あさがえり



 次に目が覚めると、まだ外は明るかった。むぎゅう、と私に絡みつくエージさんの腕を何とかほどきベッドを出る。そしてエージさんのぶかぶかのジャージを履いて、部屋を出ようとした。すっごいトイレ行きたかったんだよねぇ、とドアを開けた瞬間。廊下の向こうにいた人と目が合った。え、あの人って、え、え、近付いてきてない?え、え、え、私すっごいトイレ行きたいんですけどぉ?!
 そう思いながら、部屋のドアを閉めた。ばっちり目合ってたけどね。わ、私知らないもーん。

「ちょっと、ドア閉めることないんじゃない?」

 し、知らなーい。私全然わからなーい。外にいるの、エージさんのお兄さんな気がするけどそんなの知らなーい!

「ちょっ、総司くん何やってんの?」
「光、ここに女の子いんだけど」

 光さんが現れたみたい。光さん、何とかして!

「うん、あの娘英司の女だから。ほっといてあげて」
「え、英司幼女趣味になったの?」

 し、失礼な!!私これでも高校生なんですけど!

「いや、あれでも女子高生だから」

 あれでも、ってなんですか光さん。

「え、マジで?女子高生?いいなぁ。ねぇ、お兄さんと遊ぼうよ」
「……総司くん。だから、あの娘は英司の女だ」
「……関係ねぇ」
「……!」

 今まで穏やかだったお兄さんの声が、急に低くなる。縮みあがってしまうような、怖い声。だけど私、エージさんに『お兄さんと話すな』って言われてる。
 でもね、でもねエージさん。私……トイレに行きたいの……!

「ひ、光さん!」

 震える声で、縋るように光さんを呼ぶ。

「大丈夫。ここは俺に任せろ」

 そんな頼もしい言葉が聞こえたのも束の間。ゴンッと音がして、光さんの「いってー!」って声が聞こえた。

「お前、俺に勝てると思うなよ」

 って、お兄さんの声。光さん頼りねー!簡単に負けてんじゃん、任せろって言ったの誰よ!
 その時だった。トイレに行きたすぎて震える私の右手を後ろから彼が掴んだ。そしてそのままドアを開けて、そこにいた人たちには目もくれずに歩き出す。

「……おい、英司。久しぶりに会った兄貴に挨拶もねぇのか」

 ……低い声。

「……ちょっと待ってろ。コイツのトイレが先だ」

 ……お兄さんに負けないぐらい低い声。だけど、なんかごめん。エージさん。
 一緒に個室にまで入ろうとするエージさんを何とか押さえ、私はやっと用を足すことができた。でも、この後にはまた怖いことが待っている。傷つくエージさんは見たくない。……私にはどうにもできないことだけれど。
 そんなことを悶々と考えていると、少し時間が経っていたらしく。トイレを出たところで待っていたエージさんが大真面目に

「うん○か?」

 と尋ねてきた。………殴りたくなった。エージさんはまた私の手を引いて歩き出した。

「うん○してちゃんと手洗ったか?」

 ……突っ込むところが多すぎて面倒だったので無視した。そして、エージさんは部屋の前にいたお兄さんの前で立ち止まった。

「よう、兄貴」
「相変わらず生意気だな、英司」

 私はそこで、やっとお兄さんを見た。……似てる。エージさんに、そっくり。エージさんをそのまま大人っぽくした感じ。里依ちゃんは、またちょっと違う顔だけれど。この2人は、そっくりだ。その時、私の視線を感じたのか、お兄さんと目が合った。そして、ふっと笑った。何、これ。笑い方までエージさんと同じだ。

「すっげぇ警戒されてんだけど。教育してんのか?」
「あぁ。兄貴には近づくなって言ってある」
「へぇ……従順なんだな」

 このピリピリした空気の中で、余裕の笑みを崩さないこの人はかなり大物だと思う。……それに、怖い人だとも思う。対照的に、エージさんの私の手を握る力はどんどん強くなってきてる。

