つーくんの恋



「そろそろ帰るか」
「もう落ち着きました?」
「ん」

 エージさんは立ち上がると、私に手を差し出した。……よかった、手繋いでくれるんだ。それだけでこんなに幸せになれるのに、離れられるわけなかったんだ。

「やっぱお前プニプニしてて最高だわ」

 エージさんは本当にプニプニが好きらしい。エージさんの顔でプニプニとか言うとちょっと笑える。

「……エージさん」
「あー?」
「ごめんなさい、バカなこと言って」
「……別に。お前に振り回されんのには慣れた」
「……」
「心配すんな。嫌いになったりしねーから。つーくんには渡さねぇよ」

 ……つーくん?今つーくんって言った?翼さんのこと、だよね……?すっごいカッコいいこと言ってるのになんか可愛い。翼さんはエージさんのことえーちゃんって呼ぶし、エージさんは翼さんのことつーくんって呼ぶし。なんか可愛い……

「……えーちゃん」
「あ?」
「なんでもないです忘れてくださいごめんなさい」

 そんな射殺すような目で見ないでほしい。ちょっと呼んでみたかっただけだもん……!

「お前な、不意打ちでそういうのはやめろ」
「え?」
「チューすんぞ」
「……」
「おい、今露骨に逃げたろ。失礼な奴だな。お前が吐いた時もぜってーチューしてやんねーからな」

 エージさんは機嫌がよくなったみたい。よかった。エージさんが機嫌悪いと尋常じゃないくらい怖いから。

「……別に、好きに呼んだらいい」
「え……」
「好きにしたらいい」

 エージさんは、兄と同じことを言った。……ちょっとだけ、本当にちょっとだけ。私が思っている以上に、エージさんは私を想ってくれてるんじゃないかと思った。

「……エージさんも好きにしていいですよ」
「もうしてる」

 ……確かに。言うまでもなかったですね。
 コテージに着くと、翼さん以外みんな楽しそうに話していた。……翼さんは転がっていた。

「おいぃ!お前らどこでニャンニャンしてきた!部屋分けた意味ねぇじゃねーか!」

 兄は相変わらずうるさかった。だから、言ってやった。

「りっくん、うるさいよ」
「うるさいってなぁ、俺は可愛い妹が野獣に……今、なんて言った?」
「何も言ってないよ、りっくん」
「ハル……!」

 兄は泣きそうな声を出して、私を抱き締めた。腕の力が強くて、内臓が飛び出るかと思った。……それと同時に。兄を、そこまで傷つけていたことを知った。ごめんなごめんな、って兄はずっと呟いていた。私の首筋に水滴が落ちてきた。あぁ、また泣かせちゃった。だけどこれはきっと、嬉し涙だからいいよね。

「私こそごめんね」
「ハルは何も悪くねーよ」

 兄はいつもこうやって私をかばってくれた。守ってくれた。……だから、応援しよう。兄に好きな人ができるように。すっごく大切な人ができるように。エージさんと出会わせてくれたのは、兄だから。

「大好きだよ」
「……俺も。愛してる」

 さっき見た夢と同じことを言った兄は、幸せそうに笑っていた。

「いつまでもくっついてんな」

 そう言ったエージさんも心なしか優しくて。私がこういう風になれたのはきっと、エージさんのおかげ。私は兄から離れて、エージさんに飛びついた。

「なっ、ちょ、ハル……!」
「ふっ」
「ムカつくー!英司のその勝ち誇った顔ムカつくー!」

 叫ぶ兄のお尻を、「うっせぇ」ってめずらしくブラックな楓さんが思い切り蹴飛ばしていた。
 その日の夜は女の子3人でお風呂に入った。

「え、莉奈胸大きくない?!」
「ちょ、ハル、なんてこと言うのよ!」
「ほんと!すごく大きいね!」
「里依ちゃんまで……!」

 莉奈とお風呂に入ったのは久しぶり。成長したなぁ……。私たちは3人一緒に浴槽に浸かった。

「ねぇ、さっきエージさんとどこ行ってたの?」
「んとね、近くの公園」
「エージさんすっごく飲んでたけど大丈夫だった?」
「……吐いてた」
「……やっぱり」
「飲み方が異常だったからハルちゃんとなんかあったんじゃないかって楓さんが心配してたの」
「そっか……」

 皆に心配させてたのか。悪いことしたな

「もう仲直りした?」
「うん、大丈夫だよ」
「よかった、英司兄ちゃんの幸せそうな顔久しぶりに見るから」

 ……やっぱりそれは、お兄さんの婚約者の人が関係あるのかな?過去のことだってわかってるのに、少し気にしてしまう自分が嫌だ。

「あ、そういえば翼さん荒れてたけど大丈夫なのかな」

 莉奈がそう言ったから驚いた。

「莉奈……翼さんのこと気になるの?」
「え……あんだけ荒れてたら誰でも気になるでしょ」

 翼さん……頑張ろうね。

「翼くんは女の子苦手なのにハルちゃんだけは普通に話すよね」

 ……それは私が女として見られてないからね。

「私未だに目見てくれないよー」
「翼さん、どうしてあんなに女の子苦手なのかな」
「え、莉奈翼さん気になるの?」
「いや、だから誰でも気になるって。あんたさっきから何?」
「な、なんでもない!」

