運命



 ……あれから、3年と半年が過ぎた。私はあの後すぐにあの学校をやめた。だから律がどうしているかは知らない。
 今は違う学校で雇ってもらっている。あの学校ほど大きな学校ではなく、私立にしてはのんびりした学校だけど、それなりに楽しくやっている。……それに。

「希ちゃん、そろそろ行こう」
「はーい」

 私はもうすぐ、結婚する。もちろん親が用意した婚約相手ではない。今の学校で出会った人。優しくて、弱い私を一人ぼっちにしなかった人。絶対に、そばで手を握ってくれた人。
 律に対して抱いたような、燃えるような想いではないけれど。確実に芽吹いた、確かな想い。私はこの人を愛していると、自信を持って言えた。
 私たちは手を繋いでゆっくり歩いた。律との時間は、こんなにのんびりしていなかったから。初めは少し戸惑ったけれど、今はこのペースじゃないと落ち着かない。
私たちが向かうのは、両親のお墓だった。お父さんはあの後すぐ、お母さんは1年後に亡くなった。

『これからは自分の好きなように生きなさい』

 2人とも、そう言い残して。私はそこで初めて、親のすごさを知った。親は、子どもを許せる。愛せる。親の愛は何よりも深いものなんだ。お父さんの会社は、お兄ちゃんが継いだ。お父さんの時より大きくするんだ、って意気込んでいた。

「ねぇ、希ちゃん」
「んー?」
「前に話してくれたよね、おもしろい生徒の話」
「あぁ、律のこと?」
「うん、会いに行かなくていいの?」
「へ……っ?」
「たまに寂しそうな顔する希ちゃん、もう見たくないんだけどな」

 わ、たし……

「先生?」

 不意に聞こえた声に、私は振り向いた。

「福島くん!!」

 そこにはあの頃よりも大人になって、数倍カッコよくなっている福島くんがいた。

「先生、久しぶり」
「久しぶりね!」

 福島くんは、私が急にあの学校をやめた理由を何も聞かなかった。律から聞いているわけもないのに。

「その人、もしかして先生の彼氏?」
「うんっ!」
「へぇ、いい人そうだね。……律は」

 ……そうだ、この子はいつも唐突だった。

「元気だよ。何か吹っ切れたみたい」
「……そう」
「この道の裏通りに、『翔』って店があるんだ。そこに行くと会えるかも知れない」
「……ありがと」
「うん、じゃあ、またね」
「あ、福島くん!彼女は元気?」

 私がそう聞くと、歩き出していた福島くんは立ち止まって、振り返らずに答えた。

「彼女は……死んだよ」

 そしてそのまま歩いて行った。まさか、亡くなってるなんて……福島くん、あんなに大切にしてたのに……

「希ちゃん大丈夫?行こうか」
「あ、うん……」

 それから私は、何度か『翔』という店に行った。彼のためにも、ちゃんと律のことを吹っきらないといけないと思ったから。
 そしてとうとう、出会ったんだ。私が羨み、嫉妬した、いつも律の頭を占めていた『彼女』に。

「陽乃ちゃん?」
「はい……?」
「律の、妹さんの……?」
「そうです、けど……」
「そう、あなたが……」

 律には似ていない。でも、とっても可愛らしい女の子。

「兄とは、どういう関係ですか?」

 関係、か……。ずっと、不確かだったもの。だけど、必死にしがみついてたもの。今ならわかる。

「……何でもない。ただの教師と生徒よ」

 きっと、それだけだった。私は確かに律が好きだった。でも、それだけ。私は律の、何も掴めなかった。

「こんにちはーっと」

 久し振りの声に、心臓がきしんだ。あぁ、律だ。久し振りの律だ。あの頃よりもカッコよくなったね。色気も出たかな?律は私を見たまま固まっている。無理もない。私は律に何も言わずに学校をやめたんだから。

