楓と椿



 その男の人は野上さんという人で、椿さんの婚約者だと言った。

「楓くんのお友達らしいね」

 椿さんは何も言わずに、野上さんが話し始める。私達は椿さんの話を聞きに来たのに。野上さんの雰囲気が椿さんに話をさせなかった。私はエージさんの反応が怖くて。ただじっとテーブルを見つめていた。

「楓くんの中で椿は死んだことになってる。変に混乱させないほうがいいんじゃないかな」
「わ、私たちはただ、真相が知りたかっただけで……」
「真相を知ってどうするの?君たちに何かができる?」
「……っ」

 野上さんの、言う通りだった。真相を知ったからといって2人を救えるわけじゃないし。2人が再会したからといって幸せになれるとは限らない。

「福島家は大企業なんだ。その跡取りと妹が恋愛関係にあるなんて許されることじゃない」
「……」

 知らなかった。楓さんの実家って大企業なんだ……

「だけど楓くんは何度ご両親が言い聞かせようとしても言うことを聞かなかった。それどころか椿と体の関係を持った。だからご両親は2人を引き離したんだ。普通の方法じゃ楓くんは椿を忘れられない。だから椿は自殺したってことにしたんだ。ただもちろん戸籍を弄ることはできない。それを確認しない浅はかさが楓くんらしいというか」
「……っ」

 何、それ……。それが親のやることなの?娘を死んだことにするなんて……。それに、楓さんを馬鹿にするなんて……!

「椿は兄妹で愛し合う罪深さに苦しんで自殺したことになってる」
「……っ、じゃあ楓さんは…自分のせいで椿さんが亡くなったって思ってるんですか……?」
「そうかもしれないね」

 そんなの……そんなの、ヒドすぎる……。

「あんたら、腐ってんな」

 いきなりエージさんが口を開いた。

「椿が死んだからって楓が椿を好きじゃなくなると思ってんのか?正真正銘のバカだわ」
「君、口に気をつけなさい」

 野上さんの注意も無視してエージさんは続ける。

「うちの親と同じ。自分のことしか考えてねぇ」

 エージさんはそう言って深くため息を吐くとまっすぐに椿さんを見た。

「別にあんたの人生だから勝手にしたらいいけどよ。楓の中にあんたを残したまま消えんじゃねぇよ」
「……っ」
「あんたも苦しんだだろうけど。今も苦しんでるのかもしれねぇけど。もっといい別れ方あんじゃねぇの。今日、アイツはあんたの墓参りに行ってるよ」
「……っ」
「陽乃、帰んぞ」
「え……」

 急にエージさんが立ち上がった。そしてスタスタとカフェの入口に向かって歩き始める。私は急いで2人に頭を下げると、エージさんの後を追った。

「え、エージさん!いいんですか?!」
「なにが」
「あんな、中途半端で……」
「アイツの言った通り、俺たちにできることはない。俺たちが口突っ込んでいいことじゃない。だから自分の言いたいことだけ言って帰ってきた」
「…エージさん……」

 歯がゆいんだろう。何もできない自分に、苛立ってるんだろう。エージさんはいつもとは比べものにならないくらい早歩きだった。走らないと追いつけないくらい。
 不意に、エージさんが振り返る。そして私をまっすぐに見た。

「……もし」
「え?」
「俺とお前が兄妹だったら、どうなってたんだろうな」

 そう言って、エージさんは自嘲するように笑った。エージさんのそんな表情を見たのは初めてで。胸がギュッと苦しくなった。

「……たぶん」
「……」
「全部捨てて、そばにいると思います」

 これは、私の本心だ。兄妹だからって、気持ちを抑えることなんて絶対にできないから。

「はる……」
「あの!!」

 エージさんが一歩私に歩み寄って、私の名前を呼ぼうとした時だった。私の後ろから声が聞こえて。振り返ると椿さんが立っていた。

「連れて行って、ください」
「え……」
「楓のところに、連れて行ってください」

 必死な椿さんの表情に、心が激しく動く。

「お願いします!」

 椿さんがそう言って頭を下げた瞬間

「椿!!」

 椿さんを追いかけてきたらしい野上さんの声が響く。私はほぼ無意識に椿さんの腕を強く引いた。そして走って走って、エージさんの車に3人で乗り込んだ。正しいことをしているのか、それとも悪いことをしているのか。自分ではわからない。でも、私はカッコよくて王子様で優しい楓さんが大好きで。楓さんには幸せになってほしくて。楓さんの幸せは椿さんのそばにしかないんじゃないかと、思ったんだ。

