エージさんの家族



 それからの翼さんは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい舞い上がっていた。初めての彼女らしい。莉奈も莉奈で、本当に好きになって付き合うのは初めてだから、嬉しいみたい。いつもの鋭いツッコミがなかった。

「おいおい、暑苦しいなぁ。2組目かよ」

 兄は本気でうんざりしたように言うけど。私は素直に嬉しかった。大好きな翼さんと莉奈が幸せになってくれたから。

「陽乃」

 そして、そんな2人に触発されてるのか。エージさんの甘さも5割増しだった。

「なんですか?」
「今日泊まるよな?」

 エージさんは私の髪をクルクル指に巻きつけて遊びながら、私に尋ねてくる。ち、近いんですけど……。

「いや、明日学校だし……」
「うちから行けば」

 い、いつも行かせてくれないくせに……!そんなことをしていると。

「お前らまで暑苦しい!!どっか行け!!」

 ついにキレた兄に4人まとめて追い出された。

「ここ、俺んち……」
「りっくん、自分だけ相手いないから寂しいんだきっと」

 今まで負け組の一人だったくせに翼さんは勝ち誇ったように言う。本当にわかりやすいなこの人……。兄はすぐにスタジオに入れてくれそうにないと判断した私たちは、4人で出かけることにした。
 エージさん運転の車で、助手席はもちろん私。後部座席に乗った翼さんと莉奈だったけど、相変わらず距離は遠いままだった。

「どこ行きたい?」
「んー、5時に帰らないといけないからあんま遠いとこ行けないですよね」

 行き先も目的も決めないまま車に乗り込んだし、特に行きたいところもなかったから。エージさんはなんとなく、流れのままに車を進めた。

「そういえば、今日楓来てないな」

 翼さんがポソリと呟く。確かに……。失恋のダメージは皆無に見えていたけれど。実はすっごくダメージ受けてるんだろうか。

「あ……」

 そんなことを考えていると、この前楓さんと一緒に来た公園がすぐ近くにあった。知らないうちに隣町まで来てたんだ。何となく、公園の中に目をやる。……そこで、見たことのある後ろ姿を見た、気がした。

「あ?!」
「あれ……」

 私の後ろに座っている翼さんも見えたみたいで。

「今のって……」
「かえ、で……?」

 運転中のエージさんと、公園の反対側にいた莉奈には見えなかったらしく不思議そうな顔をしていたけれど。2人よりも疑問でいっぱいの顔を、私と翼さんはしていたと思う。なんで、そんなに疑問だったかというと。

「今、椿といなかった……?」

 翼さんの言葉にブンブン頷く。立っている楓さんのすぐそばのベンチ。座っていたのは確かに椿さんだった。

「は?!」

 莉奈も私たちの言っている意味がわからないのか、ハテナをいっぱい浮かべてる。そんな中、冷静に言葉を発したのはやっぱり皇帝だった。

「そりゃあ、いるだろ。アイツら兄妹じゃん」
「……」

 た、確かにそうだけど!あの2人は特殊というかなんというか……。

「楓の中で、椿とは完全に終わってる。別れた時点でな」

 確かにそうかもしれないけど……。椿さんはまだ……。

「椿だって全部覚悟して別れようって言ったんだろ」

 確かに……。エージさんの言っていることは全部正論だけど。人間ってそんなに、わかりやすい生き物じゃないから。

「別れたくないのに別れなくちゃならないことだって、あるじゃないですか……」
「……わかんね」

 こんな時、エージさんとの間に壁を感じる。それは、エージさんに対する劣等感。私はエージさんみたいにスパッと何かを決めたり行動することはできないから。エージさんの言ってることが理解できないことがある。……まぁ、大抵エージさんの言ってることが正しいんだけど。

「でもさ、あんなに深い想いが、急に消えるもんかな……」

 翼さんの言葉に、私は激しく賛同した。だって、もし今エージさんと別れたら?エージさんにもう好きじゃないって言われたら?別れなくちゃいけなくても、私はずっとエージさんが好きだと思う。