 危ない、莉奈が鋭いってことを忘れてポロッと翼さんの気持ちを口に出しちゃいそうだ。

「んー、翼くん本人から聞いたわけじゃないんだけど」
「うん」
「翼くんね、お母さんとうまく行ってないらしいんだよね」
「お母さんって……実家のお母さんだよね?」
「うん」

 前に翼さんの家で飲み会があった時、翼さんが言っていたことを思い出した。『俺の母親は母さん一人だから』私が翼さんの中に『陰』を見た時だ。

「美沙子さんじゃないほうだよね?」
「うん、義理のお母さんのほう」
「そっか……」
「私も詳しく知らないんだけどね」

 翼さんはヘタレだけど、ものすごくいい人で。人に言えない闇は誰もが持っているけれど。翼さんは絶対に誰にも見せないように、苦しんでいるんじゃないかと思った。
ガールズトークは話題がすぐに移り変わる。

「律くんね……」

 今度は兄の話みたいだ。

「彼女いたことないわけではないんだって」

 さっき言ってた……と、里依ちゃんは少し小さい声で言った。

「大学入ってすぐに彼女できたけど、楓さんに寝とられたって言ってた」
「え……楓最低じゃん」
「うん、だけど律くん楓さんに感謝してるって言ってたよ。好きでもないのに無理やり付き合わされて迷惑してたからって」
「それでも最低だよ」

 ……莉奈は、まだ少し楓さんのことを引きずってるのかもしれないと思った。

「いつまであんなこと続けるんだろ」

 そう言って天井を見上げた莉奈の横顔は寂しそうで切なそうで。私は思わず、莉奈に尋ねていた。

「莉奈……まだ楓さんのこと好き?」

 莉奈は一瞬驚いたように私を見て、だけどすぐにいつもの表情に戻った。

「そりゃあね、簡単に忘れられるわけではないよ」
「……そっか」
「だけどね、幸せになってほしいって思えるようになったんだ」
「……」
「私も、楓が悔しがるくらい幸せになってやる」
「うん、頑張ろうね」

 私がそう言うと、莉奈はめずらしく微笑んだ。

「私も……、叶わないかも知れないけど自分なりに頑張ってみる」
「うん、みんなで頑張ろう」

 私たちはその後体を洗ってお風呂を出た。
 次の日は、みんなで近くの川に泳ぎに行った。やっぱり莉奈の胸は大きくて、比べられたくなかったから莉奈の近くには行かなかった。それに気づいたエージさんは、私のところに来て言った。

「前にも言ったけど、俺は巨乳じゃなくても大丈夫だからな」

 殴りたくなった。

「ちょ、ハル!」

 今度は翼さんか。

「……なんですか」

 少しうんざりしたように言うと、翼さんは小刻みに揺れながら言った。

「やべぇ、りなを直視できねぇ」

 ……なんだそれ。

「見なければいいじゃないですか」
「お前男心がわかってねぇなぁ。嫌でも見たくなるんだって」

 ……ふっ、翼さんも所詮男か。

「あ、お前今バカにしてるだろ」
「いいえ、ただバカだなぁと思っただけです」
「え、それをバカにしてるって言うんじゃねぇの?」
「さぁ?翼さんがそう思うならそうなんじゃないですか?」
「最近、お前俺に冷たくね?な、そう思わない?」

 私は翼さんを冷めた目で見ると、私はみんなの輪の中に入って行った。

「え、ひどくね?それひどくね?」

 翼さんが後でそう言っていたのを無視して。
 夜はみんなで肝試しをすることになった。男女2人1組で、男子1人が脅かし役。エージさんと行けたらいいなぁ、なんて思ってたらエージさんはまた予想だにしなかった言葉を発した。

「俺脅かし役やりてぇ」

 ……ビックリしすぎて顎が外れるかと思った。

「え……いいの?」

 楓さんが私を気にしながら気まずそうに尋ねる。エージさんは私を気にもせずにもう一度言った。

「あ?何が?やりてぇもんはやりてぇんだけど」

 楓さんは私を慰めるように頭をポンポンしてくれた。エージさん以外のメンバーでペアをくじで決めることになった。

「……っ!」
「あ、里依ちゃんとだ。よろしくなぁ」
「りりり律くん!」
「任せとけ。俺が完璧に守ってやる!」
「……!!」

 里依ちゃんは兄の発言に顔を真っ赤にしていた。

「ハル!」
「なんですか」
「お、俺りなとなんだけど!」
「でしょうねぇ。私が楓さんとだってことは」
「頼む!楓代わっ……むが!」

 私は楓さんのところに行こうとする翼さんの口を手で塞いだ。そして翼さんの耳元で、誰にも聞こえないように言った。

「チャンスですよ!莉奈にカッコいいところ見せなきゃ!」
「か、カッコいいところ……か。ま、俺オバケは」
「怖くないんですか?!」
「……こともねぇけど…」

 なんだよ!お化け怖くないなんて翼さんすげぇと思ったのに!

