「行こうか、ハルちゃん。手繋ぐ?」

 楓さんは王子スマイルを私に向けた。……楓さんは、唯一皇帝に屈しない人だと思う。エージさんもたぶん、楓さんには皇帝らしいところを見せない。理由は、わからないけれど。

「エージさんに見られたら怖いので遠慮しときます」
「アハハ、確かに。んじゃあ行ってくるわ」

 楓さんはりっくんたちにそう言うと歩き出した。私もその後を歩きだす。森の中は思った以上に暗くて、なんとなく寒くて。……う、思った以上に怖いかも。

「ハルちゃん大丈夫?」
「あ、ちょっと怖いかもです……」
「掴まってもいいよ」

 その言葉に甘えて、私は楓さんの服の裾を掴ませてもらった。

「楓さん、怖くないんですか?」
「うん。俺を襲ってきようとしたヤツは血祭りにあげてやるから」

 ……。最近、ブラックな楓さんをよく見る気がする……。

「昨日翼大丈夫だった?」

 昨日って…、翼さんが酔っ払って階段で拗ねてた時のことだよね?

「あ、はい。全然大丈夫でした」
「そっか。アイツヘタレだけどいい奴だから、見捨てないでやってな」
「はい……」

 楓さんはやっぱり、翼さんのことを心配してるんだなと思った。

「楓さん、翼さんが心配ですか?」
「そりゃあ、アイツは弟みたいなもんだから」

 ま、アイツは俺のこと嫌ってるけどね、と楓さんは笑った。

「どうして翼さんは、その……楓さんに、あそこまで反発するんだと思いますか?」
「んー、理由はいろいろあると思うけど。俺、アイツからギター奪っちゃったから」
「え……?ギターを?」
「そ。アイツ小さい頃からずっとギターやってて、俺なんてギター歴ではアイツに全然敵わない。だけど英司は、『EA』のギターをアイツじゃなくて俺にした。初めはすっげー反発してたよ」

 初めて聞く事実に、驚きを隠せなかった。私にとっては、ギターが楓さん、ベースは翼さん。そのイメージしかないから。

「俺は別にどっちでもよかったんだ。つーか、むしろベースをやりたかった。翼がどれだけギターが好きで、どれだけ一生懸命練習してたか知ってるから。だけど、なんで俺がギターじゃないんだって翼が聞いたら、英司あっさり。『楓のほうが上手いから』って。あれはショックだっただろうなぁ」
「………」
「だけど翼は英司の音楽の才能には惚れこんでたから、それなら仕方ないって引き下がった。……でも本当は、今でも気にしてると思う」
「翼さん、言ってましたよ。ムカつくのはただの妬みだって。本当は翼さん、楓さんに憧れてるんです。楓さんみたいになりたいんです」
「ハハ、俺は翼になりたいけどね」

 そう言った楓さんの王子スマイルは、心なしかいつもより寂しそうだった。

「そう、なんですか?」
「うん。つーか、俺以外の誰かになりたい」
「楓さん……」

 楓さんはカッコよくて、優しくて。頭もよくて、そのくせちょっと天然で。完璧な、人だと思う。男も女も、すべての人が憧れてしまうような人。そんな楓さんが、あんなことを言うから私は少し、泣きそうになった。

「俺を本気で好きになってくれる人なんているのかな。俺を本気で……心配してくれる人なんているのかな」
「楓さん……」
「アイツが死んでから……俺ずっと、一人ぼっちなんだ」

 悲しかった。いつもみんなの中心にいて、女の子にもすっごくモテて。そんな楓さんが『一人ぼっち』なんて。いつもの王子スマイルで言うから、さらに悲しかった。

「俺、たぶん感情がないんだ。悲しい、辛い、楽しい、幸せ……、そういうの、俺感じないんだ」
「………」
「だから、女の子が泣いてても平気で置いていける。俺、もうアイツらと一緒にいないほうがいいのかもな」
「そんな、悲しいこと言わないでください……」