「……椿は急かもしれないけど。楓は違う。少しずつ、他に行ったんだ」
「……!」
「時間と一緒に、想いも消えていく。他に好きな奴ができたなら尚更」

 確かに、楓さんはそう言っていた。椿さんが好きだったはずなのに。いつの間にか莉奈が心の中にいて。椿さんを好きでいることを、義務みたいに感じてたって。

「ずっと同じ気持ちでいられることはないのかな……」

 どれだけ愛し合った恋人同士も。大恋愛の末に結婚した夫婦も。一緒にいることに慣れてしまって、お互いの大切さを忘れてしまう。想いも消えていく。仕方のないことかもしれないけれど。なんだか寂しいな。

「……そろそろ帰るか」

 エージさんがそう言った時には、もう4時半になっていた。いつの間にそんなに時間経ったんだろう。スタジオに帰ると、すでに楓さんはいた。いつもと変わらない笑顔で私たちを迎えてくれた。椿さんとのことを聞きたかったけど聞けなかった。なぜかはわからないけれど。
 そして、『EA』のクリスマスライブまであと1カ月。またこの時期がやってきたんだと思うと、少し憂鬱になった。
 いつもみたいに『EA』の練習を見て、『翔』に行って。結局エージさんに流されてお城に泊まることになった。お城には、もう私用のバスタオルも歯ブラシもあるし。急に泊まっても大丈夫なように下着も置いてある。
 洗濯は自分でするようにしていた。エージさんはお手伝いさんにしてもらえばいいと言っていたけれど。お手伝いさんはみんなエージさんのファンらしいし、ちょっと怖い。女の嫉妬はすごいから。

「あ、そういや」

 ベッドに入る直前。自分用の化粧水をペタペタしているとエージさんが急に言った。まるで、『バナナ食べたい』って言うかのように。さもそれが当たり前かのように。

「今日母親が来るっつってた」
「……」

 へーお母さんか。エージさんやその兄や妹を見ている限り、ものすごく綺麗な人なんだろうな。お母さんか。……お母さん?

「はぁああああ?!」

 私は叫んだ。とりあえず叫んでみた。だってお母さんって、お母さんって……。私、ここを自分の家みたいに使ってるんですけど。息子さんとあんなことやそんなことしちゃってるんですけど……!!
 女の嫉妬は怖いってさっき思ったけど。女の代表・お母さんの嫉妬なんて、怖いどころの騒ぎじゃないんですけど……!!

「なんだよ、俺の母親に会うの嫌か?」

 エージさんはちょっと怒ったように言うけれど。嫌とかそんなんじゃない。ただ怖いだけ……!

「ちょ、ほんとに来るんですか?!私どうすればいいんですか?!」
「どうもしなくていい」
「でも私スエットだし……」
「陽乃」

 エージさんはベッドに私を呼ぶ。そして優しく抱きしめた。

「お前はお前のままでいい」

 そ、そんな嬉しいこと言われても私の頭は落ち着いてくれないんですけど……。
 その時だった。コンコン、と扉を叩く音がすると同時。

「おーい、英司くーん。また女連れ込んでんのかー?」

 そんな、能天気な声が聞こえた。この声は聞いたことがある。ヒカルさんの声だ。

「おばちゃん来たぞー」
「……!」

 や、やっぱり来たんだ……。どうしようどうしよう……。私の心臓は急激にスピードを上げる。パニックが最高潮に達した瞬間。また違う声が聞こえたんだ。

「英司くん?いるの?」

 その声を聞いた時。私の肩を抱くエージさんの力が、急に強くなった。

「エージさん……?」

 問いかけてみても。ドアのほうを見たまま、エージさんは動かなかった。私の声も、耳に届いていないみたいだった。

「おーい英司、寝てんのか?開けんぞ」

 そんなヒカルさんの声が聞こえて。次の瞬間にはドアが開いていた。そこにいたのはヒカルさんと……。あの人だ。『EA』のライブで見たことがある。お兄さんの婚約者。……それで、エージさんが、初めて好きになった人。エージさんを、裏切った人。