「俺はそれよりも……」
「……?」
「女に触られるほうが怖ぇ」
「……!」
「俺な、女に触られると吐き気がするんだ」
「翼さ……っ」
「りなのこと触りてぇと思わないわけじゃねぇよ。だけど怖ぇ。好きな女にも触れられねぇなんて、情けなさすぎるよな」

『俺の母親は母さん一人だけだ』
『翼さん、義理のお母さんとうまく行ってないんだって』

 前に聞いたそんな言葉が頭に浮かんだ。

「りなに、カッコ悪いと思われたらどうしよう。りなを守れなかったらどうしよう。お化けなんかよりもそっちのほうが怖ぇ」
「……翼さん」
「………?」
「莉奈は、そんなことでカッコ悪いと思うような娘じゃないですよ。人のカッコよさはそんなとこで決まるんじゃないって、ちゃんとわかってるから」
「ハル……」
「自分が惚れた女でしょ?信じてみません?それに翼さん、そんなに悪くないですよ」
「……英司よりいい?」
「……」
「……今の質問はなかったことにしてくれ。落ち込むだけだ」

 よかった。いつもの翼さんに戻ったみたい。ちょうどその時。

「おーっす、ただいまー」

 兄と里依ちゃんが帰ってきた。

「さ、次は翼さんの番ですよ!」
「……おう」

 私と翼さんは兄たちの元に駆け寄った。

「つーかさぁ、英司出てこなかったんだけど。アイツ寝てんじゃね?」

 ……エージさん……

「んじゃ、次翼と莉奈ちゃんだね」
「つーくん頑張れ!負けんじゃねーぞ!莉奈ちゃん、悪いけどつーくん守ってやってな!」
「うっせー!大丈夫だ!行くぞ、りな!」

 そして翼さんと莉奈はみんなに見送られながら歩いて行った。
 それからしばらくして、2人は帰ってきた。翼さんはズンズン私のところに歩いてきた。そして私の腕を掴んでみんなから離れる。そこで翼さんはとんでもないことを言った。

「ハル、どうしよう!」
「どうしたんですか?」
「好きだって言っちまった!」

 ………え?

「えぇぇぇぇ!」

 早くない?早すぎない?!

「口が勝手に動いて……うぁぁぁ」

 翼さんは頭を抱えて項垂れる。

「どうしてそんなことになったんですか?!」

 私が聞くと、翼さんはポツポツと話し出した。
 二人が歩いていると、茂みからガサガサ音がしたらしい。莉奈はそれに驚いて思わず翼さんにしがみついてしまった。案の定、翼さんを吐き気が襲う。翼さんがしゃがみこんだのを見て、莉奈が泣きそうな顔でごめんなさいと謝った。それを見て、翼さんが逆に申し訳ないと思って言ってしまったらしい。「りなを嫌いなわけじゃない、むしろ好きだ」って。莉奈はそこでキョトンとしたらしいけれど、自分の発言に気づかない翼さんは続けた。

「女が怖いから触られると吐き気がする。だけどりなには触りたいって思う。本当だ」

 ここまで言って自分の発言に気づかない翼さんを、本気でバカだと思った。

「あの……翼さん」

 そこで莉奈が口を開いたらしい。うん、当然だよね。

「私のこと、好きなんですか?」

 そこでやっと、翼さんは自分が何を言ったか気付いた。


「……って、あんたバカですか」

 話し終えた翼さんに、私はストレートに言った。

「やっぱりそう思うか?ほんとにバカだよな」
「莉奈はなんて言ったんですか?」
「そんなこと考えたことなかったから……少し考えさせてくださいって」

 振られたわけではないんだ……

「これからどうするんですか?」
「ど、どうするって……」

 翼さんは少し考える素振りを見せて、まっすぐ言った。

「りなに触れるように、頑張る」
「翼さん……」
「それで、いつかりなを守れるように大きくなって、この腕で抱き締められるようになりたい」

 翼さん、それ莉奈の前で言ったらたぶん好きになっちゃうよ。今の顔も、すっごくカッコよかったし。……それを莉奈の前で言えないのが翼さんらしいけどね。

「なぁ、でも頑張るっつったって何すればいいのかわかんねぇ」
「……」
「ハル、助けて」

 うん、ここでヘタレ発言が出るのも翼さんらしいよね。

「とりあえず、莉奈に話しかけましょう」
「話す……」
「それで、なるべく近くにいましょう」
「近くに……」
「莉奈も翼さんの気持ち知ったから、少しは意識すると思います」
「意識……」
「はい」
「ハルちゃん行くよー?」

 その時、楓さんに呼ばれて私は立ち上がった。

「じゃ、私行ってきますね」
「おう」
「頑張ってくださいね」
「頑張る」

 そう言った翼さんの顔は、エージさんと同じくらいカッコよかった。
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