「英司に飽きたら俺んとこ来ていいよ」
「……絶対行きません」

 こんな空気の中で、まさか自分が言葉を発することができるとは思っていなかった。お兄さんはそんな私を見てさらにニヤリと笑う。

「へぇ……見かけによらず気強いんだ」
「……」
「気に入った」

 そう言って私の髪を触ろうとしたお兄さんの手を、横から伸びてきた手がパシッと押さえる。

「この女に触んな」

 低い声。鋭い瞳。いつもとはまるで違う様子のエージさんなのに、憎たらしいほど余裕なお兄さんは楽しそうに笑った。

「お前、まだアイツのこと引きずって「それ以上喋んじゃねぇ」

 言葉を遮ったエージさんに、さすがのお兄さんも黙る。お兄さんを一瞥して、エージさんは私の手を引いて部屋に入った。部屋に入るなり、エージさんはギュッと私を抱き締めた。そしてそのままベッドに押し倒されて、服の中に冷たい手が入ってくる。

「ちょっ、ちょっと待ってエージさん……っ」
「待たねぇ」
「エージさん!!」

 大声を出すと、エージさんはハッとしたように動きを止めてまたギュッと私を抱き締めた。

「ごめん……」

 振り絞るように出された弱々しい声は確かに、いつも落ち着いてて堂々としてるエージさんの声なのに。まったく、違う人の声みたいだった。余裕たっぷりのお兄さんとは対照的に、こんなに心を乱してしまうエージさん。……何だか悔しかった。エージさんはこんなにお兄さんにコンプレックスを持っているのに、お兄さんはそれを嘲笑うかのように余裕たっぷりで。エージさんはきっと私以上に悔しいから。もしかしたらそれを私にぶつけようとしたのかな。……それなら。

「エージさん……抱いてください」

 さっきは、ちょっと怖くて止めちゃったけど。私は本気で、エージさんのすべてを受け止めたいって思うから。でもエージさんはふっと優しく笑った。

「また夜にいっぱいイかせてやるから今は我慢しろ」

 そしていつもみたいに、私が痴女みたいな言い方をした。……これは本気でやめてほしい。

「ていうかさ、さっきからお前の携帯ブーブーうるせぇんだけど」
「………?」

 エージさんに言われて耳を澄ますと、確かにどこかでブーブー言ってる。確か鞄の中に入れっぱなしだっけなぁ、と思って鞄を見ると、中でピカピカ光っていた。

「あ、兄からだ。……もしもし?」
『は、ハルか?今どこにいんだ!』

 兄の声が大きすぎて耳が痛い。

「ちょ、声大きいって!」
『今どこだ!英司の家か?!』

 私の話をまったく聞いていない兄は、相変わらず声が大きくて。携帯から耳を離すことにした。

「うん、そうだよ」
『今何時だと思ってんだ!連絡しろよ!』
「え、今何時?」
『7時だ!しかも朝のな!』

 ……はい?

「ええええ、嘘?!」
『嘘じゃねぇ!時計見てみろ!』
「よ、夜の7時じゃ……」
『窓開けてみろ。朝の匂いがするぞ?』

 ……やってしまった。これって、男の人の家に無断外泊じゃん。

「なんで帰る時言ってくれなかったの?!」
『おまっ、××××してる時に部屋入れるか!』
「……!」

 確かに、入ってこられるのもものすごく嫌だ。それにしてもどうしよう……!お母さんはまだしも、お父さん泣いちゃうかも……っ

「えええエージさん!」
「あー?」

 大声を出す私に、不快感を露わにするエージさん。だけど今はそんなこと言っていられない。私、『あさがえり』しちゃったよ!