「やっぱりいたのかおチビちゃん」

 ヒカルさんは私を見てニコリと笑う。ヒカルさんの隣に立ってる綺麗な人は、私を見て不思議そうに首を傾げた。

「どなた?」
「あ、あの……」
「英司の彼女だよ」

 口ごもる私の代わりにヒカルさんが答えてくれた。その人は「へぇ……」と一言言った。その時の顔が引きつってたのは、見なかったことにしたい。

「英司ー」

 ヒカルさんが呼びかけても、エージさんは綺麗な人を見たまま動かなくて。

「エージさん」

 私が呼んでも身動き一つしなかった。

「英司くん、久しぶり」

 それなのに彼女が笑いかけると。

「あぁ」

 と、反応したんだ。私じゃなくて、彼女の声に反応した。エージさんは私を離すと、ベッドから降りてTシャツを着た。……何だかすっごくやだ、この空気。

「はじめまして。私は葵っていいます。あなたは?」

 呆然とベッドに座ったままだった私に、綺麗な人が話しかけてくる。私はものすごくどもりながら「陽乃です……」と答えた。エージさんは全然私のほうを見なくて。不安になって私は俯いた。そんな最悪な雰囲気の中。

「ハルちゃん……!!」

 急に部屋に飛び込んできた里依ちゃんが私を見つけて飛びついてきた。

「ギャッ!!」

 まったく色気のない声を出した私を気にもせず、里依ちゃんは泣きそうな声で話し出す。

「律くんって、今日なにしてる?!」
「へ……っ?」

 兄……?今日は、確かバイトないって言ってたし……。

「多分家にいるんじゃないかな……」
「呼んでー!お願い!!」

 突然のお願いに混乱する私に、ヒカルさんが助け舟を出してくれた。

「おばちゃんがさ、里依にいい人がいるってお見合い勧めてきたんだって。だけど里依、彼氏がいるって嘘ついたんだ」
「カッコよくて優しい彼氏がいるって、言っちゃったの……。そしたら、どんな人か会わせろって」

 ……あぁ、だからお母さん来たのね。でも、彼氏役だったらもっといい人がいるんじゃ……。

「りっくんより楓さんのほうがいいんじゃない?頭の回転速いし……」
「律くんがいいの」

 嘘でもいいから、彼氏になってほしいってことかな……。切ない顔をする里依ちゃんにそれ以上何も言えなくて。私は兄に電話をかけた。

『……はい』

 よかった、兄が電話に出るってことはバイトじゃないってことだよね。

「今大丈夫?」
『大丈夫じゃない。もうすぐキスする』
「……そんなのいつでも見れる。急用なの。お城に来て」

 そういえば今日は、兄が好きな女優さんのドラマがやる日だ。今、それを見てるらしい。

『ちょっと待って、キス……』
「今すぐ!絶対来て!」

 私はそれだけ言って電話を切った。兄は私の言うことは絶対聞いてくれるから、すぐに来るはず。
 そして10分後。息を切らした兄がエージさんのベッドに倒れこんだ。

「ハル……どんどん俺の扱いヒドくなってるよな……」
「お疲れ様!!」
「でも可愛いから許しちゃう……」

 少し経って落ち着いてきた兄に事情を説明する。兄はこういうのが好きらしく、目を輝かせて「やる!!」と言った。

「エージさんも、ちゃんと話合わせてくださいね?」
「んー」

 エージさんは相変わらず上の空。私の中で小さな不安が、大きく育ち始めていた。

「よし、行くか!」

 入念な準備を済ませた私たちは、お母さんのいるリビングに向かう。というか私もエージさんの彼女なんだし、いろいろ大変なんじゃ……。けれどそんな不安は、ヒカルさんの言葉で小さくなった。

