確かな約束



 エージさんからは連絡も来なかった。普通あんな別れ方をしたら気にして連絡するとか会いに来るとかすると思うんだけど。……なんて、こんなことを思っている時点で気にしているのは私のほうだし、本当はすぐにでも会いに行ってエージさんに抱き締めてもらいたいと思っている。結局好きなのは私なのだ。
 あれから一週間ほど経った頃、高校に珍しい人が来た。下校しようと莉奈と校庭を歩いていたら、門のところに明るい金色が見える。女の子に囲まれるその人と目が合った瞬間、彼は一目散に私のところに走ってきた。

「ひ、光さん!」

 光さんは挨拶もせず私の腕を掴むとずんずん歩く。光さんを囲んでいた女の子たちに投げキッスを忘れない辺りさすがだと思った。どこへ行くのか、とかどうしたんですか、とか色々聞いても光さんは振り返ることもしなかった。ひたすら引きずられて私が肩で息をし始めた頃、ようやく光さんが止まった。そこはお洒落に疎い私でも知っているような高級ブランドだった。光さんは躊躇せずそのお店へ入ると頭を下げた店員さんに言った。

「この子全身コーディネートよろしく」

 は?と戸惑い全く状況が読めない私は店員さんの着せ替え人形状態だった。そして店員さんが大きく頷くと同時に試着室のドアが開かれる。目が回りそうだった私の耳に届いた言葉は、光さんの可愛いじゃん、という言葉だった。

「あ、あの、光さん」
「話は後。次美容院。時間ない」
「え?!」

 美容院?!着させられた淡いピンク色のドレスを見て思う。もしかして、私をパーティーに連れて行く気じゃ……!
 光さんはお洒落な美容室に入るとやっぱりテキパキと指示を出し私の髪をセットさせ同時進行でメイクをさせていく。どんどん変わっていく鏡の中の自分と睨み合いながら、私は嫌な予感と闘っていた。

「おー、ハルちゃんって化粧してもやっぱり幼いね!」

 爆笑する光さんに放っておいてくださいとむくれると、光さんはハッとして時間ねぇんだ!と叫んだ。そして私の手を引いて走り出す。履き慣れないヒールが痛い。

「あの、お金払わなくていいんですか?!」
「店で金なんか払ったことねぇ」

 出た、金持ち発言……!光さんのお父様は日本人なら誰もが知っている大企業の役員だと前にエージさんが言っていた。きっと、エージさんや光さんとは、住む世界が違う。一人落ち込んでいたから、光さんが向かっている場所がどこか気付かなかった。

「英司!」

 光さんがそう言った時、ようやく顔を上げた私はそこがお城だと気付く。そして、いつものふわふわの髪を撫でつけてタキシードを着ているエージさん。見たことのない姿にときめくと同時に隣に葵さんがいて目を逸らした。光さんは構わずエージさんのいるところに突き進む。エージさんは光さんに「助かった」と言った。俺も着替えてくると光さんが立ち去ると、沈黙が私たちを包んだ。

「……悪かった、突然」

 一週間連絡も会いもしなかったエージさんの声。やっぱり胸がぎゅうっと締め付けられる。俯く私の耳に透き通るような声が響く。

「英司くん、そろそろ行かなきゃ」
「うん」
「あ、あの」

 ようやく口を開いた私にエージさんが振り向く気配がする。

「今日、は、何があるのでしょう」

 気まずさと緊張からたどたどしくなった口調もエージさんはしっかり聞き取ってくれる。そして驚きの言葉を発した。

「親父の誕生日パーティーだ」
「……はい?」

 お、お父様って……代議士でエージさんとあまり仲のよろしくない?あのお父様?

「む、無理ですそんな突然、私……!」
「いい。お前は何もしなくて」
「そんなわけには……!」
「どうせ俺には興味ないから。だからお前は俺の隣にいたらいい」

 思わず見上げたエージさんの目は驚くほど優しかった。固まる私の頭に手を置いた後、私の手を少し冷たい手が包み込む。そして今度はエージさんに引きずられる形で私はお城へと足を踏み入れた。いつも来ているはずのお城はまるで別の建物のように見えた。エージさんしかいないいつもと違い、お手伝いさんや招待客、そしてボーイの格好をしている人たち。数えきれない人の中、私だけ完全に浮いている。チラリとエージさんの隣を歩く葵さんを見上げると、堂々と背を伸ばし歩いている。美しい葵さんを男性は皆振り返る。私はこの場にいることが恥ずかしくて辛くてひたすら俯いていた。

