優しい人



 3日後の放課後。私はいつも通りスタジオに来ていた。椿さんとの約束は夕方の5時。今は4時半。スタジオにエージさんの姿はなかった。

「エージさんは?!」
「知らね。寝てんじゃね?」

 兄はベッドに寝転んでまた腹をかいている。

「ねぇ、りっくんそれやめたほうがいいよ。若いのに」
「んーだって痒いんだもん」

 だもんって……。

「ねぇ」
「んー?」
「希さんとはどうなったの?」
「別に何もー」

 不意をついたつもりだったのに。兄は全然動揺しなかった。もー、気になるのに!!

「ねぇ」
「んー?」
「ほんとに?好きじゃなかったの?」
「あの人結婚するし」
「いいの?辛くないの?」
「うん、幸せそうだったし。俺まで嬉しくなっちゃったなぁ」

 兄は雑誌から目を離さなくて、私を見ることもしなかった。本当に?本当に何もないの?兄はそれでいいの?

「りっくん……」
「ハル、俺にとって大事な女の子はハルだけだよ」

 やっと、兄が私を見た。そして微笑んだ。

「それよりエージ起こしに行かなくていいのか?出かけるんだろ?」

 兄がもう一度雑誌に目を落としたのを見て、私はスタジオを出た。兄は私に何かを隠している気がする。もちろん、兄妹だからと言って隠し事しないなんてできないけど。私だって兄にも言えないこといっぱいあるし。でも、なんか重要なこと隠してる気が……

「あれ?英司の彼女ちゃん」

 あと少しでエージさんの部屋って時に、聞いたことのある声に呼びとめられた。
整いすぎた顔立ち。碧い瞳。えっと、確か……

「あ、光さん」
「やっほ。どしたの?英司起こしに来たの?」
「はい、そうです。光さんは……」
「あー、俺は……」
「光ー?」

 光さんの後ろのドアから顔を覗かせた人とばっちり目が合った。

「あ……」

 見たことのある人だった。最近ちょっと忘れていたけれど。

「あ、茜さん……」
「あら、久しぶり」

 茜さんは相変わらず美しくて。どうしてここにいるのだろうとか、どうして光さんを呼び捨てにしているのだろうとかいっぱい考えたけど声にならなかった。茜さんは明らかに前よりパワーアップしていた。雰囲気とか、威圧感とか。前とは桁違いのパワーを持っている気がした。

「あれ、知りあい?」

 何も知らない光さんがキョトンとした顔をしながら聞いた。

「うん、英司くんをこの娘に取られたの」

 はいぃぃぃ?!私略奪したの?!つーか、茜さんエージさんの彼女だったの?!

「マジで!彼女ちゃん見かけによらずなかなかやるね」

 光さんはゲラゲラ笑っていた。

「ほんと。まさかこんな娘に取られるとは思ってなかったわ」

 そこに茜さんが追い打ちをかける。茜さんはまるで悲劇のヒロイン。私は完全に悪者。……まぁ、光さんは何も考えてなさそうだけど。

「だけどそれが本当だったら英司趣味悪いなぁ」

 って、光さんヒドイ。確かに私がエージさんに釣り合わないことは自分でもよく……

「あんたみたいなの彼女にするなんて」
「……!」

 光さんが見ていたのは、茜さんだった。今の言葉は、茜さんに言っていたようだ。なんで……?

「なんで、そんなこと……」

 茜さんは顔を真っ赤にしている。

「俺、悪いけど全部知ってるよ。英司の元カノも、どんな恋愛してきたかも」
「……っ」
「アイツ意外と、気に入ったらその話ばっかするんだよな。ハルちゃんとか」
「え……」

 光さんは私を見て、優しく微笑んだ。

「俺、あんま会ったことないのにハルちゃんのこと結構知ってるよ」

 光さんの優しい瞳は、エージさんのそれと少し似ていた。

「アイツ、陽乃陽乃うるせーんだもん」

 光さんはそう言ってケラケラ笑った。私は初めて知った事実に恥ずかしくて仕方なくて、顔を真っ赤にしていた。そんな光景に、あの人が黙っているはずもなく。

「でも英司くん、私を抱いてくれた」

 な、何ぃぃ?!エージさん、カッコつけて言ってたじゃん!『好きな奴としかセックスはしない』って!嘘じゃん!いや、もしかしてエージさん、実は茜さんのこと好きだったとか?そんなの聞いてないよぉぉ!