 私は必死に楓さんにしがみついた。怖かった。楓さんが遠くに行ってしまうのが。楓さんが、私の『日常』からいなくなってしまうことが。『EA』のメンバーは確実に、私の生活の一部で。もちろん楓さんもそうで。

「楓さんが悲しめないなら、私が代わりに泣きます」
「ハルちゃん……」
「楓さんが心から笑えないなら、私が代わりにお腹の底から笑います」
「……っ」
「だから、離れるなんて言わないで……」

 次の瞬間。私の体は、楓さんにすっぽりと包まれていた。

「なんで、ハルちゃんはそうやって……」

 耳元で聞こえる楓さんの声は、震えていた。

「アイツと同じこと、言うなよ……」
「楓さん……っ」
「椿……」

 楓さんは力のない声で、何度も何度も彼女の名前を呼んだ。

「俺のせいで、ごめんな。守れなくてごめんな。好きになってごめんな……」

 悲しかった。苦しかった。愛したことを、謝るしかできないのが悲しかった。

「楓さんは、感情をなくしてなんかないですよ。だって、こんなに優しいじゃないですか」
「……っ」
「椿さんを想って、翼さんを想って…、楓さんは優しいです。楓さんの周りにいつも人がいっぱいいるのは、楓さんがカッコいいからじゃない。みんな楓さんが好きだからです。少なくとも、私たちはそうなんです」
「ハルちゃん……」
「だから、もう離れるなんて言わないで……」

 楓さんの腕の力が強くなる。

「言わねぇよ……」

 私はただ、必死で楓さんにしがみついていた。

「ハルちゃんがそばにいてくれるなら、言わねぇ」
「楓さん……」

 その時。

「おいおい、肝試し中にイチャつくなんざ、不謹慎極まりねーなぁ」

 そんな、低い声が聞こえた。この声は……!私はそう思って咄嗟に楓さんから離れようとする。それなのに楓さんの腕の力は強まるばかりだった。

「おう、英司。今までどこほっつき歩いてた」

 楓さんが挑発的に返す。ちょ、楓さんダメだってば、キレたら手つけられないってば……!

「煙草吸って休憩してたらよく知ってる声がイチャついてたんだよな」

 ダメだ、エージさんが饒舌。つまり、ドSモードかキレてる時……!

「そういう時は空気読んで立ち去るべきじゃない?」

 楓さんはエージさんがイライラしてるのをわかってて楽しそうに返す。……実は、エージさんよりも楓さんのほうがドSなんじゃないだろうか。そんな気がしてきた。

「おい、楓」
「んー?」
「そろそろそれ離してやれ。息できてねぇだろ」

 そこでやっと楓さんは私を離す。助かった、ちょっと苦しかった。……でもエージさん、私を『それ』って呼んだ。絶対にキレかけている。

「楓」
「なに?」
「勘違いすんじゃねぇぞ。コイツは椿じゃねぇ、陽乃だ」
「………!」

 エージさん……

「コイツに癒しを求めようがコイツを支えにしようが何も言わねぇ。だけどな、コイツは椿じゃねぇ。お前が忘れられない女じゃねぇ」
「………」
「陽乃は陽乃だ。……行くぞ、陽乃」

 楓さんは俯いていて、最後まで顔は見えなかった。

「え、エージさん…!」
「……」
「どこ行くんですか?!」

 私が何を言っても、エージさんは何も答えてくれなくて。ただ私の手を握って歩き続けた。しばらくして、やっと見覚えのある場所にたどり着いた。……エージさんはコテージの隣に置いてあった車に乗り込んだ。そして。

