がって、近くにある冷蔵庫に向かった。……その前に。

「何か、着てほしいです……」

 私は真っ赤になって俯いた。エージさんは寝る時、必ず上半身裸。非の打ち所のない綺麗なカラダ、なんだけど。目のやり場に困る……。「あぁ。」と言ってエージさんはソファにかけてあったTシャツを着た。
 エージさんは私にオレンジジュースを渡して、隣に座った。今度は1.5人分ぐらい間をあけて。エージさんはバナナオレを飲んでいた。そういえばスタジオの冷蔵庫にもバナナオレが入ってた気がする。……そんなにバナナ好きなんだ。その突っ込みはもちろん胸にしまった。

「エージさんって学校行ってるんですか?」

 私はこの機会に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。エージさんはんー、と少し考えて口を開く。

「出席とる授業以外はあんまり行かね。囲まれるのもやだし」

 そうだよね。エージさんは『EA』の中でも一番人気だもんね。

「なんで?」
「え?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「……っ」

 エージさんに興味があるから、なんて言えないし……!

「えっとあの、私が来た時エージさんいつも寝てるし……この時間に寝てるってことは学校行ってないのかなって…」

 私はしどろもどろで答える。たぶん顔は真っ赤。エージさん、気づかないで!って願った時私の頭にエージさんの手が置かれた。

「陽乃が知りたいならなんでも聞いていいよ?」

 私の思考はすべて、読まれていたらしい。意地悪に笑ったエージさんに、私の顔はさらに真っ赤になる。

「た、誕生日はいつですか?!」

 恥ずかしすぎて喚く私に、エージさんは涼しい声で答える。

「12月24日」
「け、血液型は!」
「B」
「身長、は…!」
「179」
「…………」
「…………」
「…………」
「……彼女は、いません。」
「………っ」

 エージさんの言葉に、私は目を丸くした。なんで私が聞きたかったことがわかるの……?!

「ななななんで……!」
「陽乃わかりやすいから」

 エージさんは楽しそうに笑う。

「そ、そんなに?」
「うん、ものすごく」

 なんでだろう?まぁ、兄にも昔から読まれまくってたけど。

「あぁ、もう5時だ。そろそろ行くか」
「はい」

 エージさんに続いて私も立ち上がる。エージさんはドアの前で急に振り向いた。……そして。

「陽乃は俺に遠慮なんてしなくていいから。陽乃の知りたいことは全部答えてやる」

 そう言った。ねぇ、エージさん。それって私が『EA』のファンだから?それとも、リツの妹だから?……この時、私の頭はまったく動いてなくて。


「もし私がリツの妹じゃなくて、ただのファンでも、私を見つけてくれましたか?」

 そんなことあるわけないのに。兄の妹だから、私はこうやってエージさんの近くにいれて。エージさんの目覚ましにもなれて。特別可愛いわけじゃないし、目立つわけでもないそんな私を、エージさんが見つけてくれるなんて……

「……陽乃、「えーじー!」

 エージさんが何か言いかけた時、扉の向こうからそんな声が聞こえた。そして、思いっきり扉が開く。エージさんは危険を察知したのか、扉からさっと離れたため無事だった。

「英司!……ってあれ、ハルいたんだ」

 顔を出したのは兄だった。

「なぁんだ、今日はエージの好きな人妻もの持ってきたのに」

 ……兄は、AVを大音量で流してエージさんを起こすつもりだったらしい。

「……人妻が好きなんですか?」
「うん」

 そんなことまで正直に言ってくれなくてもいいのに!

「貸してやるよ。明後日店に返すから明日には返して」

 兄はエージさんにDVDを渡しながらそう言った。エージさんのためと見せかけて自分も見たかったらしい。
 スタジオに行くと、もちろん楓さんと莉奈はキスをしていなかった。普通にソファに座って普通に喋ってて。私と目が合うと楓さんはウインクしながら人差し指を立てて口の前にやった。『キスのことは秘密にして』って言いたいんだと思う。……ごめんなさい。すでにエージさんにバレてます……!
 翼さんは莉奈と一番離れたソファの端に座っていた。ちょっとかわいそうに思うくらい小さくなっている。翼さんってなんでそこまで女の子が苦手なのかな…?
そう思ったけど、口には出さなかった。聞かれたくないことかもしれないから。