「英司くん、叔父様よ」
「うん」

 叔父様ということは光さんのお父様だろうか。チラリと顔を上げるとばっちり目が合った。

「英司、その子は?」
「うん、俺の彼女」

 叔父様は私を上から下まで見て無表情でエージさんを見る。そして。

「英司、自分の立場を考えろ。お前にはもっとふさわしい女性が」
「叔父さん」

 叔父様の言葉にズキンと胸を痛ませていた私を、エージさんは背中に隠すように体を動かした。

「大丈夫。ちゃんと自分が幸せにしたいと思った人を選んでるから」

 ハッキリそう言って歩き始める。恐る恐る振り向くと叔父様は未だに私を見ていた。ペコリと会釈すると無視される。けれど、前を歩くエージさんがすごく輝いて見えた。エージさんは色々な人に声を掛けられ、その度に私は品定めをされるようにじろじろと見られた。叔父様のようにハッキリ言う人はいないものの叔父様と同じことを思っていることが顔でわかる。エージさんが私に恥をかかせるためにここに呼んだわけじゃないとわかっていても私はどんどん落ち込んでいった。そして。

「親父」

 エージさんがとうとうそう言った。エージさんの、お父様。顔を上げれば厳しい顔で私を見下ろす厳格そうな男性と目が合う。慌てて頭を下げたら、お父様は即座に口を開いた。

「英司、お前の婚約者は決まっている」

 エージさん、婚約者いるんだ……。初めて知る事実にまた落ち込む。お父様の隣にいたお兄様が楽しそうに笑っている。

「……俺は、陽乃と結婚するよ」

 ゆっくり、でもハッキリエージさんはそう言った。お父様の目が一瞬見開かれてまた感情を感じない目に戻る。私はエージさんの口から出た言葉に驚いていた。

「別に親父に了承してもらおうと思ったわけじゃない。一応報告しとこうと思っただけ」
「英司、そんな我儘が……」
「親子の縁切ってくれてもいいよ」

 バッサリと言い切ったエージさんに、お父様は背を向ける。そして「好きにしなさい」と言った。エージさんは毅然とした態度で続ける。

「……今まで何不自由ない生活をさせてくれたことは感謝してる。育ててくれたのは母親だけど親父が金銭面で養ってくれてたのは紛れもない事実だし」
「……」
「でも、こればっかりは、……陽乃のことだけは、邪魔したら許さないから」

 それだけ言ってエージさんは踵を返し私の手を引いて歩き出す。色々なことが一気に起こりすぎて頭が混乱していた。エージさんは私と結婚すると言った。嬉しいし本当は飛び上がって喜びたいくらいだけれど、そんなに簡単なことでもないことはよくわかっている。エージさんが言ったように、これからたくさん邪魔が入るかもしれない。私はその時エージさんをちゃんと信じていられるだろうか。何があっても離れないと、強い気持ちでいられるだろうか。今ですらこんなに不安定でいっぱいいっぱいなのに。エージさんは声をかけてくる人たちを軽くかわしてずんずん突き進む。けれどまたエージさんを呼んだのはあの声だった。

「光が向こうで呼んでる」

 葵さんは自然な動作でエージさんの腕に手を添える。今まで誰に呼ばれても立ち止まらなかったエージさんが葵さんの声には簡単に反応する。それが痛かった。エージさんは私に一度視線を向けた。きっと置いていっていいかどうか悩んでいるのだろう。けれど私はさっとエージさんから視線を逸らした。まるで子どものような拗ね方。フォローしたのは葵さんだった。

「英司くん、大丈夫だから行って」

 行かないで、そう言ったらエージさんはどうするのだろう。大きな手が頭に乗ってすぐに離れる。俯くとキラキラと淡いピンクのドレスが揺れた。私に不釣合いのドレス。まるでエージさんみたいだ。

「陽乃ちゃん、だったわね」

 葵さんの声に私は大袈裟なほど体を震わせた。葵さんの濃いブルーのドレスが目の端で揺れる。葵さんはため息を吐きたくなるほど綺麗だった。

「足、痛くない?」

 そう言われれば踵がズキズキと痛む気がする。ヒールを少し脱いでみたら踵が靴擦れを起こして血が出ていた。今まで必死で痛覚すら正常に働いていなかったらしい。怪我を認識した途端に痛くて立っているのも辛くなる。すると綺麗な手が私の手を取った。絹のような滑らかな肌だった。

「向こうで手当てしてあげる」

 葵さんに優しくされると、泣きたくなるのは何故だろう。
 葵さんは会場を出て近くの部屋に入った。それは前に兄と一緒に来た客間だった。私をベッドに座らせると、葵さんはバッグから絆創膏を取り出した。そしてストッキングを脱いだ踵に絆創膏を貼ってくれる。

「すみません……」
「ふふ、どうして謝るの?」

 葵さんと私じゃ女として差がありすぎる。エージさんに合うのはきっと、葵さんのような人だ。もちろん今葵さんはお兄さんの婚約者なのだから、エージさんが何を言ってももう無理なのかもしれないけれど。

