すれ違うふたり



「龍也くんと仲直りした」
「……!」

 次の日の昼休み。お弁当を食べようとした時に私はいきなり莉奈にそう告白した。他の話の後だったら言いにくくなると思ったから、本当にいきなり。莉奈は予想以上の驚きようで、お箸で摘んだ卵焼きを落とした。

「……本気で言ってる?」
「うん、本気」
「あんた、アイツに何て言われたか忘れたの?」
「……忘れてない。だけど許すことにした」
「……なんで」
「前に進めないから。私は今まで、過去を乗り越えたフリをしてただけなんだよ。龍也くんを、忘れたフリ。だけどそれじゃダメなの。それじゃ私も龍也くんも前に進めないんだよ」

 莉奈は一瞬私を探るような目で見て、はぁとため息を吐いた。

「あんたってほんとバカだよね」
「ひ、ヒド……!」
「褒めてんの。私があんただったらあんな奴一生許さない。一生呪ってやる」
「……莉奈……」
「でもあんたは呪う方法を知らない。人を憎む方法を知らない。バカだから。私もあんたみたいなバカになりたかった」
「莉奈……。莉奈ってツンデレだよね」
「なっ、あんた急に何言い出すのよ!」
「だって何だかんだ言って莉奈は絶対私のこと好きだもん!」
「……。片桐兄妹ってウザイ」
「なっ、なんで……」
「片桐兄も同じこと言ってたから」

 ……………兄………。

「バカの妹はやっぱりバカ……」
「う、うるさいな!莉奈さっきからバカバカ言い過ぎだよ!」
「バカにバカって言って何が悪いの?!」
「ヒッドーイ!バカって言うほうがバカなんだよ!」

 ちょうどその時。私の携帯がメールの着信を知らせて、莉奈と私のくだらない言い争いに終止符を打った。メールが来る度にエージさんからじゃないか、って期待する自分が嫌い。メールはもちろんエージさんからじゃなく、龍也くんからだった。

『明後日の放課後会えない?前ハルに借りてて返しそびれたCD返したいんだけど』

 CDか……何貸してたかも忘れたけど、まぁいいか。

『大丈夫だよー』

 龍也くんにそう返すと、私は携帯を閉じた。
 そして2日後の放課後。迎えに来てくれた龍也くんと一緒に、私は近くのファミレスに行った。放課後なのに私服な龍也くんは今日も学校に行っていなかったみたいで。たまにちょっとやんちゃそうな人とすれ違うと、なぜか龍也くんと一緒にいる私にまで礼をされて焦った。龍也くんは

「ハルが彼女って勘違いしてるみたい。嬉しいなぁ」

 と呑気に笑っていた。そ、そんなことより龍也くん何者……!龍也くんよりも明らかに怖そうな人が龍也くんを見て焦って礼をする。気になって恐る恐る龍也くんに聞いてみると、龍也くんはやっぱり穏やかに笑って答えてくれた。

「大丈夫だよ。俺の女に手出す度胸なんてないから」

 若干質問と答えが合っていない気はするけれどこの際それは気にしない。

「……私龍也くんの女じゃないよ」
「いいじゃん。現実では叶わないんだから周りにそう思われるのくらい」

 龍也くんは結構、ストレートに自分の想いを表現するらしい。

「ここでいい?」

 龍也くんがそう言って立ち止まったのは学校からそんなに離れていないファミレス。なのにかなり長い距離を歩いた気がしていた。「そっち系の人たち」にビビりながら歩いていた私はブンブン、すごい勢いで首を縦に振った。龍也くんが若干引くぐらいの勢いで。

「あ、じゃ、じゃあここにしよう」

 龍也くんは少し引きつった笑みを浮かべてファミレスに入った。
 放課後で、高校生が多い。そんな中、店に入って右側の奥のほうの席に。会いたくて、でも会いたくなくて、けれどどうしても恋い焦がれてしまうあの人がいた。姿を見た瞬間、私はピシリと固まった。……どうしよう。会えてものすごく嬉しい。でも、タイミングが悪すぎる。この前のことがなければ。
 それに、何よりも大きい問題。私、龍也くんといる。兄に、過去に龍也くんと何かあったのか聞いたらしいエージさん。ということは心配してくれたんだろう。気にしてくれたんだろう。それなのに私今、龍也くんと一緒にいる。タイミングが悪い。絶対に、気付かれたくない。
 でもそんな私の願いは叶わず。私が立ち止まっていることに気付かなかったらしい龍也くんはエージさんのいるほうの席に向かい、そして。エージさんの本当にすぐ近くで私がそばにいないことに気付いて立ち止まった。そして、私の名前を呼んだ。まるで仕組まれたようなタイミング。漫画みたいな状況。龍也くんが呼んだ名前に反応したエージさんが、顔を上げた。……そして。入り口付近で立ち尽くす私を見て、一瞬目を見開いた。

「はる、の……?」

 今度は、エージさんの声に龍也くんが反応した。龍也くんはそこで初めてエージさんに目を向け、エージさんの存在に気付いたようだった。エージさんの視線は私に向けられたまま。逸らせない視線に、世界に二人だけしかいないような感覚に陥った。何も見えない。何も聞こえない。私の世界には、エージさんしかいない。……そうなったらいいのに。そうなったら、何も考えずにエージさんのそばにいれるのに。エージさんを、独り占めできるのに。けれど、世界はそんなにうまくできていない。
龍也くんが、急いで私に駆け寄ってきた。