「あぁ、大丈夫。あの人たちが心配なのは里依だけだから。息子二人は放置」

 そうなんだ……いいのか、悪いのか。とりあえず少しだけ安心した。

「英司くん」

 ヒカルさんと話していると、後ろからそんな声が聞こえた。恐る恐る振り返ってみると。

「ん」

 エージさんの隣を歩いて、腕に触れる葵さんの姿。……しまった、二人にしてしまった。

「本当に久しぶりだね。元気だった?」
「ん」
「まだ『EA』って名前使ってくれてるんでしょ?嬉しいな……。あれ、英司くんと私の頭文字だもんね」
「……!」

 そ、んなの初めて聞いたよ……?『EA』って名前は、エージさんが決めたって聞いたことがある。バンドの名前に葵さんの名前を入れてるなんて。もしかしてエージさん……

「陽乃ー」

 まだ、葵さんのことが好きなんじゃ……。

「陽乃、無視すんな」
「へっ……?!」

 後ろから首に腕を回されて。柔らかく抱き寄せられた。妄想に入り込んでた私は困惑する。

「なぁ、俺眠いんだけど。寝ようぜ」

 キョトンとする葵さんの目の前で、エージさんは私の頬にキスをする。

「ちょ、ちょちょ、エージさん……!」
「……なに」

 私の抵抗をものともせず。エージさんはチュッチュッと頬に唇を落とす。さっきから上の空だったのは葵さんのせいじゃなく……眠かったかららしい。

「なぁ、ハルちゃーん。エッチして寝ようぜー」
「ギャー!」
「おいぃ!今なんつった!そんなこと俺の目の前でさせるかぁ!」

 眠すぎて暴走し出したエージさんに、鬱陶しい兄が絡む。もう、私には収拾不可能……。

「もう!お兄ちゃん、寝るなら1人で寝て!律くんもいちいちバカなお兄ちゃんに反応しないで!」

 そんな二人を一喝したのは、今一番ピリピリしているであろう里依ちゃん。怒られた兄は

「すみません……」

 と萎んでいた。

「ちっ」

 エージさんも舌打ちをして、私を離した。……と思いきや、そのまま右手を握った。うふ、なんか幸せ。
 そして。賑やかな私たちはリビングに到着した。何度も来たことのある部屋なのに、いつもとはまったく雰囲気が違う気がする。……まだ入ってないけど。

「行くよ?」

 最初に入っていったのはヒカルさんと葵さん。次に、エージさんで私。里依ちゃん、兄の順番で入った。
 リビングには、エージさんのお兄さんがいた。……そして。え?お母さん?めっちゃ綺麗なんですけど……!え、ていうかいくつ?!成人の息子がいる女の人には見えない……!

「き、綺麗……!」

 思わず口に出してしまった。そんな私に、お母様の目が向く。

「あなた……誰?」
「え、えーと……」
「英司の彼女。女子高生らしいよ」

 お母様の隣に座ったお兄さんが紹介してくれた。

「……合格。私のことは友梨ちゃんって呼んでね」

 お母様、いや友梨さんは私にニコリと微笑みかけてくれた。合格……!

「当たり前。俺の女だ」
「調子乗んな」

 フフン、と笑ったエージさんをバッサリ切り捨てる友梨さん。滝沢家の女の人は強いらしい……。

「んで?里依の彼氏はあんた?」
「はい、片桐律です」

 兄はいつものおっさんみたいな姿とは似てもにつかない爽やかな笑顔で言った。
こんな顔してたらモテるのに……。

「ま、胡散臭さは楓よりマシか」

 ……毒舌……。というか、楓さんに会ったことあるんだ。

「アイツ、私を口説いてきやがった。100年早いよ」

 楓さんってば見境ないんだから……。よかった、里依ちゃんの彼氏役、楓さんにしなくて。

「んで?里依を大事にしてくれんの?」
「はい、里依ちゃんを守りたいと思っています」
「……」
「……」

 友梨さんと兄はしばらく見つめ合う……そして。友梨さんははぁ、とため息を吐いた。

「……ありがとう、里依のために嘘ついてくれて」
「……!」
「里依を傷つけたら許さない」
「……はい」

 私たちの嘘は、初めからバレていたらしい。友梨さんはフッと笑った。

「あんた、陽乃だっけ?」
「へっ……?」
「可愛いね。私と一緒に寝よっか」
「ダメ。陽乃は俺と寝んだよ。なぁ?陽乃」

 この親にしてこの息子か……。まぁ、気に入ってもらえたみたいでよかったけれど。

「英司、どうだ?昔の女と久しぶりに会った気分は」

 和やかな空気の中、突然お兄さんが言った。エージさんを、傷つけようとしてるような顔だった。

「んー、別に」

 けれどエージさんはまったく動じなかった。友梨さんと睨み合って火花を散らしていた。

「なんだ、面白くねぇの」
「総司兄ちゃん、英司兄ちゃんを傷つけないで!」

 そう言って怒ってくれた里依ちゃんに、視線だけでありがとうと念を送った。
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