「今日は何するー?」

 兄がエージさんに聞く。エージさんは私も知ってる『EA』の曲名を言った。

「よっしゃ」

 メンバーは立ち上がり、それぞれのポジションについた。その曲は、失恋ソングだった。聴いただけで胸がギューッと痛くなるような曲だった。

いくら君を愛しても
君から返ってくるのは
僕の半分の愛情

いくら君を欲しても
君の心を占めるのは
僕じゃない、アイツだから

 エージさんの声が曲にピッタリで、私はまた泣きそうになった。

***

「なぁ、キャンプ行こうぜキャンプ」

 今日も私と莉奈は『翔』に連れてきてもらっていた。そんな中、ハンバーグを頬張りながら兄がいきなり言った。……我が兄ながら、この人の思考回路は理解できない。

「そうだなぁ、次のライブ終わったらしばらくライブないもんなぁ」

 楓さんが兄に同意を示した。

「英司は?」
「あ?」
「英司は行きたい?」

 兄が聞くとエージさんは少し考えて、そしてあたしを見た。

「……陽乃が行くなら」
「………!」

 ダメ、この人のそばにいたら私マジで心臓持たない……。

「英司、ハルちゃんのこと気に入ってんなー」

 楓さんが楽しそうに笑う。き、気に入ってるってか、エージさんはきっと私をおもちゃとかそういうのだって思ってるんだ!

「あぁ。陽乃は俺専用の目覚ましだもんな?」

 おもちゃどころか道具でした……。

「俺は?」

 いきなり翼さんが口を開いた。

「なにが?」

 楓さんが王子スマイルで答える。その笑顔に、翼さんはイラッとしたらしい。

「なんで英司には行くか聞いて俺には聞かねぇんだよ!」

 それを聞いたエージさんがなぜか爆笑する。楓さんは王子スマイルを崩さず、兄はケロッとした顔で言い放った。

「だって英司、皇帝だし?」

 私にはその言葉の意味はよくわからなかったけど、翼さんにはわかったらしくおとなしく引き下がった。

「こう、てい……?」

 皇帝って、あの皇帝?一人だけ意味がわかっていない私に楓さんが微笑んだ。

「うちのバンドさ、英司が始めたんだよ。メンバー集めて。作詞作曲は全部英司だし、英司がいなきゃこのバンドはなかったんだ」

 だから皇帝、か。作詞作曲って全部エージさんがやってたんだ。ファンなくせにそんなことも知らなかった私って……。あ!作詞作曲エージさんってことは、今日のあの切ない失恋ソングもエージさんが作ったってことだよね……?私はチラリとエージさんの横顔を盗み見た。この人が、こんなに綺麗な人が失恋したのかな。
 ……いや、経験じゃないかもしれないし。失恋ってどんな気持ちなんだろうって想像して書いただけかもしれないし。うん、きっとそう。
 私の視線に気づいたエージさんが「ん?」と微笑む。私はもう制御することができなくて。……鼻から血を吹き出してしまった。女の私が綺麗な男の人見て鼻血出すなんて、思ってもみなかった。

***

「大丈夫ー?」

 美沙子さんが心配そうに顔を覗き込んできた。

「こんなバカ、放っておいていいですよ」

 私の隣に座ってる莉奈が鼻で笑う。あの後、なかなか出血が止まらなかった私は、『翔』の奥で休ませてもらっていた。エージさんには私の鼻血はつかなかったらしい。よかった……。
 その時、襖が開いて『EA』のメンバーが入ってきた。

「ハルー、大丈夫か?」

 兄が優しく私の頭を撫でる。

「うん。ごめんなさい……」
「気にしなくていいよ」

 あぁ、楓さんの王子スマイルに癒される……

「俺らバイトだから帰るわ。ハルちゃんのそばにいてあげたいんだけど……」
「いえ、そんなっ」

 楓さんはニコッと笑うと、隣に立つエージさんを見た。

「帰るぞ、英司」

 エージさんの手が私に伸びてくる。楓さんがそれを阻止した。

「また鼻血出しちゃうから、しばらくハルちゃんと接触禁止」
「鼻血出しても俺が止めてやる」

 ………………。

「そういう問題じゃねぇし。じゃぁね、ハルちゃん、莉奈ちゃん」

 エージさんは楓さんに引きずられて出て行った。

「めずらしいわね、英司があんなに女の子に興味示すなんて」

 美沙子さんが嬉しそうに笑う。そう、なのかな……?それってすごく嬉しいことなんじゃ……。

「そうですよ。私なんて名前も覚えてもらってないのに」

 莉奈がニヤリと私を見ながら言った。そういえばエージさん、莉奈のこと『お前じゃないほう』って言ってた。名前覚えてなかったんだ……。

「英司の場合、名前覚えねぇのが普通なんだよ。興味あることしかアイツの頭には入らねぇんだ」

 兄の言葉は、私を自惚れさせるには十分すぎた。私の名前覚えてくれてるってことは、エージさんは私に興味あるってことだよね……?