「あの人いいのか」

 運転しながらエージさんが椿さんに尋ねる。

「……さぁ……。急に走ってきちゃったから……。ヤバイかも」

 そう言って椿さんは微笑んだ。その表情は、今まで見た中で一番綺麗だった。
 エージさんは椿さんのお墓に行ったことがないらしく、私がそこまで案内した。もう6時前だから楓さんはここにいないかもしれない。とりあえず探しに行ってみようってことになって、私達は車を降りた。

「かーえでー」

 エージさんが緊張感のない声で楓さんを呼ぶ。それより楓さんに会いたいなら電話したらいいんじゃない?今更気づいた。

「エージさん、楓さんに電話……」
「お前、変な声で呼ぶんじゃねぇよ」

 私の言葉を遮って、声が聞こえた。それは私たちが今、探していた人物の声で。

「つーか、2人して何して……」

 どこからか現れた楓さんは私の後ろに立っている人を見て固まった。

「つば、き……?」

 楓さんが小さな声で呟いた。

「楓さん、椿さん生きてたんです。楓さんに会いたいって……」

 私の横を通り過ぎて、楓さんが椿さんの前に立つ。

「本、物……?」

 そしてそっと、椿さんの頬に触れた。

「ごめんね、楓」

 椿さんがその手に自分の手を重ねる。

「もう、会っちゃいけないって思ってたのに。私、どうしても楓に会いたくて……っ」

 椿さんの言葉の途中で、楓さんは椿さんをぐっと抱きよせた。その瞬間、エージさんに腕を引かれて。車の反対側に行って、その場にしゃがみこんだ。車の陰に隠れて、2人の姿は見えない。でも声は聞こえる。

「椿……、生きててよかった…」

 楓さんの言葉に、私の目から涙が零れ落ちた。

「会いたかった……」

 楓さんの声は、押し殺したような声で。本当は叫びたいんだろう。でも言葉が出ないんだ。苦しくて。嬉しすぎて。

「ごめんね……、ごめんね、楓……」

 椿さんの声は、震えていて。泣いていることがわかった。私はエージさんの腕の中で大泣きしていた。エージさんの鼓動が心地よくて。次から次へと涙が零れた。
それから、どれくらい時間が経ったんだろう。不意にエージさんの両手が私の顔を包みこんだ。そして上を向かされて、エージさんと至近距離で目が合う。

「俺も」
「……?」
「もしお前が俺の妹だったら、全部捨ててお前を奪うよ」
「……っ」

 この人は、本当に私を泣かす天才だと思う。どうして私が喜ぶことばかり言うんだろう。エージさんの温かい親指がそっと、私の涙を拭った。
 帰りの車の中。椿さんの手をしっかり握りしめた楓さんが言った。

「いつから知ってた?今日知ったんじゃないんだろ?椿が生きてること」
「いつからかな。もう忘れちゃったよ」

 エージさんはいつもの自分を崩さない。

「……まぁいいけどよ。ありがとな、椿に会わせてくれて」
「お前の妹が決めたんだよ。お前に会うって」

 ……そうだ、私は何もできなかった。椿さんが決めたんだ。楓さんに会うことを。

「……うん、だけど。悩んでくれたんだろ。俺のために」

 楓さんはそう言った。確かに、そう言ったんだ。

「うっ、うえぇぇ……」
「な、なぜ泣く?!」

 楓さんがかなり焦った様子で後部座席から身を乗り出して私の顔を見つめてきた。だって……だってね。エージさんが悩んでたこと。楓さんのことを考えて胸を痛めてたことが、報われた気がして。

「ハルちゃんも、ありがとう」

 そう言って楓さんが微笑むから。私は運転中のエージさんの腕に思い切り抱きついた。……でも。

「帰ったら満足するまで可愛がってやるからな」

 満面の笑みでエージさんにそう言われて固まった。そんな私たちを見て楓さんはクスクス笑っていた。

「これからどうする」

 エージさんが楓さんに尋ねる。……そうだ、大変なのはこれから。今日はほとんど勢いで野上さんから逃げてきちゃったけど。椿さんの婚約者ってことは実家とも繋がりがあるだろうし、もちろんご両親の耳にも入るだろう。