「なぁ、自分の世界に入ってるとこ悪いけど。嘘だと思う」

 そんな私に、冷静な言葉がかけられる。……あ、ちょっと光さん引いてるな。

「あんたさ、何でも信じすぎ。そんなんだったら悪いのに騙されるよ」
「……はい、すいません」
「あんたもよくそんな嘘つけるね。英司に確認したらすぐバレる嘘だよ。確かに英司はちょっと頭弱い。だけど誰を抱いたかぐらい覚えてるよ」

 ……光さん、無表情でたまにすっごい失礼なこと言ってるよ。

「アイツ、俺と違ってあんま経験ないからな」

 そう言って光さんは自慢げにフッと笑った。……え、自慢?最後に自慢入ったの?

「陽乃ー、なんで起こしに来ねぇのー?俺自分で起きちゃったよー」

 その時、エージさんの部屋の扉が開いてエージさんが目をこすりながら出てきた。……自分で起きられるならいつも自分で起きようよ、エージさん。

「今日のこと忘れてねぇよな?ほら、お手」

 エージさんは他の2人には目もくれずいつもの雰囲気を作り出す。素直にお手してしまった私は、かなりエージさんに毒されてるらしい。

「そろそろ行かねぇと間に合わねぇぞ?」

 エージさんはそのまま私の手を引いて歩き出した。

「ちょ、英司くーん!光くんいるよ?」

 後ろで光さんが叫ぶ。エージさんはもちろん無視。私は無意識に後ろを振り返った。……でもその瞬間に後悔した。茜さんが、鬼のような形相でこっちを睨んでたから。あの人がエージさんを睨むわけないから、私を睨んでいるのだろう。こ、怖……

「え、エージさん!」
「んー?」
「茜さん来てましたよ!」
「茜って誰」
「……」

 そこからなの?説明面倒だからもういいや。

「エージさんエージさん」
「あー?」
「光さんに私の話するんですか?」

 満面の笑顔で聞くと、エージさんは一瞬私を見て「うん」とだけ答えた。

「どんな話するんですか?」
「お前が可愛いって話」
「……!」

 は、反則ですエージさん……。たまにはエージさんの照れる姿を見てからかってやろう、なんて思っていたのに。私が胸きゅんしてどーすんの……っ。でも仕方ないよね。カッコいいエージさんが悪いよ……!

「お、なんだ?ドキドキしたか?」

 ……あ、エージさんのドSボタンのスイッチが入った。

「しょうがねぇなぁ、もう。ちゃんと夜まで我慢しろよ?」

 だから痴女みたいな言い方やめてってば……!でもそんなこと言えない私。だってエージさんすっごい嬉しそうに笑ってるん、だもん。そんなエージさんの笑顔を見ると何も言えなくなる私は、相当エージさんが好きらしい。
 車に乗り込んで、運転するエージさんの横顔を見つめてみる。エージさんはいつも通りタバコを吸っているように見える、けれど。少しシワが入ってる眉間から、エージさんが緊張していることがわかった。エージさんは今、何を考えてるいるのだろう。エージさんの考えていることなんて、私には想像もつかないことなんだろうけど。でも少しでいいからわかりたいと思った。こんなに好きで好きで仕方なくて。ほとんど毎日会っているのにエージさんのことがわからないなんて寂しすぎる。……付き合いの長い『EA』のメンバーでさえエージさんのことは全然わからないアイツほんとに地球人か?なんて言ってたけど。こんなに好きだから、私だけはわかりたいと思った。私は地球人じゃなくてもきっと、エージさんが好きだから。

「……あ」

 いきなりエージさんが私を見た。運転中は前見ましょうね。

「どうしたんですか?」
「ストーカーだ」
「……は?」

 私が言葉を発したのは、エージさんの発言からたっぷり10秒くらい経ってからだった。ストーカー?いきなり何の話?