「ごめんなさい」

 弱い私を支えてくれたのに。いきなり消えてごめん。支えてあげられなくてごめん。律から逃げて、ごめん。

「なんでいるんすか、センセ」

 律の声は低くて。急に現れたから。しかも妹さんの前に。律が怒るのも当たり前だ。でも、どうしても伝えたかったの。こんなに弱い私に、優しくしてくれたあなたに。

「……さよなら、言いたくて」

 律がゴクリと唾を飲み込んだ。

「私、結婚することにした」
「………」
「もう、一生会えないけど……一生、忘れない」
「………」
「さよなら」

 そこまで言うと、私は律の横を通り過ぎて店を出た。……これで、よかったんだ。悔いはない。最後に律に会えて、嬉しかった。さよなら、律……

「っ、先生っ!!」

 不意に、腕を掴まれた。

「り、つ……」

 どうして、なんで律がここに……

「ごめん、動揺してた。ちょっと話そうよ」

 ちゃんと祝福もしたいし、と律は続けた。話し方は、性格は変わってないんだね、律。
 近くにあった公園のベンチに、私たちは座った。

「先生、今どうしてんの?」
「まだ教師続けてるよ。私こう見えても、結構この仕事好きなんだ」
「そっか。結婚する人はどんな人?もしかしてあの婚約者?」
「ううん。あの結婚はなくなったの。私、ちゃんと本当に好きな人と結婚する」
「……よかった、本当に」

 律はそう言って目を細めた。流れるのは、穏やかな時間。前に律といた時のような焦りはなかった。

「律はどうなの?」
「俺は、第一志望の大学行ってるよ。ちなみに楓も」
「福島くんとは今も会うの?」
「うん、同じ大学だし。つーか、俺アイツと一緒にバンドしてんだわ。あと、ハルの横にいた奴ともう一人で」
「そうなの?!」
「うん、結構有名なんだぜ〜。先生もまたライブ来てよ。旦那さんと一緒に」
「行く!絶対行く!」

 そう言うと、律はじっと私を見つめてきた。

「ど、どうしたの?」
「いや、変わってねぇと思って」
「うそ?!私ちょっとは色気出たと思うんだけど」
「うん、違うところは全然違うよ。色気増したし、なんか穏やかになったし」
「律……」
「だけど、一緒にいて安心するところは変わってねぇ。……先生、俺のこと好きだっつってくれたでしょ?あれ、本当はすっげぇ嬉しかったんだ」
「……」
「先生となら、どこまでも逃げられると思った」
「律……」
「だけどどうしても、ハルは捨てられなかった。傷つけてごめん」

 私はふるふると首を横に振った。

「泣きむしなところは変わってねぇのな」

 律はそう言って涙を親指で拭ってくれた。

「俺こう見えても…、結構先生のこと大事だったよ」
「律……」
「先生はずっと、俺の大事な女の子だよ」
「律……っ」

 最後まで好きとは言ってくれなかったけれど、これだけで充分だった。むしろ、好きと言ってもらえるよりも嬉しかった。きっと私は、律に大事にされたかった。一人ぼっちだった私を支えてくれた律の、特別になりたかった。

「ありがとう、律」
「うん、こちらこそ」

 あぁ、私は本当に幸せ者だ。本気でそう思った。

「ねぇ、妹さんの隣にいたのは……」
「あぁ、ハルの彼氏。俺らのバンドでボーカルしてんだ」
「え、彼氏?」
「うん、彼氏」

 律は平然と答えた。

「辛く、ないの……?」
「うん、全然。アイツ俺様だけどいい奴だし。それに、俺が紹介したんだ」
「え……」
「アイツらが両想いになるだろうな、ってこともわかってたよ」
「なんで……」
「アイツら、似てるから」

 そう言って律は微笑んだ。本当に、幸せそうな笑顔だった。

『なんか吹っきれたみたいだよ』

 この前福島くんが言っていた言葉にも納得できた。

「幸せそうだね」
「先生こそ」
「ふふ、まぁね」

 それから私たちは、他愛ない話をした。穏やかな時間。あの頃の私に今みたいな余裕があれば何か変わっていただろうか。そう思ったけれど、すぐにそれはないと思った。今私に余裕があるのは、律との別れを乗り越えられたから。そして今の彼に出会えたから。私たちはきっと、結ばれないほうがよかった。きっと、そうだ。

「律に出会えてよかった」
「……うん、俺も」

 2か月後。律からライブの招待状が届いた。

『先生、妊娠おめでとう。子ども生まれたら会わせてね』

 そんな、メッセージと共に。
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