「……とりあえず、アパートは出る。あそこ場所バレてるし」
「俺ん家来るか」

 一瞬、車の中がシーンとなった。

「い、いや英司。助かるけど……そんな簡単に言っていいの?」

 楓さんが戸惑いながらエージさんに尋ねる。それはそうだろう。あそこはエージさんが一人で住んでるとはいえ、エージさんだけの家じゃない。光さんだってよく来てるし、お兄さんも里依ちゃんもたまに来てるし……。ご両親に会ったことはないけど。

「あぁ、別にいいよ。親にバレなきゃ大丈夫だ」
「でも誰かから親の耳に入るかもだし……」
「総司は美人が好きだ。里依と光はそんなに空気読めねぇことしないし、お手伝いさんはみんな俺のファンだから俺の味方」

 あ……そう。2人がポカンとしてる中で、私は1人呆れていた。エージさんって何も考えていないように見えて実はしたたかだ。自分が男前だって自覚は十分あるらしい。

「それにお手伝いさんの中にはお前の熱狂的なファンもいるから。お前と一緒に住めるって聞いたら気絶すんじゃねぇの」

 そうなんだ。実はまだお手伝いさんに会ったことはないんだけど。そんな人たちだったんだ。それに、エージさんって意外とお手伝いさんと仲良しなんだろうか。

「総司の部屋使え」

 エージさんは有無を言わさぬ形でその話を終わらせた。楓さんと椿さんは戸惑いながらも安心したように目を合わせて微笑んでいた。……あぁ、なんかいいな。2人を見てると、お互いにすっごく想いあってるってわかる。ほんとによかった。

「……お前、泣いたり笑ったり忙しい奴だな」

 一人で微笑んでいるところを見られたのか、エージさんが本気で引いていた。…そんなに引かなくてもいいのに。

「ハルちゃんもあそこに住んだら?毎日行ったり来たりすんのめんどくさくね?」
「俺もそうしろって言ってんだけど。律がうるせぇ」
「あぁ、アイツはハルちゃん大好きだもんな」

 そんなエージさんと楓さんの話を聞きながら、なんとなく目を瞑って。ハッと目を開けると、目の前にエージさんの綺麗な顔があった。

「着いたぞ」

 ……知らないうちに眠ってしまってたみたいだ。楓さんと椿さんはすでに車を降りていて。私も急いで車を降りた。スタジオには電気が点いていて、誰かがいるみたい。みんないたらいいなぁ。みんな楓さんのこと心配してたもんね。私の期待通り、スタジオには兄も翼さんも、莉奈もいた。

「え……!」

 兄が椿さんを見て固まる。

「椿、ちゃん……?」

 椿さんのこと知ってるんだ。

「律くん、ひさしぶり」

 椿さんの言葉にも反応できないくらい驚いているみたいだ。

「なんで……?」

 それは、翼さんも一緒。翼さんは昔、椿さんに憧れてたんだもんね。

「翼……ごめんね」
「い、意味わかんねぇよ……なんでいんの?だって、椿……」
「泣かないで、翼」

 翼さんは歯を食いしばって涙を堪えていた。椿さんは翼さんのそばまで行ってそっと頭を撫でた。椿さんに触れられるのは、大丈夫らしい。翼さんの大きな黒い目から、涙が一粒零れた。
 椿さんは、楓さんにとってだけでなく、翼さんにとってもすごく大切な人で。それを、翼さんの涙が表していた。椿さんも涙を堪えているようで。楓さんが椿さんの肩を抱きよせた。

「邪魔、すんな……」

 翼さんがそんな楓さんに憎まれ口を叩く。でもいつもと違って柔らかい雰囲気だった。楓さんだけでなく、翼さんも。一人が間に入るだけでここまで雰囲気が変わるのかって感じるくらい。

「ねぇ、りっくんはどうして椿さんを知ってるの?」
「あぁ、アイツら俺と同じ高校だから」
「……!」

 し、知らなかった…!だから希さんと再会した日、楓さんの部屋に泊まったの?いろいろ知ってるから?なんかショック。兄にも私が知らないこといっぱいあるんだ。

「ねぇ、椿さんって楓の好きな人?」

 近くにいた莉奈が私に尋ねてきた。

「……うん、そうだよ」

 私がそう言うと、莉奈は安心したように「よかった」と微笑んだ。何となく楓さんのことは吹っ切れたのかな?と思った。
 みんな、進んでる。自分でも気づかないくらい、少しずつ。
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