「なぁ、溜まってんだけど」
「は……?」
「ヤリたい」
「はぁ?!」

 エージさんはいそいそと私の服に手をかける。

「ちょ、ちょっと待ってください、エージさん!明日エージさんの家泊まりますから!だからその時に……」
「我慢できねぇ」
「え、エージさん……!」
「お前は」

 エージさんの、綺麗な二重の目が私を捕らえる。暗い中、微かに見えるその目は……不自然に、揺れていた。

「俺の、女だろ?」

 私は、この時やっと気づいたんだ。エージさんがよく言うこの言葉。

『お前は俺の女だろ?』

 これはきっとエージさんの、不安を表した言葉なんだ。エージさんが怖くなった時、そう言うんだ。……エージさんを、不安にさせてしまったんだ。私はギュッと、エージさんを抱き締めた。

「……いいですよ、抱いてください」

 車の中は、狭くて暑くて。楓さんや、みんなのことも気になったけれど。私は、エージさんの不安を受け止めることに集中した。エージさんはただ、静かに私に触れた。いつもより熱い指に触れられる度、心が震える。エージさんは、じっと私を見ていた。ただまっすぐな目で、じっと。私はエージさんが大好きだってことを伝えたくて、ぎゅっと抱きしめた。エージさんは抗うことも抱き締め返すこともせず、されるがままになっていた。

「エージさん……」
「……」
「大好きです」
「……」
「ほんとに、大好きです……っ」
「じゃあ、俺以外見んなよ」
「エージさん……っ」
「言葉じゃ信じらんねぇ……」

 『初めて本気で惚れた女は、気づけば兄貴の婚約者だ』前にエージさんが言ったその言葉が、胸に刺さった。

「私は……っ」
「……」
「お兄さんの、婚約者じゃありません……!」
「……っ」
「陽乃ですっ」
「はる、の…」
「そうです、私は陽乃です…!」

 崩れるかと思った。何がって、エージさんが。エージさん自身が。エージさんは一瞬目を見開いて。その後、一気に歪んだ。エージさんの、綺麗な顔が。

「ごめん……」
「エージさん」
「ごめん……っ」

 エージさんの声は、今までに聞いたことがないくらい震えていた。


「お前を、アイツと重ねたわけじゃないんだ」

 終わった後、エージさんは私の胸に顔を埋めて言った。

「わかってる、お前がアイツと違うことくらい」
「……」
「わかってる、お前が俺を裏切るような奴じゃないことくらい」
「……」
「だけど、頭に血が昇る。お前が他の男に触ってると」

 エージさんの声は、集中してないと聞こえないくらい小さかった。

「俺と付き合ってる時から、アイツらはできてた」
「……」
「初めて気づいた時な。その日は会えないって言われたはずなのにアイツの声が聞こえたんだ。あの家の、兄貴の部屋から」
「……」
「気になって覗いたら……ヤッてた、アイツら。俺のすぐそばで。俺が家にいるの知ってたはずなのに」
「……」
「……許せなかった。わざわざ、兄貴と……。俺が兄貴にコンプレックス持ってんの知ってたのに。……俺、その時諦めた。あぁ、もう恋愛なんてするかって。こんなに悔しい思いするなら、一生恋愛なんてしねぇって思った」
「……」
「俺、お前に出会ってなかったら、今も諦めたままだった。……ごめんな、怖かったか?」

 エージさんは私を見た。さっきと同じまっすぐな目で。……この目は私を見てくれているって、信じよう。

「……全然怖くないです。どんなエージさんも受け止めますから」
「……うん」

 エージさんは安心したように目を瞑った。

「陽乃、確かにアイツのことはトラウマにはなってる。だけど俺が今好きなのはお前だけだ。それだけは信じてほしい」
「……はい」
「俺だけを見ろなんて、もう言わねぇから。気にせずに、楓と翼のそばにいてやってくれ。アイツらにとっても、お前は心の支えなんだ」

 目を開けて、私を見る。その目が優しかったから。私は自然と微笑んだ。

「私が好きなのも、エージさんだけですよ?信じてください」
「うん、信じる」

 信じるのが怖いはずのエージさんが、そう言ってくれた。だから、絶対にエージさんを裏切らないと心に誓った。私たちを照らすのは、月明かりだけ。エージさんの顔は儚くて、綺麗だった。額にキスを落とすと、エージさんはくすぐったそうに目を細めた。