「わわわたし『あさがえり』……!」
「ちょ、落ち着いて話せ」
「家に連絡するの、忘れてて……『あさがえり』……」
「……」

 私を見るエージさんは無表情で、何を考えているのかわからなくて。こんなことで、私は簡単に不安になる。エージさんに呆れられたんじゃないか。連絡もできないのかって怒られるんじゃないか。エージさんまた冷たくなっちゃうんじゃないか、って……
 けれど、いつも私の想像をいい意味でも悪い意味でも超えるのがエージさんで。

「……謝りに行く」

 今回は、いい意味で超えてくれたみたい……だけど。

「え、エージさんそれって……」
「お前の親に挨拶に行く」

 ……な、なんかすっごく怖いかもしれない……。嬉しいんだけど、エージさん皇帝だし、うちの親、アレだし……。

「今日、ですか?」
「嫌なのか?」

 そんな威圧的な態度だと嫌でも嫌って言えないじゃん……!
 そんなこんなで、エージさんの車に乗せられ。私は自分の家に向かっていた。兄に『エージさんと一緒に行く』ってメール送ったら、『よかったな、今日は父さんも休みだ』って返ってきた。……ふっ……。けれど今更やめませんか?とも言えない私は、エージさんの横顔に念を送っていた。それに気づいたエージさんに

「だーかーら、夜まで我慢しろって言っただろ?」

 って最高の笑顔で返されてちょっとイラっとした。
 そしてとうとう、私の家に着いてしまった。途中、わざと違う道を教えようかと思ったけれど、あとが怖いからやめておいた。
 家の前に車を停めてもらって車を降りると、家の前で兄が待っていた。兄の目の下にはクマができていて、一晩中私を心配していたのかと思うと、少し胸が痛かった。

「ごめんね?兄」
「ごめんね?律」

 私のマネをして言ったエージさんに、兄はギロリと睨みをきかせる。

「お前、今は俺に殴られても文句言えねぇぞ」
「あぁ、わかってる」
「積もりに積もった恨みを込めて殴ってやってもいいけど後が怖いからやめとく」

 ……兄……。

「入れ」

 そう言ってドアを開ける兄は何だか嬉しそうで。仕返しが怖いからってエージさんを殴れないくせに、私とエージさんが不安がってるのを喜んでる兄を、本気で小さい男だと思った。けれど、私たちの予想は大いに外れた。

「お邪魔します」

 そんなエージさんの声を聞きつけた両親が、玄関に走ってきた。

「きゃー!英司くん?英司くん?!きゃー!」
「おぉ!予想以上のイケメン!」

 ……エージさんと同様、うちの両親も予想できない人たちだってこと、兄も私も忘れていたみたい。

「はじめまして。滝沢英司です」

 そして、皇帝も予想できなかった行動。まさかの『猫被り』。……エージさん、意外と世渡り上手かも。

「ささっ、英司くん入って?朝ご飯まだでしょ?一緒に食べましょう!」
「うちの母さんのご飯は最高だぞ?!」
「やだもうお父さんったら〜」

 ……。2人残った玄関で、兄が呟いた。

「なぁ、俺らほっとかれてね?」
「うん、私たち子どもなのにね」
「お前朝帰りしたのにな」

 ……うっ、ちょっと泣きたくなってきた。
リビングに入ると、玉子焼きを頬張るエージさんと目が合った。……また泣きたくなった。

「あんたたち、早く座りなさい!」
「はぁい……」

 明らかにエージさんと私たちに対する態度が違うお母さんに呆れながらも、私はエージさんの隣に座った。

「おいしいです、お母さん」
「まぁ……!」

 エージさんの言葉に、頬を赤らめるお母さん。……いや、お母さんはわかるけどさ、なんでお父さんまで?