「あの、一つ聞いていいですか」
「ええ」
「どうしてお兄さんを選んだんですか」

 葵さんはエージさんを裏切ってまでお兄さんを選んだ。いつか理由を聞いてみたくて、今勇気を振り絞って聞いてみた。葵さんは一瞬目を見開いて、すぐに苦笑した。

「……私が総司さんを選んだんじゃない。私は英司くんに捨てられたのよ」

 言葉の意味がわからない私に葵さんが微笑みかける。そして。

「陽乃ちゃん。私、あなたのことが羨ましくて仕方ないの」

 綺麗な微笑みの裏に隠された寂しさのようなものが見え隠れする。私は思わずゴクリと喉を鳴らしていた。

***

「はあ、はあ」

 誰もいない廊下にコツコツとヒールの音と荒い息が響く。葵さんに貼ってもらった絆創膏のおかげで踵は全く痛くない。エージさんは、エージさんはどこにいるだろう。会場のドアが開いて、走ってくる私を見て会場から出て来た人が不快そうに私を見た。でもそんなことはどうでもいい。エージさんが言ってくれたから。ちゃんと自分が幸せにしたいと思った人を選んでるから、と。

『英司くん、きっと私のこと本気で好きじゃなかったのね』

 葵さんはそう言った。

『そばにいても英司くんの心は掴めなかった。お義父さんと子どもの頃から折り合いが悪くてね。私が出会った頃には完全に心を閉ざしてた。私は英司くんのことが好きだったから必死で心を開こうとして、でも英司くんが言ってるのを聞いてしまったの。どうせいつか親父の決めた相手と結婚するんだから恋愛なんて適当でいいって』

 ショックだった、葵さんはそう言って笑った。葵さんも葵さんでエージさんのことを真剣に好きだったのだろう。エージさんが初めて好きになった人。エージさんが、唯一心を開いた女の人。美しい葵さんは、エージさんのことをまるで愛しい人のような口ぶりで話した。

『私は英司くんとずっと一緒にいたかった。でも、英司くんは違うんだって。そんな時に総司さんに口説かれて……。英司くんに見られた時、死ぬほど後悔した。どうやって英司くんに許してもらおうか、そればかり考えて。でも英司くんは……いいよ、って、ただそれだけ。絶望した。ああ、やっぱり英司くんは私を好きじゃなかったんだって』

 勝手なこと言ってるよね、葵さんがそう言ったから私は遠慮なく頷いた。でも、気持ちはわからなくもない。エージさんはあまり顔から感情が読み取れない。深く傷ついていても自分の心の痛みを隠そうとする。エージさんにとって葵さんは、特別な人だったはずなのに。

『初めて英司くんとあなたを見た時、英司くんがどれだけあなたを大切に想っているかすぐにわかったわ。私にだって見せてくれなかった顔をあなたに見せてたから。それに、ハッキリ言ったでしょう。あなたと結婚するって』
「……」
『英司くんはお義父さんに愛されたいという思いが強くて、お義父さんに反抗するところなんて見たことなかった。でも、ハッキリ言った。ああ、英司くんは今までの英司くんと違う、英司くんを変えたのはあなただってそう思った』

 私は今まで、エージさんの何を見てきたのだろう。エージさんの優しさ、エージさんが言ってくれた言葉、エージさんの心の傷、そして、私を見つめる瞳。全部全部、嘘じゃない。そんなことわかりきっていたのに。
 葵さんに頭を下げてエージさんを探すために走った。でもエージさんはなかなか見つからなかった。

「あれ、ハルちゃん?」

 会場を出たところで光さんを見つけた。エージさんがどこか聞くと、部屋に戻ると言っていたと教えてくれた。私は行き慣れたエージさんの部屋への道をまた走った。ノックもせずにドアを開けるとエージさんは私が来るのを分かっていたかのように私を見て微笑んだ。電気も点けずにエージさんは上着を脱いで蝶ネクタイを外してベッドに座っていた。

「おいで」

 エージさんが手を伸ばす。何だか泣きそうになって、私はベソをかきながらエージさんの手を取った。そしてエージさんに手を引かれ、ぎゅうっと抱き締められた。

「なんで、連絡くれなかったんですか、」
「うん」
「私、不安で、」
「うん」
「もう、別れる気なのかと」
「陽乃」
「っ、ううっ、」
「こうやってお前が俺のところに戻ってくるってわかってたから」

 エージさんは私の頬にキスをしながら極上の笑みを見せた。どうしてそんな自信満々なの、そう言いたかったけれどきっとエージさんの言う通りだから。私はお返しとばかりにエージさんの柔らかい唇にキスをした。

「エージさんだって、本当は私に会いたくて仕方なかったくせに」

 きっと私もエージさんも、これから何度も不安になるだろう。喧嘩だってするだろうし、離れたいって思うこともあるかもしれない。でも、それでもきっと。エージさんは私を何度でも掬い上げて迎えに来て好きだと言ってくれる。私も、何度もエージさんにキスをしてエージさんに抱き付いて大好きだって伝える。そうやって私たちは、いつまでも一緒にいるのだ。エージさんを好きなこの気持ちは、私の人生で一番誇れる宝物だ。

「……うん、会いたかったよ」

 エージさんは私の首筋に顔を埋めてそう言った。そして。

「陽乃、結婚しよう」

 いつになるかわからない。でも、私たちにとって確かな約束。私たちはきつく抱き締めあって眠った。そして目が覚めた私が見たのは。しっかりと繋がれた二人の左手の薬指に光るお揃いの指輪だった。私を後ろから抱き締めながらエージさんは囁いた。予約だから、と。
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