「あの、何だっけ。うちにいた女」
「あ、茜さん!」

 そっか、エージさんの中では茜さん=ストーカーなんだ。それを今思い出したわけね!……って。

「わかるかぁ!」

 いきなり叫んだ私を、エージさんが怪訝そうに見てきた。かなり引いている。そこまで引かなくてもいいのに。

「なんでもないです。気にしないでください」

 私はエージさんをまだまだわかっていないらしい。エージさんは私から視線を逸らすと、またタバコに火をつけた。楓さんや兄に比べれば、エージさんはまだタバコは吸わないほうだと思う。エージさんも結構ヘビースモーカーだけど。でも今はタバコがないと落ち着かないみたい。
 ……私はまだ、『EA』のメンバーとは出会って3ヵ月くらいしか経ってなくて。生まれた時からずっと一緒な兄は別にして、エージさんや楓さん、翼さんのことはきっとわからないことのほうが多い。でも『EA』のメンバーそれなりに付き合いが長くて、お互いのことをわかっていて。……エージさんは、楓さんがどれだけ苦しんでたか、私以上に知ってるから。
 前にエージさんが言ってたことがある。『楓が心開いたのは最近だ』って。エージさんは、楓さんのことを気にしてる。心配してる。だから緊張してるんだ。エージさんにギュッと抱きつきたくなった。けれどできないから。私は代わりに、そっと、エージさんの左手に自分の手を添えた。

「……わかんのか、俺の考えてること」

 わからない、エージさんの考えてることなんて全然わからない。だってエージさん、地球人か疑わしいくらいだし。でも……

「緊張してるのはわかります」
「……」
「エージさん、楓さんのこと気にしてたから……」
「……いつも、お前は」

 エージさんはため息を吐いて続けた。

「なんもわかってねぇんだよ。俺の気持ち」
「……」
「だけどその時一番してほしいことをしてくれるからそういうところ、癒される」

 ……泣きそうになった。私は全然エージさんの気持ちをわかれていないけれど。『そばにいていい』って、エージさんが言ってくれた気がしたから。嬉しかった。

「緊張するなぁ」

 エージさんは、そう言って笑った。もうすぐ、だ。楓さんの運命が変わる、なんて大袈裟かも知れないけれど。それくらい特別な日だと感じる。椿さんに何があったのか。どうして楓さんに亡くなったと伝えなければならなかったのか。それが今日わかるんだ。

「エージさん。楓さんは、救われますか?」
「わかんねぇ。……だけど、このままじゃいけねぇってこと、あの妹もわかってんじゃねぇのか」

 ……うん、それは私も思う。きっと椿さんは今でも、楓さんが好き。そして楓さんも……

「着いた」

 エージさんはそう言って、駐車場に車を停めた。そして助手席の私をジッと見つめてきた。

「な、なんですか……」

 そう言って挙動不審になる私をふっと笑ったあと。近寄ってきて、私の額に口づけた。

「食いたいもん食え。俺が奢ってやるから」

 ……ご飯食べにきたんじゃないんですけど。

「お手」

 そして私は犬でもないんですけど。だから逆にエージさんの頭を撫でてみた。

「……」
「……」
「……」

 なんか言えよぉ!!私なんで頭なんか撫でちゃってんの?!エージさんに何か言わせたかったからじゃないの?なんか言えよぉぉ!
 でもエージさんは何も言わずに車を降りた。……え、私が頭撫でたことなかったことにされてます?拗ねながら車を降りると、エージさんは私の手を握りながら言った。

「俺は犬じゃねぇ」

 私だって犬じゃないんですけど……!って、こんなこと言ってる場合じゃない。
 今は5時ちょうど。もしかしたら椿さんはもう来てるかもしれない。カフェに入ると、私は椿さんの姿を探した。ここは地元から少し離れているから、たぶん『EA』はそんなに知られていない。でもエージさんの美貌はここでも健在で。店員さんや周りのお客さんはみんな目をハートにしてエージさんを見つめていた。

「いるか?」
「えっと……」

 椿さんの姿は未だに見つからない。

「わかんな……」
「こんにちは」

 エージさんの後ろから聞こえた声。エージさんの肩越しに見えたのは全然知らない男の人で。そしてその横に、気まずそうな顔をした椿さんが立っていた。
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