「ふふふ」
「あんま妄想すんなよ。また鼻血出る」
「…………」

 美沙子さんはまだ仕事があるからって店に戻っていった。

「私そろそろ帰らなきゃ」
「んじゃぁ、送っていくわ」

 莉奈と兄が出て行く。……そして。翼さんと二人きりになった部屋には、気まずすぎる沈黙が流れていた。翼さんはもちろん喋らないし、動く気配すらなかった。なんで莉奈も兄も出てっちゃうの?!なんで二人きりにするの?!寝たフリしちゃおう!そう、もぞもぞと布団の中に顔を埋めようとした時

「あんたってさ」
「………!」

 翼さんが口を開いた。まともに話してるのを聞いたことがない私は、翼さんの声が思った以上に低いのに驚いた。そして次の言葉はさらに驚愕だった。

「英司のこと好きなの?」
「え!」

 思った以上に声が大きくなってしまった。翼さんがチラリと私を見る。

「す、すみません……」
「なんで謝んの」
「いえ……」

 怖いよ!早く帰ってきて、兄ー!

「で、どうなの?」
「好きっていうか憧れだと思います」
「憧れ?」
「はい。彼女になりたいとかじゃなくて……、ずっとそばにいて応援したいです」
「………」

 それは、ほんとの気持ち。だけど、それは『EA』のメンバーみんなにある。

「私にとって『EA』は特別だから、『EA』の皆さんが私みたいなファンがいたら頑張れるって言ってくださる限り、ずっとそばにいたいです」

 何も言わない翼さんに不安になって、熱弁した自分が少し恥ずかしくなった。

「す、すみませ「俺さ」

 私の言葉を遮った翼さんの声に思わず体がビクッとなる。そんなあたしを見て翼さんはフッと笑った。

「女が苦手なんだ。知ってると思うけど」
「………」
「だけど……、あんたは苦手じゃないかもしれねぇ」
「………っ」

 初めて見た翼さんの笑顔は、八重歯がのぞいて可愛かった。

「これからも、俺らのそばにいて」

 あぁもうどうして、『EA』の人はこんなに私を感動させるのがうまいんだろう。私の目からはもちろん、涙がこぼれ落ちた。

「あんた涙とか血とかいろいろ出して大変だな」

 翼さんの不器用な手が頭を撫でる。温かくて大きな手は、また私を涙もろくした。

「……ハル」
「………っ」
「いい名前」

 そう言って翼さんは笑う。もしかして、もしかしてこの人もエージさんと同類の天然タラシ……?!

「ハルはもう、俺らにとって特別だよ。まぁ律は兄妹だから置いといて、英司はさっきも言ってた通り女の子の名前覚えないし。楓は手出さないし」
「それはただ単に色気ないからじゃ……」
「まさか。楓は女を軽蔑してる」
「え……」
「自分と簡単に体の関係を持つ女を軽蔑してるんだ。でもハルはそういう女じゃないってわかってる」
「………」
「楓が手出さない女なんて初めて見た」

 翼さんは嬉しそうに笑うけど、私はなんとなく複雑な気持ちだった。

「スタジオに入れるのも、ハルともう一人だけ」

 もう一人って、たぶん莉奈のことだよね?翼さんももしかして名前覚えてないの?

「ハルはもう特別。それを忘れないで」

 翼さんがそう言った時、ちょうど襖を開けて兄が入ってきた。

「なになにー?二人、仲良くなっちゃった感じ?!」
「うっせー」
「テメェ、年下のくせに、しかも翼のくせに生意気なんだよ!」
「翼のくせにってどういう意味だよ!」

 そして、翼さんとくだらない言い合いを始めた。翼さんはエージさんと同い年に見えない。翼さんが幼く見えるからか、エージさんが落ち着いてるからか、それはわからないけれど。

「ハル、帰るか」

 いつの間にか二人は仲直りしていて、兄がすごく爽やかな笑顔で笑っていた。

「うん」

 部屋を出る瞬間「ハル、また明日」翼さんがそう言って笑った。今日の大きな収穫。翼さんが笑ってくれたこと。
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