「普段の英司を見せてやりたいよ」

 小さい男の兄が呟く。確かに、兄も結構エージさんの被害受けてるもんね……。

「英司くん、そんなにカッコよかったらモテるだろうに。ハルでいいのかい?」

 お父さんのストレートな質問に、私は飲みかけていたお茶を派手に吹き出した。

「ちょっ、ハル!お前汚ぇ!」

 ガタガタ派手な音を立てて逃げる兄。けれど、いつもならあからさまに嫌な顔をして誰よりも早く逃げるエージさんが、なんと。

「大丈夫か?」

 そう言って背中を撫でてくれた。
 そ、そりゃあ普段の皇帝なエージさん大好きだけど!……優しいエージさん、いいかもしれない……

「だ、大丈夫です……」

 頬を赤らめる私に、優しく微笑むエージさん。な、なにコレ……すっごく幸せなんですけど……っ

「英司くん優しいのねぇ」

 うっとりするお母さんにも、エージさんは微笑みかける。

「陽乃さんには、いつもよくしてもらってるんです。これくらい当然ですよ」

 エージさん……!

「律、あんたも英司くん見習いなさい」
「なに…?!『EA』に皇帝は2人いらねぇと思う!」
「あら、皇帝ってなに?」
「英司のあだ名」
「変なの。こんなに優しい英司くんが皇帝だなんて」
「くっ……!」

 兄、もう無駄な抵抗はやめたほうがいいと思う。うちの両親はすでに皇帝の毒牙にかかっている。……かく言う私も、『優しいエージさん』にやられてるんだけどね。
 それから、いろいろな話題で盛り上がった。兄は最後まで皇帝に抵抗していたけれど。

「また楓くんと翼くんと遊びに来てね!」

 お母さんがそう言って、楽しい朝ご飯は終わった。
 エージさんが帰り際

「お前も来るか?」

 そう、耳元で囁いた。

「……っ、い、行きます……」

 優しいエージさんにやられた私は忘れていたんだ。この人の本来の姿が『皇帝』だってことを。
 エージさんの車に乗り込んで、お城に戻る途中。いきなりエージさんが口を開いた。

「お前ってさ」
「……?」
「優しい男が好きなのか?」
「……!ななななんでですか?!」
「俺が優しくしたら、お前見惚れてたから」

 た、確かにね。優しいエージさんいいかも、って思った。

「俺これでもお前にはすっげー優しくしてるつもりなんだけどなぁ」
「……っ」
「結構ショックだったなぁ。普段の俺は好きじゃないって言われてるみたいで」
「え、エージさ……」
「好きな女にそんなこと思われてるなんて。あ、やべ、ほんとショックだわ」
「エージさん!」

 私はこの時、エージさんを傷つけてしまったって罪悪感でいっぱいで。エージさんが、人を苛める時だけ饒舌になる生粋のドSだってことも忘れてて。

「私は、どんなエージさんも大好きです!意地悪なエージさんも、皇帝なエージさんも、優しいエージさんも!私エージさんのためならなんでも……!」

 そんなことを、口走っていた。

「ふーん、ま、知ってるけど」

 エージさんの冷静な声で我に返った私は、自分の発言に本気で焦った。

「お前、俺のためになんでもできるんだ」
「いいいや、それは口走っちゃっただけで……」
「……」
「う、嘘です!できます!」

 無言の圧力に簡単に屈する私。でも、無言でジッと見つめられるのが一番怖いんだもん!

「んじゃあ、やってくれ」
「な、なにをですか?」
「男が女にやってほしいことっつったら決まってるだろ」
「……エッチなことですか?」
「料理だ。なんだ、お前そういうこと期待してたのか」
「……っ!」

 もう、この人明らかにわざとなんですけど!恥ずかしいことわざと言わせて楽しんでるんですけど……!

「まぁ、期待してるならやってやらねぇこともねぇけど」
「結構です!」

 とうとう声をあげて笑い出したエージさんとは対照的に私は真っ赤で、それなのに文句も何も言えなくて。優しいエージさんに騙された私がバカだった!……そう思ったけど。

「お前やっぱ最高。可愛すぎ」

 そう言って頭を撫でてくれたエージさんに、私はまた騙されそうになって。騙されてもいいかも……って思ってしまう私は、結局のところエージさんが大好きなんだろう。エージさんも私と同じ気持ちならいいなって思いながら、近づいてくるエージさんの顔を見てゆっくりと目を閉じた。
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