「店替えようか」

 龍也くんが私の耳元で言う。それなのに、私はどうしても動けなくて。エージさんとは目が合ったまま。呼吸だけが苦しくなっていく。やだ、こんなところで。こんなところで絶対になりたくない。なのに、どうにもできない。頭がフラフラして、いつの間にかエージさんから視線が外れてて。龍也くんに寄りかかろうとした、その時だった。グイッと反対側から腕を引かれて、その瞬間誰かの腕の中にいた。……知ってる、この匂い。

「コイツに触んな」

 耳元で聞こえる声もよく知ってる。泣くほど、恋しかった人だ。

「英司兄ちゃん!」

 その時、初めて聞く女の子の声が聞こえて。

「タクシー止めてきたよ」

 そう言った女の子に、エージさんは「悪いな、里依」と言った。里依。聞いたことのある名前だった。
 私はあまり自由の利かない体を必死に動かして、エージさんから離れた。そして近くにいるであろう龍也くんを呼んだ。龍也くんはすぐに私に駆け寄り、私を支えてくれた。エージさんは、不思議そうな目で私を見つめる。エージさんの隣には、妹さんであろう人が立っていたけれどよく見る余裕はなかった。

「ごめん、龍也くん。家まで送ってくれる?」
「え、別にいいけど……」

 龍也くんは明らかにエージさんを気にしていた。でも私は一刻も早くここから立ち去りたくて。だって、この前怒られたから。会えないって言ったよな、って。お前に構ってる暇はないって。そんなエージさんの近くにいられるわけがない。早くエージさんから離れなきゃ、また怒られる。また、傷つく。もう嫌だ。もうこれ以上エージさんの邪魔をしたくない。妹さんとも、多分久しぶりに会ったんだろう。せっかくの時間を私が潰すわけにはいかない。そう思って歩き出そうとしたのに、私の気持ちを無視したエージさんの声が聞こえた。

「無理すんな。フラフラじゃねぇか。俺がタクシーで送ってやるから」

 ……わからない。優しかったり、冷たかったり。エージさんは私に、どうしてほしいんだろう。甘えようとしたら突き放されて、一人で頑張ろうとしたら手を差し伸べられて。私、どうしたらいいのかわからないよ。

「……大丈夫です。龍也くんが送ってくれるんで」

 私の可愛くない言葉に、エージさんは少しイラッとしたようで。

「俺の言うことが聞けねぇのかよ。コイツは俺が送っていくからお前は帰れ」

 そのイライラが、龍也くんに向く。龍也くんはもちろん戸惑って。でも私はエージさんから差し伸べられた手を無視して、龍也くんに寄りかかったままだった。

「……おい。早くしろ」

 エージさんは、勝手だよ。私がいつもエージさんの言うこと聞くと思ったら大間違いなんだから。

「本当に大丈夫です」

 私は強く言い放った。それなのにエージさんは引いてくれなくて。イライラした様子を抑えて、優しく私に言ってきた。

「歩いて帰るのキツいだろ。俺が送ってやるから、俺に寄りかかれ」
「……」
「無理すんな」

 その言葉に、私の中の何かがプチンと切れた。

「無理させてんのは、エージさんでしょ……?」
「……」
「ライブまで会えないって言われて我慢して。兄と楓さんに呼ばれて久しぶりに会えるって喜んで行ったら帰れって言われて。悲しいけど仕方ないって、ライブ前だから私が我慢するしかないんだって思って。寂しいけど、悲しいけどエージさんの邪魔したくないって一人で泣く私の気持ちがエージさんにわかるんですか……?!」

 ……最悪。こんな風にエージさんを責めちゃダメなのに。わかっているのに口が止まってくれない。このままじゃ、エージさんに嫌われちゃうよ。そんなの絶対嫌なのに。

「……私、もうどうすればいいのかわかんないです。私は、ずっとエージさんのそばにいれるほど強くないのかも」

 ……嘘だよ、やだよエージさん。強くなるから。エージさんのために強くなるからそばにいさせてよ。私、今どうかしてるんだよ。これは私の本心じゃない。ねぇ、エージさんわかってよ。そう頭の中で必死で叫んだけれど。その言葉はエージさんには届かなくて。私を地獄に突き落とすには充分だった。

「……悪かったな、無理させて」

 それって、もうそばにいなくていいってこと?無理してそばにいる必要はないってこと?そばにいるって約束したじゃない。私は、そばにいなくていいの……?

「私は、エージさんの何……?」

 思わず口に出してしまった言葉に、エージさんの瞳が揺れた。でも、どれだけ待ってもエージさんは答えてくれなくて。私はゆっくりと、その場を去ったんだ。
 追いかけてきて、私を支えてくれたのはもちろんエージさんではなく、龍也くんで。龍也くんは人目につかない路地裏に私を連れ込んで、そして背中をポンポン叩いた。その仕草は泣いていい、って言ってくれてるような気がして。私はまたワンワン声を上げて泣いた。
 エージさんと出会ってから今まで積み上げてきたものが全部崩れてしまった気がした。もう会えないのかな。もう、そばにはいられないよね。そう思うと涙が溢れて止まらなかった。好きなのに、こんなに大好きなのにうまくいかない。いつか私の中から消え去ってしまうんだろうか。大好きな匂いも。大好きな腕も。大好きな、声も。絶対消えてほしくないのに、消えていくことを仕方ないと思ってしまう自分もいた。
 エージさんに憧れて、いつしかエージさんの特別になりたいと願うようになって、エージさんに触れて、いっぱい幸せをもらって。これ以上望んだのがいけなかったのかもしれない。私はもう、一生分の運を使い果たしてしまったのかもしれない。

「……ハル」

 絶望的な闇の中で、前に大好きだった彼の声が響く。私はそこで、意識を飛ばした。
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