「そういえばアイツら、探してねぇかな」

 ……あ。すっかり忘れてた。


 ポケットに入れてあった携帯を見ると

「……あれ?電話もメールも来てない……」
「律からも?」
「はい……」

 兄から連絡が来てないなんて、向こうに何かあったんじゃないかって不安になってしまう。

「楓、か……」

 エージさんがポツリと呟いた。楓さんが、きっと何か言ってくれたんだ。エージさんと私が2人になれるように。

「さすが楓さんですね」
「……戻るか」

 はい、と返事して服を着始める。けれど、どこを探してもパンツはない。なんで?!エージさん、どこに飛ばしたのよもう!と思っていると

「パンツねぇのか?」

 ……なんでわかったの。ジトリと疑いの目をエージさんに向ける。するとエージさんはどこからか私のパンツを取り出した。

「ギャー!」

 急いで奪い取ろうとするけど、エージさんはヒョイとそれをかわす。

「なっ、返してくださいよ!」
「やだ」

 ちょ、それ変態ちっくですからエージさん!!上半身だけ服を着て下半身は丸出しってかなり恥ずかしいんですけど!エージさんちゃっかり服着てるし!どうしても早く返してほしかったから、私は必殺のあの技を出した。

「エージさん、お願い……」

 うるうるの瞳で、上目づかいで見つめる。こうすると、エージさんは何でも許してくれる。エージさんは無表情で私をじっと見つめたあと、パンツを差し出した。

「やった!!」

 パンツを履こうとした時、ギュッと横から抱き締められた。

「可愛い……」
「エージさん…」

 エージさんは今までにないくらい優しく笑って頭を撫でた。

「なでなでしてやるな。餌は何がいい?」

 ……私は犬ですか。今気付いた。私が甘えた時、エージさんは犬として私に接しているんだね。私こう見えても人間なんですけど!しかも人間として接してる時より犬として接してる時のほうが優しいってどうなの!?

「おい、聞いてんのか?餌は何がいい」

 ……エージさん、犬は喋りませんよ。

「エージさん、早く戻りましょ」

 スルーしてパンツをはくと、エージさんは悲しい目をした。そ、そんな目されても私は……

「よしよし、なでなでしてやる」

 ……負けてしまった。エージさんの腕の中で頭を撫でてもらうのはすごく気持ちいいから。結局コントロールされてるのは私みたい。しばらくすると満足したのか、エージさんは私を解放した。

「明日うち泊まるんだろ?餌用意しとくからな」
「……」

 エージさんは私の手を握ると車を出た。

「あぁぁぁぁ!!」

 そこにちょうど、戻ってきたみんなと出くわした。

「もしかしてお前らこの中で?!くっそー、もうこの車乗れねぇじゃねぇか!」

 兄は本気で悔しそうにエージさんを見て、本気で悲しそうに私を見た。

「な、なにしてたんだよお前ら!」

 かなりどもりながら翼さんが言う。

「何ってセ」
「エージさん!」
「おえぇぇぇ」

 エージさんの言葉に、私の制止の声と翼さんの吐く声が重なった。

「だ、大丈夫ですか翼さん!」
「あ、あぁ、大丈夫だ……」

 なんか、このキャンプで私吐く人のお世話ばかりしてる気がする……

「ハルちゃん、俺が翼運ぶわ」

 楓さんは翼さんを肩で支えると、私に言った。

「んじゃあ、風呂入って寝るぞ」

 兄は、さっきで一気に疲れたらしい。車を忌々しそうに見つめていた。
 疲れがたまっていたのか、その日はベッドに入ってすぐに寝た。
 次の日、帰りの車の中でも爆睡して。いろいろあったキャンプは、幕を閉じた。
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